やられた。視覚的に、ノックダウンされた。一時間半、食い入るように世界に入り込んでいた。映画が終わった時、自分の周囲に重力が戻ってきた感覚があった。ここに重力があって、自分の足が地面を踏みしめていることが、何不自由なく行えるのだという単純な奇跡。ただ表現される宇宙空間の厳しさに、地球の美しさと真っ暗な宇宙空間の対比に、音のない世界の描写に、涙が自然と出てきた。ほんとうにすごいものというのは、言葉で表現できないような細かい領域にまで、染み入るように隅々までその「すごさ」が広がっていくものだ。本作はそういうレベルにある作品だった。
プロットはシンプルで洗練されている。極端な話一行で説明できてしまう。無重力状況下で発生した突然の事故で、身体ひとつ投げ出された女性がなんとかして生き抜こうとする話。登場人物はほぼ二人しかいないし、環境は宇宙だ。無駄は削ぎ落とされている。これ以上シンプルにしようがない。そのシンプルさは行き届いた映像表現と合わさった時に、最大限に力強さを発揮することになる。プロットはすぐに理解できる。そのおかげでdetailを堪能する余力は充分にある。しかしあまりに芳醇なその映像は、簡単には受け入れきれない。
一時間半の映像はほぼすべてが「宇宙において人がどう生きるかの表現」に費やされている。detailに凝りにに凝りまくった表現の極地。特別な映像なんかではなく、ごく当たり前の風景としてうつりこんでくる暗黒の宇宙。その姿をわずかな時間ごとに一変させる地球の美しさ。ほんのちょっと入り込むこともあれば、くるくると視点が回転していく中で暗黒の宇宙と地球が交互にあらわれてくることもある。地球にたいして人間というのは、恐ろしく小さい。これはただの映画だ。しかし僕はそれについて考えないわけにはいかなかった。
『なんとしても守らねばならない聖なる家だ。地球は非の打ちどころなく丸かった。宇宙から地球を見て、「丸い」ということばの意味が私にははじめてわかった。』とアレクセイ・レオーノフは言い、『はじめて窓の外を見た私は、圧倒されてしまった。中国の話に、若い女の子をいじめるために送られた男達がその女の子の美しさに打たれ、その子を傷つけるどころか彼女の護衛になってしまったという話がある。宇宙からはじめて地球を見て、私も同じように感じる。この地球を愛し、たいせつにせずにはいられない。』とテイラー・ワンは言った。
地球を外から見るということは、人の認識を変える。いや、一変させるのだろう。今まで二次元的に見ていた環境を、外から見つめるのに等しい状況なのだから。地球という、今のところすべての生命の根源と、宇宙という非生命的な環境の美しい対比。ただ、なんでもない一場面でも観ている間はその対比を常に意識させられることになる。
Reality of Gravity
『ゼロ・グラビティ』のリアリティは本職の宇宙飛行士が賞賛をおくるほどのレベルに達している。『私はハッブル宇宙望遠鏡、宇宙服、また私達が普段ミッションで使用している信じられないぐらい詳細な道具の正確な複製を見た。』Twitter / Astro_Mike: In #Gravity I saw an exact ... 他にもこの記事でも宇宙飛行士によるコメントが翻訳されているし⇒宇宙飛行士が最も忠実に宇宙空間を再現した映画として「ゼロ・グラビティ」を評価 - GIGAZINE パンフレットには女性宇宙飛行士である山崎直子さんの話も載っている。とくに機材や無重力への表現が優れているようだ。
かといってすべてが完璧なわけでもない。
もちろんすべてが完璧なdetailを保っているわけではない。現実的にはどう考えてもありえないような、物語るために省略されている部分もある。宇宙飛行士の方々も多くレビューを書いているが、絶賛する人、不備を指摘している人、様々である。Reviewを読んでいると現実を反映していない部分を危険視しているものも少なくない。これとか⇒Space KSC: Anti-Gravity これとか。A Real Astronaut Uncovers the Gaping Plot Hole in Gravity 本作は当然だがドキュメンタリーではなく、ドラマなのだから細かいところにツッコむのは野暮というものだろう(大法螺もあるが)。
だが実在の宇宙ステーションを使い、実際の国名を出し、機材などの表現にこだわってつくっているだけに問題視するのもまたわかるのである。巨大な利益を得るだろうが、それと同時に多くの有人宇宙飛行ミッションへの誤解を招くミスリードになっている、という指摘があるように。なのでせめてこうやってレビューの部分においては正確な認識に近づけておこう。ミスリーディングになっている部分などについてはここなどを参照(ただし観た人専用)⇒『ゼロ・グラビティ』は現実には起こり得ない。ハッブル修理の宇宙飛行士語る(動画あり) : ギズモード・ジャパン
まだ観ていない方は90分間の間細かいところはいったん棚上げにし、無心のまま映像の世界に浸ってほしい。信じられないぐらいパワフルな映像が観られるのだから。
冒頭事件のモデルは梅雨国の人口衛星破壊実験?
