諸君らはこんなブログを読んでいるぐらいだから「小説とはなにか」と聞かれたらせせら笑いながら「こいつ、小説もわからねえのか、カスが」ぐらいは言ってのける存在であると僕は考えているが、実際問題「小説とは、どこからどこまでのことを小説と呼称する」のかということをよくよく考えてみたことはあるか。あまりそうしたことを考える機会は、多くないだろう。何しろ小説といえば小説であり、漫画といえば漫画であり、絵本といえば絵本であるから、そんなことは深く考える必要はないのだ。文字がぎっしり詰まっていれば小説であり、絵がほとんどで文字がちょろっと載っていてページ数が少ないのが絵本で、絵がコマで割ってありゃあ漫画だ(ざっくりだけど)。
じゃあそれを考えさせられる時というのはどんな時かといえば、その常識が破壊された時だろう。たとえば本作は一般的にライトノベル・ジャンルと呼称される作品群を排出している「電撃文庫」から発刊されている。ライトノベルとは通常挿絵のついた文章が主体の小説作品のことを指している。ならば本作も当然小説でありライトノベルなのであろうと思うかもしれないが、本作は作品内に図を取り入れ、絵を取り入れ、インタビュウを取り入れる。絵を入れただけ、図を入れただけならライトノベルの一般的な事象だ。しかし図や絵がページのほとんどを占め、それが笑いを生み出すトリガーとなり、文章はそのトリガーの補足、あるいは増幅装置として機能している、つまり図や絵が主であり文章が従であるときにそれを「小説」とカテゴライズしていいのか一瞬ためらうことになる。
というか、それは明らかに小説ではないだろう。だが。長々と前置きしてしまったが諸君らは何の為に小説を読むのかといえば、基本的には楽しむはずの為であろう。悲しみだったり喜びだったりと求めるものはさまざまだろうがエンタテイメント作品を求めそこに広い意味での楽しみを求めていることに違いはあるまい。そうであれば別にそれが小説であろうが小説でなかろうが、ライトノベルであろうがライトノベルでなかろうが、楽しければそんなことはどうでもよかろうなのだ、という気分になってくる。というわけでここまでの話はいったん忘れてもらいたい。ここにあるのは純粋に面白い発想の固まりとそれを紙の上で縦横無尽に表現する技術だ。
さて、それでは──と無秩序に面白かったものを紹介していってもいいのだが、それでは芸もない。独創短編シリーズと名付けられている本作の「独創」をある程度パターン分けして、1パターンにつき1つぐらいの割合で紹介していくことにしようか。まだどんなパターンがあるか考えてもいないのだがたぶん4パターンぐらいに収まるのではなかろうか。
図や写真を挿入するパティーン
図や写真が多様な使われ方をされていくパティーン。たとえば『ワイワイ書籍』は明らかに「ニコニコ動画」を意識した短編で、電子書籍にさまざまなコメントが入れられるようになっており(今でもニコニコに似たようなサービスはあるが。)小説の本文上にさまざまな「内容を妨害したりおちょくったり職人が現れたりする」のを絵(というか図というか)で表現している。他タイプとしては『大相撲秋場所フィギュア中継』で、力士の肖像財産権が認められテレビ放映ができなくなり、その代わり中継をフィギュアでおくるようになった話などがある。こっちは3Dモデルでつくったような力士の取り組み再現を様々におちょくってみせる。
う……うう、文章だけだと伝わらんな……どっちも「文章を一文も読まなくてもページをめくった瞬間に笑う」系の作品なのだけど、言ってしまえば出オチ系の作品である。まあ、野崎まど劇場はほとんど出オチ系の作品であると言ってしまってもいいぐらいだが。他にも魔王が勇者がくる為にそなえて2Dダンジョンに適切な難易度の罠を仕掛けるのを図で延々と説明しながら描く短編や、家から持ってきた角で一手目から王手をかける夢のような将棋を、盤面を図として載せながら解説していく実況など、ここでは「図や状況の再現=ボケ、文章=その実況・解説・説明・ツッコミ」パターンが一つ確立されている。
