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ぼくらの映画のつくりかた by 機本伸司

機本伸司さんはもともと『神様のパズル』や『メシアの処方箋』などのように、どちらかといえばハード系に分類されるようなSFを書いてきた作家の一人で、ライトノベル的なキャラの立て方と作風のハードさがあいまったところが好きだったのだけどそういえば名前を久しぶりに見た気がする。ただ本作はSFというわけではなく(ひょっとしたらはじめてかな?)、書名通りに映画製作、なかでもプロではなくただのアマチュアがなんとかかんとか作品を完成させるまでの物語である。

小説家や絵描き、ゲーム制作などのクリエイターを題材にしたクリエイター物に分類されるだろう。そうした作品の中でも「プロの活躍を書いたもの」「プロの苦闘を書いたもの」「素人がプロになるまでを書いたもの」「素人の素人なりの苦闘を書いたもの」といろいろあるが、本作は最後の「素人の素人なりの苦闘を書いたもの」になる。まあ……アマチュアの制作集団なんてどこにいってもそうだろうが、えらく痛々しい。とにかくなかなか作品が完成しないし、理想ばっかり高くて現実はまったく追いついてこないし、人間関係はうまくいかないし、男女がいればすぐ恋愛沙汰になるし、金はないし将来は不安だし……。

元来クリエイター志望というあやふやな夢を持ちながらも特に積極的に何かを創りだしていない人間は、「自分は将来何かビッグなことをやる」という可能性を自分の中に見出したいだけで実際に何かを創りたいわけではなかったりする。何かを創る前だったら「自分は天才だ」でも「自分は将来ビッグになる」でもどんな偉そうなことだっていえるが、いざできあがってみると自分の実力や能力がありありと出てしまって、前のようなえらそうな自分像を保てなくなってしまうのだから。

何か作品を一個創るというのはそれなりに大変なことだ。特に映画製作なんていったら基本的に一人では出来ない。それなりの時間、それなりの人員を一つの目的の為に動員する。言葉にしてみれば簡単だが、やってみるとこれだけ難しいこともない。それでお金をもらっている集団であれば、怒鳴らなくても現場にくるし、なだめすかさなくても動いてくれる。金で動く集団、組織というのは何かを成し遂げるためには物凄く優れたシステムだとアマチュア制作にほんのちょっとでも参加してみればわかることだろう。とにかく数ヶ月かけて何かを創るなんてことは、一人でさえそれなりに困難であるのに、それを10人とかで手弁当でやるのは本当に厳しい。

本作はかなり身も蓋もなくそうしたアマチュア制作のツラさを書いていく。特別な才能のある人間なんかいないし、都合がよく話の途中で一致団結もしないし、読んでいても「こいつら楽しそう」というよりも「こいつらツラそう」「こいつら将来成功しなさそうだな……」としか思えない。失踪者はでるし、空気は最悪、人間関係はドロドロ、撮っている最中から駄作の気配しかしないし、自分たちの暗黒の将来が頭にちらついてくるし、あいつもこいつも辞めたいと思いながらやっている。まあなんとも最悪な環境で、アマチュア制作の痛々しさが存分に発揮されていてサイコウに楽しかった。これだよ、このツラミこそが!

なにしろ冒頭から「自分とは何か」をテーマにして映画をつくるなどと、意味のわからないことから始まるのだから、まあそのツラさもわかろう。「自分とは何か」なんてあやふやすぎる雑な指定でプロットが作れるわけがないだろ。なんだろうな、プロットはある程度ロジックにのっとって作られるべきだと思うが、本作ではとにかく全員で適当に「SFがいい」「ミステリがいい」といってネタ出しをして、それを脚本家がまとめて監督がダメ出しをするという形になっている。そして監督にヴィジョンがなければ完成形を思い浮かべる能力もないので、その指示や修正はどんどんおかしな方向に進んでいく。

余談だけど面白いな、と思ったのが最初に「自分とは何か」みたいなテーマを設定してそれを延々と考えてプロットにするのがまんま機本伸司さんの作品に当てはまっていて、メタ的に読める所だろうか。たいてい彼の作品、たとえば代表作である神様のパズルからして「宇宙は人間につくることができるのか?」という問いかけに対する答えとして作成されている。問いかけがそのままプロットに直結している点(この作品もある意味「自分とは何か」を問いかけていくプロットだし)で自身の創作法を明かしているとも言える。

現実的な問題を一つずつ叩き潰していく作業

主人公は女の子で、映画が好きで映画製作について勉強したく、芸大を志望しているが二回既にのがしている。三回目はさすがにオチれないのですべり止めも用意して最後のチャンスだが、その前にアマチュアの制作集団などもあることに気がついてネットで検索して参加するところから始まる。この子はまあ基本的に何の技能もないので、5〜6人しかいない集団の中で雑用担当としてなんでもこなしていくわけだけど、まあ先に何度も書いたようにとにかく問題が多い。プロットは問題だらけでオチが決まらない、作品は前に進まない、自主制作映画のコンペに出すための締め切りとにらめっこして日程を決定するが、監督の方針はブレブレでいうことがころっころ変わる。辞めたい人間は出てくる。しかしそうした一つ一つの問題を丁寧に叩き潰していくのが映画作りの現場というものなのだろう。

