基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ピクサー流 創造するちから by エド・キャットムル,エイミー・ワラス

ピクサー共同創設者にして現ピクサー・アニメーション/ディズニー・アニメーション社長であるエド・キャットムルによって書かれて(語られて?)構成された本になる。

この手の一流企業経営者の経営哲学、組織哲学的な本を楽しむコツは──、それほどまでにはのめり込まないところにあるだろう。ふうん、というぐらい、話半分、感心するぐらいにとどめておき、理屈的に応用できそうなところは覚えておき、あとは米国一流企業のトップに居る人間だけが知り得たり体験できるような希少な体験談を楽しむ。それぐらいならばそこまで害もないだろう。というのもこの手の人達の「私は決して怒らないようにしている」や「私は人を組織で一番重要視している」のようなご立派な哲学が実際には現場の社員によって「あいつはあんなことを表ではいいながら裏では暴君のように振舞っている」と暴かれることがおうおうにしてあるし、実際こうした本は「プロモーション」、宣伝なのであって、ありのままの話を期待するなんてはなから間違ったことである。

だがそうはいっても、なんといっても、エド・キャットムルである。ピクサーが数々の傑作を、それも一つや二つではなく、出すものすべてのアベレージが一定して突出しており、さらには幾度もの技術革新とテーマ的、手法的に新しい方法を提出してきた組織。そしてディズニー・アニメーションとピクサーの合併後は、ディズニーの暗黒期を乗り越え新たな黄金期が幕を開けている。そこに何か魔法のような経営哲学を期待してしまう気持ちはもちろんある。様々な偶然の要素や単なるプロモーションを超えて、本当の意味でエド・キャットムルは改革を成し遂げているのではないか? と。

で、読んでみたらこれは久しぶりに得心の行く本で、物事を単純な原則に落とし込まず細かな部分がいかにして全体の方向性を決定してしまうのか、そうした細部の問題を叩き潰していく方法について書かれた傑作といっていい内容。基本的にはピクサーをどうやって作っていったのか、何をやった時にどのような問題が起きて、対処のために何をしてきたのか。何がうまくいって、何がうまくいかなかったのか。そうしたことを一つ一つ語っていくわけではあるが、その領域は確証バイアスなどの人間の脳の働きへの考察とその対処法、机や会議の空気づくりまで幅広く及んでいる。細かい部分が重要なのは気を抜けば人間はすぐに上下関係をつくりだし、暗黙のルールのようなものが出来てしまうものだからだし、本当にそうした対処を実践した人間でなければ想像もできないところにまで話が及ぶ、一つの試金石になるからだ。

多くの経営者がいうように「人が大事だ」とエド・キャットムルもまたいう。優れた人……というよりかは、優れた、相性のよい人達のチームがアイディアを考え、それを実行するのだから、アイディアよりも何よりもまず人とその相互作用が大事なのだ。一線を画するのは、人が大事だ、ということを実地に適応させるためにどれだけのことをやってきたのかを延々と書いているところだろう。ほとんどそれのみで本書を一冊構築しているといってもいい。人が大事だ、バランスをとれ、創造的になれ、コミュニケーションをとり、上下関係なくふるまえといってそれをただそのまま社員に対して言ったところで達成されるわけではないから、そこには行動が伴わなければいけないのは当然だ。しかしそれはどこまでの範囲に適応できるものなのか。

こうした難しい事業を解決していく体験談として特に面白かったのはピクサーがディズニーに合併されてから、「何度も殴られ続けた犬と同じでした」とディズニーの監督がいうようなひどい状況にあったディズニー・アニメーションスタジオを改革していく箇所だ。もちろんピクサーの話が大部分ではあるのだが、ディズニーの組織改革に着手したのはエド・キャットムルがピクサーでさんざん組織構築を行い経験を積んだあとであり、方法論があったから改革していく過程がわかりやすい。殴られ続けた犬の比喩が冗談ではないように、確かにその時期のディズニー・アニメはまったく鳴かず飛ばず。いわれてみればこの時のディズニー作品を僕もまるで思いだせない。もちろん作品は発表していたに違いないが、とにかく目に入ってこなかった。

その時のディズニー・アニメーションスタジオとくれば、批評会をやれば誰もが上司の意見に逆らわないような当り障りのない反応に終始し、シナリオの検討会は上層部に棄却され裏でこそこそとやっているような環境だったらしい。シナリオは三部門から、それも作品を創ったこともない人間からさまざまな「指示」が飛び、みながばらばらの指示をとばすため統一感のないアウトプットしか生まれてこなかった。制作の進捗を逐一報告し管理徹底する「監視チーム」まであり、空気的に死んでおり、かつての素晴らしい作品を創りあげた面影はまるで存在しなかったのだという。それはちょっと、ひどいね。

ピクサーチームはそんな状況に乗り込み、制作としてまったくの別ラインを維持しながらも、シナリオの検討会を正式に導入し、創造的な作品を生み出すために邪魔になっていた監視チーム、統一感のない指示の廃止、それからオフィスの見通しまで一から十まで改革に走っていく。こうした改革の面白さは、環境の変化が明らかに制作物、アウトプットの質の変化として反映されているようにみえるところだろう。もちろんこうした改革がそのまま良いアウトプットにつながったのか、それは実際の所わからない。でも確かに「そんなひでえ環境じゃいいもんはつくれないよな」と思うし、こうした環境を整えてやったらみんな元から自力と技術と伝統のある人達なので傑作をつくるようになりましたといったらそんなもんなのかなあとも思う。作品としてはまさにその時期を堺にクォリティを一変させるのだから。

