基本読書

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世界はたくさんのみんなでできているんだよ『成恵の世界』 by 丸川トモヒロ

1999年から連載が始まり、2013年2月号でついに連載が完了した。全13巻である。ぎりぎりになってしまったが、完結年に紹介できてよかった。素晴らしい青春SF活劇コメディであり、13年の時の流れを経て、なお古びれることのない傑作漫画だった。もしあなたが最近の漫画は長すぎて終わらねえ、まとまった良作はないのかと眺めているのならばこれを読まない手はない。青春日常物の、ほんわかした雰囲気を保ちつつもハードなSFと両立をさせている技の冴えは、他に並ぶものがない。僕も別に漫画をすべて網羅しているわけではないので断言できるわけではないのだが。

セリフ回しからキャラクタの構築まで一級の構成であり、一コマの情報量は回を追うごとに増していく。SF設定のハードさについてはあとで書こう。星船とよばれる宇宙船がコマを占める様などみていてふるえるほど素晴らしい。それだけなら「SFとしてすごいってこと?」となりそうだが、日常物としてキャラクタの立て方や表情、日常の何気ない描写があとあと大きな枠の中に回収されていくところなど、日常物としても緻密な出来をほこっているところが日常とSFを奇跡的に両立させている。

艦隊これくしょんで一気に戦艦などの擬人化が注目を浴びたが、宇宙船やら戦艦の擬人化がこれでもかと盛り込まれていて(艦船のタイプによって擬人化した時の年齢が変わるなども設定が共通している)メカメカしさと美少女の両立がいたるところでみられる。

いやあ、とにかく素晴らしい作品なんですな。えっとどこから説明したものかといったところだけど。まずタイトルになっている成恵というヒロインの造形が素晴らしいという話から始めようか。元ネタは『非Aの世界』原題”The World of Null-A”からとられているようだが、彼女は実は! 宇宙人なのだ。主人公である中学生:和人くんはひょんなことから彼女と出会い、あっという間に一目惚れして告白して付き合うことになるのだが、彼女のエキセントリックな行動にガシガシ巻き込まれていく。

とはいっても彼女はハルヒのような突き抜けて気が狂ったようなタイプではなく、普通の女の子、ただしちょっと変で活動的、ぐらいの塩梅が非常にいい具合。女性的な、といったジェンダー的な役割から外れた所にいて、バットで叩くのが大得意という活発さだ。女性は守られ、男性は戦って、なんて観念はとっくにライトノベルの氾濫で失われているが、精神的な意味では男が優位に立っている物語が多い。つまるところ武力を与えるだけ与えてめくらまししているわけだ。

本作は依存というわけでもなく、お互いがお互いに補完しあっている。精神的な意味でも成恵は和人をひっぱっていくし、和人は和人で彼にしか気が付かない視点だったり、彼なりの努力だったりで、暴走気味な成恵のいいアンカーとして機能しているように見える。まあようはベストカップルということだ。

日常物としての側面

しかし一話目で付き合ってしまう、というのもラブコメだとあまりないタイプではないかなあ。僕が知っている中でもハサミの漫画やソードアート・オンライン、化物語なんかは一巻目で付き合うタイプの物語なので皆無ではないが。『成恵の世界』では、一話目で付き合い始めてから、その後浮気やら破局やら三角関係やらが特別な議題にあがることもなく、かといって多少の喧嘩は含みつつも、この二人はずっとバカップルとしての役割を果たしていく。ハリウッドのシリーズ物だとありがちなエピソードが積み重なる度に「別れ」がきて「よりを戻す」のではなく「どんどんお互いに惚れ合っていく」というクソバカップル物として珠玉の出来である。

年齢が中学生であるのも譲れないポイントだったろう。バカップル化しつづけていくのに普通であれば性が避けて通れないが、中学生ならぎりぎり本人たちの倫理観なるものでとめることができる。妊娠しちゃうと別ジャンルの漫画になっちゃうからな! また、一話目で付きあわせてしまうことは、主人公たちの関係性は揺るぎないものとしてあるために、入念に周囲の人間関係を描写できるという利点があるのだと思う。