ストーリーをもうちょっとおってみると、物語の発端はメディカル・エンジニアのライアン・ストーンとベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキーの二人が船外でデータ通信システムの故障を直そうとしているところから始まる。マット・コワルスキーはさすがにベテランの風格でまわりを落ち着かせ、自分自身も常に冷静でいる「宇宙飛行士のリーダー像」にぴったりと当てはまるような洗練された人物だ。
しかし突如ロシアが破壊した人工衛星の破片が別の衛星に衝突して、新たなデブリが発生し彼らの元へ急速に迫っているという警告が入る。大慌てで戻ろうとするが──というところからあとは極限状況下での大脱出ゲームが始まる。このロシアの人工衛星破壊によるデブリ大量発生のモデルになっているのはおそらく2007年に行われた中国による人工衛星破壊実験だろう。⇒人工衛星破壊実験は「史上最大規模の宇宙ごみ投棄」
こちらは2013年の記事だが、2007年に行われた中国の人工衛星破壊実験の影響でロシア小型衛星にぶつかった事件もある。⇒中国による衛星破壊実験由来のスペースデブリがロシアの人工衛星に衝突 : 週刊オブイェクト 現実では実際にはロシアは「衛星を当てられている」側なのがなんともかわいそうなところだが(フィクションの中でロシア悪者にされて、中国はむしろ助ける側にある)、もうとっくに脚本は固まって撮っている時期だろうから「フィクションが現実化した」一例でもある。
Gravity
邦題は『ゼロ・グラビティ』となっているが原題は『Gravity』である。これ、たいした違いじゃないと思うかもしれないが、実際には大違い。余計なもんをつけて鋭さがまるでなくなってしまっているが、わかりやすさを優先させたのだろう。それはそれで仕方がない。原題がいかにこの作品を一言で表現しているかをわかってもらうためには実際に観てもらう他ないが、重力があるという、それだけの奇跡を実感する作品なのだ。
本作はほぼすべてが無重力環境下で状況が進行する。だからこそ、それ故に、強烈に、「重力」というものが我々にとっていかなるものなのかを意識させられる。なくなって、はじめてわかる大切さというが、この大気が、重力が、風が、土を踏みしめる感触が、太陽の輝きを何のプロテクタもなしに受けられることが、こんなにも素晴らしく思えたことはない。それをたかだか90分で「視点を宇宙へと持っていかれた」のだからとんでもない力技だ。
危なげなく傑作。これだけ推しても響かない人は、予告編を観てみるとイイ。絶句するだろうから。映画が響いた人は宇宙空間の苛酷さを描いたアステロイド・マイナーズ by あさりよしとお - 基本読書 もオススメ。あとは鉄板だと『プラネテス』幸村誠か。こっちはレビューしてないけど同様に傑作。
- 作者: 幸村誠
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