環境を整えるのだと一言でいっても、これは終わりがない行程だ。企業は常に変化を続けるものであり、30数名の小さな企業だったピクサーも1000人を超える大所帯となれば問題の質もまた変わってくる。エド・キャットムルもジョン・ラセターも伝説的な大物になり、ジョン・ラセターにあこがれて入ってきた人間がシナリオをブラッシュアップする会議で、彼を差し置いて否定的な発言できるかといえば難しいだろう。たとえこの問題を叩き潰したとしても、またすぐに別の問題が立ち上がってくる。こうした企業の運営というのは、延々と終わらないもぐらたたきのようなものなのだろう。ただしその過程で優れた作品がぽこぽこ生まれて来るもぐらたたきではあるが。だからこそ企業には、そうした問題に絶えず対処し続ける粘り強さが必要とされる。

私がこの本で伝えたかったのは、ピクサーとディズニーがどのようになし得たかではなく、我々が時々刻々どのようにして見出し続けているか──我々の粘り強さを伝えることだ。未来は到達点ではなく一つの方向だ。だから正しい進路を決めるために日々努力し、迷ったら修正するのが我々の仕事だ。もう次の危機がこの角まで来ているのを感じる。活気に満ちた創造的な文化を維持するためには、一定の不確実性を恐れてはならない。天候を受け入れるように、それを受け入れなければならない。不確実性と変化は、人生につきものであり、そこが楽しいところでもある。

ピクサーとスティーブ・ジョブズ

これがメインの本ではないが、当然ながらスティーブ・ジョブズについても触れられている箇所が多い。ピクサーはもともとルーカスフィルムから売りに出されたまま長い間買い手のつかなかった企業であり、スティーブ・ジョブズは手をあげ買収した。アップルから退社させられたばかり、ジョブズはまた別件(NexT)で動いていたのでピクサーについては直接的な関与者というよりかは擁護者であり、養育者であり、価値を見守り育て上げた最重要人物だった。ピクサーはスティーブ・ジョブズ抜きでは生き残ることが出来なかっただろう。

全般的に「率直に語っている」と思わせる本作だが、スティーブ・ジョブズとの絡みでもそれは変わりない。彼が出会ったばかりのスティーブ・ジョブズはまだ若く、アップルから追い出された敗残者だったがその強烈さはまるで変わっておらず、常に理想に向かって突き動かされていたようだ。そしてその突き動かされ方が尋常じゃなかった為に、エド・キャットムルは年に一度以上は、スティーブ・ジョブズがいて生き残れるかどうか不安に感じたと書いている。まあ、伝記やここに書かれている描写を読むだけでもスティーブ・ジョブズと一緒にやっていくのはまるで悪魔との契約のように感じられることはなんとなくわかる。圧倒的な才能と圧倒的な副作用。ひらめき豊かで行動力があり、そして洞察力もあったが、人に対して見下すような態度をとったり無茶苦茶で手に負えない時もあった。

破壊的な天才であり、異常さと裏表だったというのが、おおまかな評伝で描かれていくスティーブ・ジョブズである。本作で特に心に残ったのは、複雑なスティーブ・ジョブズという人間を、複雑なまま捉えようとしているところだった。確かに無茶苦茶な態度、人を見下すような発言をすることがあった。しかし熱意と理屈を持って言い返せばそれが受け入れられることがあったこと、彼とやっていく上でのいくつかの重要なルールについての発見、そして何よりピクサーとジョブズが出会ってから二十年以上の歳月において、ジョブズがどのように変化を遂げていったのかも語られる。最終章『私の知っているスティーブ』では、お話として単純に引きつけやすい極端な一面とはまた別の、もっと微妙な部分をとりあげている。

 人は、感情と理屈を相容れないもののように捉えがちだが、スティーブは違った。出会ったころから、彼の一番の判断基準は熱意だった。最初こそ侮辱的で極端な主張をし、反論してみろと挑むような不器用な表現方法しかできなかったが、ピクサーでは黒字転換するずっと前から、我々のほうがグラフィックスや物語を理解していると認識しており、彼の貪欲さは和らげられていた。彼は、初のコンピュータ・アニメーションによる長編映画をつくるという、我々の決意を尊重した。仕事のやり方について指図しなかったし、自分の望みを押し付けることもなかった。我々がどうやって目標を達成したらよいかわからなかったときでさえ、我々の熱意を認め、評価した。最終的にそれがスティーブ・ジョブズとジョン・ラセターと私をつなぐ絆になった。卓越性を目指す情熱──その情熱の激しさゆえに、意見をぶつけ合い、苦悶し、どれほど不快な状況に陥っても、一緒にやっていこうという覚悟を決めていた。

僕は出版されるほとんどのジョブズ語り系の本を、特に何かを吸収しようと思ったわけではなくただなんとなく読んでいたが、本書ではじめて泣かされることになった。上場のための営業に走り回り、時としてピクサーを売ろうかと悩み、偉大な発明者としてではなく偉大な庇護者として存在していたスティーブ・ジョブズのピクサーでの役割を読んだ時に、こんな言い方が正しいのかどうか微妙なところなのだが、その時の実感をそのまま言葉にするとしたら「はじめて人間としてのスティーブ・ジョブズを読んだ」という感覚を持った。

組織づくりの参考にする──には特例すぎるのでどうかと思うが、ピクサー史としても読める、立ち直ったディズニーがいかにして再起を果たすのかの再建記としても読め、さらにはスティーブ・ジョブズのピクサーでの役割を読むにはコレ以上最適な本もないだろう。様々な愉しみ方ができる良い本だと思った。

ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

  • 作者: エド・キャットムル著,エイミー・ワラス著,石原薫訳
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2014/10/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (1件) を見る