入念に描かれていく周りに存在する人たちはみな優しく、それぞれにクセがあり、主人公とヒロインとの関係性は申し分ない(どんどんバカップル化していく)。サブキャラクターをこれだけ丹念に書き込んでいった漫画って、ちょっとこれを超えるものは僕の中からは出てこないなあ。最終的にはサブキャラクターも膨大な数になってくるのだが、その一人一人が愛おしくなっている。よく言われる「日常漫画」の主要キャラクタ数人で回される日常とは違って、本当の意味での日常とは周囲に存在する個々の人間の行動の集積である。

だからこそ周囲の人々との関係性を丹念に書いていった結果、本作は1999年からの作品とは思えないほど「日常物」としての幅の広さと深さを獲得していったのだと思う。これは考えてみれば『よつばと!』の方向性に近いかな。ジュブナイルSFなので当然ながら、内実としては別物なのでよつばと路線を期待されてもまったく答えられないが。ジュブナイル物の目的のひとつは、身も蓋もないことをいってしまえば読者を理想の青春時代に連れて行こう、ということだ。日常においてこれほどまでに理想的な学生生活を書いた作品は、ないぐらい僕には眩しかった。

そしてこの日常感覚は実はSF部分とも接続されている。『世界はたくさんのみんなでできているんだよ』と記事のタイトルにつけたが、これは第12巻からの引用。日常を推し進めた結果としての大量のサブキャラクター、そして並行世界物としてとらえたときに存在する「無限の可能性」としての「たくさんのみんな」。つまり「世界」とはあらゆる並行世界の人々を含めたものなのだ。日常ものとSFの両立が、テーマからプロットのレベルまで浸透して完全に融け合っているのがまた素晴らしいところだ。

最後に書いておきたいこととして、会話がドレも凄いのだが、これは言語化できない。なんてことのない場面での会話構築さえも凄いのだ。たとえばこんな感じ。A『くだらない星でつまらない仕事 宅配便にくらがえ?』B『傭兵団のモットーを忘れた? 金と依頼に貴賎なし』とか、海の家での『不味いヤキソバと高いかき氷どっちがいい?』のようなナチュラルに毒を吐くような、台詞のテンポが良かったり、キャラクタの性格などの表現が毎度ガシガシ織り込まれているから情報量が多いのだなあ。

SFとしての側面

わりと規模のでかい話になる。いくつもの世界、いくつもの種族が描かれていく。その中で根っこになるSFの大ネタは説得力があって良い。どんなに先進的なな科学技術があったとしても、それを使う個々の人間がろくでなしのクソ外道しかいなければ方向性を違えるように、個々の人間が個々の世界を平和に保っていくことこそが最終的に人類全体の方向性を決定づけていく。だからこそ本作は日常を書いた。この作品の素晴らしさって、そのハードなSF設定と日常の雰囲気が途切れることなくシームレスに繋がっている所に本質があるのだと思う。

このシリーズの前半はほぼ他愛もない日常なのだが、実際にはそこには常に影がつきまとっている。宇宙人ってどういうこと? いったいどんな世界が地球の外に構築されているわけ? たまに襲われるけど理由は? 和人と成恵の世界がとても優しくて幸せそうに見えてくればくるほど、それが終わるかもしれないことを想像し、不安が大きくなってくる。繰り返される夏、何度も起こるパラレルワールドへのタイムトラベル、そうした「直接的には明示されない謎」が物語後半にいたってSFとして大きな意味を持っていくことになる。本当の意味で安心するためには、不確定に自分たちの日常を破壊する可能性がある要素について、無自覚なままではいられないからだ。

SF的な大ネタはいくつかあってひとつはパラレルワールドネタ。これ自体はSF設定としては「ありふれている」といっていいぐらいのものだけど、本作の場合扱いが独特だ。何百光年も旅して別の惑星にいくより、近くのパラレルワールド、といったような感じで、並行世界間の行き来が一般化した世界なのだ。いくつもの分岐世界があり、その結節点というか、中心点として地球がある世界になっている。並行世界同士が自然に行き来し、相互に影響しあっているような世界なので、「並行世界まで含めてぐっちゃんぐっちゃんになったひとつの世界である」という大前提がある。