 こうしてみると映画作りの現場というのは、クリエイティブどころか、異様なほどに地道な作業の積み重ねのように思えてくる。何らかの問題に直面すれば、いちいちそれを現実的な方法で解決していかねばならない。ただ座って見ていればよかった映画だが、作るとなると、実になんとも面倒くさい代物のようだ。

こうしたドタバタの中で面白かったのが、双子の役者のうち一人が突然辞めたいと言い出す(土日駆り出されるし突然予定になかったヘンテコなコスプレをさせられそうになるし監督の方針はブレブレだしいいい男もいないし)のを、「いやでも公開されたらそれを見た男が群がってくるかもしれないし」みたいなめちゃくちゃな理屈をいってなんとか引きとめようとするところだ。双子の役者でオーダしているのだから突然其の片割れがいなくなってもらっちゃ困る。辞めてえのはむしろこっちだよと思いながら辞められるのを必死に説得する様は哀れさしかない。しかしこうしたモチベーション管理の問題は実際難しいんだろうな。

さいきんアオイホノオというこれまた漫画やアニメ制作を行うクリエイター物のドラマをみていたら、岡田斗司夫さんの解説でこんなものがあった。これからいざ大勢のアマチュアでアニメをつくろう! となっているときに、庵野秀明と岡田斗司夫がアニメの上映会をしよう! と盛り上がる場面の解説になる。

・「いますぐ上映会や!」
 これも半実話。SF大会をやるようなスタッフたちなら当然、イデオンぐらい見てる。セリフも全員、言える程度の「基礎」は出来ている。
 しかしアニメを作っていた当時の岡田邸では毎夜、アニメや特撮のビデオプロジェクター上映会があった。なぜか? #アオイホノオ
 それは単調だけど重労働なアニメ作り(鞭)がイヤになって疲れ果てたスタッフたちを逃がさないための飴であった。
 大阪府堺市にある岡田邸から、スタッフそれぞれが自宅に帰れる電車のリミットは午後10時前後。そのため、ビデオ上映会は毎晩9時ぐらいから行われた。 #アオイホノオ

岡田斗司夫解説ツィートまとめ「アオイホノオ第8話」 - Togetterまとめ より引用。アマチュアの集団制作において労働力を確保するのがいかに難しいのかというお話の一例でもあろう。今も多くの製作者たちはこうしたモチベーション管理に悩まされているに違いないし、解決策もひとつではないのだろう。だいたいどんなに解決をはかったって本当に嫌なやつはやめていくだろうから(それがアマチュア制作に関わる側の利点でもあるし)どうしようもないだろうが。

創り切ることの脱力感と、その意味

とにかく最悪な環境でいかにしてそうした問題を乗り越えるかといった面ばかり注目してきてしまったが、でもいくらアマチュアでも、下手くそだったとしても、明らかに素人臭い低予算映画だったとしても、創ることでみえてくることもある。最初はさっぱりわからなかったことが、映画にしてとってみることによって「やっぱりダメだね」と理解されたり、あるいはいったん編集した映画でもカットを入れ替えたり省略したり、あるいはちょっと撮り直したりして修正すべきヴィジョンがみえてくるようになる。

下手くそだろうがなんだろうがとにかく作品を完成させるべし、というのはだいたいどんな教本にも書いてあることだが、それはこうして一度完成させた後に全体の問題点を検討することができるからなのだろう。途中までしかできていない段階だと、問題がどこにあるのか、そもそも自分たちが何をやりたかったのかすら見えてこないものだ。

たとえば脚本段階では面白そうに見えたとしても実際にとってみると動きがなさすぎて退屈かもしれない。こんなことはあらかじめそうした出来上がりを想像することができる監督がいれば事前に回避できることだが、少なくとも実際に撮ってみれば「あ、ダメだね」とわかるものだ。いったん走りだし、動き出してみれば見えていなかった問題がぼろぼろ出てきて、具体的な問題に対して具体的な改善に着手することができる。具体的な例がなければ抽象的な観念をあーでもないこーでもないとこねくりまわすだけで終わってしまう。

そして苦労しながら作品が創りあげられたとしたら、それは一つの財産となるのだろう。本作は割合最低な面子で、たいして好きになるようなキャラクタもいないし、作品の出来上がりもきっとたいしたことないんだろうなあ……こいつらプロになれんのかなあ将来……と不安になってしまうようなレベルでしかない。でしかないが、それでも作品が完成した時の心地良い脱力感みたいなものは十分に表現されていて、それがあっただけでも僕は読んで良かったと思った。

ぼくらの映画のつくりかた

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