終盤、ナチュラルに並行世界を行き来し自分たちのいる世界がいったいどの並行宇宙なのかわからなくなっていく感覚の描写や、並行宇宙間を負けが決まった世界からまだ負けが確定していない世界へとガンガン移動して勝利をつかもうと集まってくる描写なんか、SF的な想像力がぎゅんぎゅん刺激される。先ほどの『世界はたくさんのみんなでできているんだよ』もここでまた重要な意味をもってくる。並行宇宙がある、きっとさまざまな理由で世界は分岐していくのだろう。でもそうした無限の可能性を持つ世界のすべてが「成恵の世界」なのだ。

当然ながらそんなぐっちゃんぐっちゃんの世界なので相互に影響を与えまくる。文明レベルも違えば価値観もルールも違うのだ。そのぐっちゃんぐっちゃんの状況は「影響を与えるのはいいことなのか悪いことなのか」といったテーマや、「異種族間はわかりあえるのか」といったテーマにつながっていく。メインの異種族たる機族(あらゆる能力が人間より高いが、人型機械生命体である)と人間とのやりとりがぐっとくる。

もうひとつは人類史にわたる「種を存続させる仕組み」で、この大ネタには結構びっくりした。このシステムは種族が抵抗しそうになると並行宇宙間に穴を作ったりといった活動を通じて刺激を与えてくるのだが、最初に成立した当初つくったやつらはは「わお! このシステムすごくね!?」という感じで盛り上がったのだと思う。しかし何百年も時間がたち創設者がいなくなると誰も創作理由を覚えておらず、「え、え、なんでうちらこんな刺激を与えられないといけないわけ!?」とわけもわからずに攻撃を受けたみたいな状況になってしまう。

あまりに長いこと機能し続けるシステムを作り上げると、もうそもそも最初につくりあげた目的や仕様を誰も覚えていなくて右往左往するっていうなんかシステム開発の現場で今まさに起こっている泥沼を見せられたような感じがしてちょっと胃が痛かったりするが(本職がシステムエンジニアなのだ)、SFネタとして今まで見たことがなく、かつもっともらしい演出なのが凄い。いやあ、ちゃんと何十年も続くようなシステムを作ってしまったら、初期の設計理由とかの情報をちゃんと残しておかないとダメだよね、と思った。

だいぶ長くなってきてしまったが、割と流されがちな「サザエさん時空」にSF的な説明がついていたり、本作最大の謎である「なぜ一話でいきなりこの二人は付き合うようになったのか」というラブコメのお約束なところにまで理屈っぽく最終的に説明がつくところも素晴らしい。ネタ自体はまどか☆マギカとかぶっているところがあるが(因果の集中だったり)こっちのが構想としては先でしょう。

ガジェットのかっこよさ

あと9巻だったかな? ぐらいから巻末にSF設定資料がつくようになるのだけど、そこで描かれているSFガジェットたちがどれも燃える。全長一キロの飛行構造物とか文字面だけでも興奮するのにそういうのがばしばし出てくるんだもんなあ。マスをうめつくす宇宙戦艦の群れとかミサイルの群れとか、もうそういうの大好き。最近絵の練習を始めたことも会って無心で模写してしまうぐらいかっちょいい。日常物をやろうっていうノリとこうした機械愛が同居しているのが奇跡的だ。

まとめ

さあ、どうやってまとめたものか。ずいぶんたくさん書いたからもし読んだ人間がいるなら僕がどれぐらいこの作品が好きだったかだけは伝わったことだと思う。実際、それだけでもわかってもらえれば、いいんだけど。これは「世界を変える」物語ではない。日常が永遠に続いていく物語でもない。どんなものにでも終りがあるのだ、と。でも人が死んで、悲しかったりつらかったりしながらも続いていくものが日常なんだよねっと、銀河を揺るがすような闘争から日常に戻って行くまでの物語なのだ。

ひょっとしたら読んだ人はとちゅうであまりに設定がぐちゃぐちゃしてきてよくわからなくなってしまうかもしれない。終盤はかけあしで1ページあたりの情報量が増えるからだ。それでもきちんと読み通していくと、この世界が周到に構築されたものであって、同時に成恵や和人がとった選択と、考え方の意味がちゃんと飲み込んでいけると思う。スルメのような、というとあまりに使い古されたたとえだが、何度も読み返せる稀有な傑作だ。2013年は成恵の世界の年だった。

成恵の世界 (1) (角川コミックス・エース)

成恵の世界 (1) (角川コミックス・エース)

成恵の世界 (13) (カドカワコミックス・エース)

成恵の世界 (13) (カドカワコミックス・エース)