これが面白いのは図や絵なので一瞬でギャグが伝わるのと、ツッコミと説明はそれに対して文章で充分な量が行えるところかな、とボケを冷静に分析したところで寒くなるだけなんだが。「これは電撃文庫だぞ! 一応小説レーベルだぞ!」というメタ的なツッコミを常に入れざるを得ないのも笑いに拍車をかけているように思う(だからry)。
普通配慮してやらないことをやっちまうパティーン
対してこっちは一般的な意味での小説であることが多い。要するにほとんど文章で、物語が構築されているパターン。だが普通遠慮してやらない部分へ積極的に足を踏み入れていく作品達だ。たとえば野崎まど劇場の『妖精電撃作戦』は『アクセル・ワールド12』を買ってきて電撃の缶詰がいらねーからといって捨てたら電撃の妖精が出てきて怒ると電撃に喧嘩を売るような短編だし(実際ボツを喰らった)、そのすぐ後ろに載っている『第二十回落雷小説対象 選評』はそのまんま、選評をいかにしてくだらなく書くかに特化した短編でめっちゃアスキー・メディアワークスとか社名が出ている(これもボツ)。
電撃文庫Magazineに載せているものを収録しているのでボツ原稿という概念が存在するのだ。そのボツ原稿がけっこう多いので「作家も大変だなあ……」と思う。文庫に収録されているからいいんだろうが。そして(笑)に至るとついに他社のボツ原稿まで収録するようになるのだが……それはまあいいだろう。身内いじりだけならまだしも野崎まど劇場(笑)に収録されている『麻雀出エジプト記』はヤハウェとエジプト王パロ、モーゼがイカサマ上等(このメンツでイカサマも何もない)の麻雀をする話で、もうこの紹介文だけで狂っているが中身もアホだ。
モーゼはヤハウェにチラリと目を向けて判断を仰いだ。エジプト王パロは相当に目敏い。彼の目が張っているうちは、”芸”は使えないだろう。どうやって戦うのですか、主ヤハウェよ。
『(モーゼよ)』
突然モーゼの頭の中にヤハウェの声が聞こえた。通しである。
『(杖を高く掲げて、手を海に伸ばしなさい)』
モーゼは言われた通りに手を伸べた。すると激しい風が吹き荒れ、海は二つに割れた。
「海が」
エジプト王パロは驚愕し立ち尽くした。エジプト人もまた目の前の奇跡に恐れ慄いた。ヤハウェは八枚ぶっこ抜いた。
まずヤハウェが「こいつ! 直接脳内に!」語りかけてくる唐突さにも笑えるし、「通しである。」の無情さにも笑えるし、ヤハウェは八枚ぶっこ抜いたの起こっている事象の大きさと相対かして圧倒的くだらなさが笑える。一応それぞれの逸話に基づいて話が構築されていくのも憎らしい。あとこれ、麻雀放浪記のパロディだな。雰囲気しか残ってないけど……。ちなみに麻雀牌の並びが図として表示されるので図や写真を挿入する複合パターンでもある。
ただただひたすらにくだらない発想を追求するパティーン
これも基本的には一般的な意味での小説であるが、ただひたすらにくだらない発想を文章にしてしましたみたいな出オチ感満載の短編群。野崎まど劇場は全部そうだろといえばそんなような気もするが。たとえば野崎まど劇場(笑)収録の『全年齢向官能小説 人妻悦料理 〜媚猫弄り地獄〜』は何一つえろいことをしていないのに無駄に蜜壺を出現させたりアンという名前の猫を出して、文字情報で表現することで普通の状況をとても卑猥にすることを追求したアホみたいな短編である。
同じく(笑)収録の『二十人委員会』はシュタゲ世界観やエヴァ世界観などのような「顔が出てこねえけどなんか意味深げな会話をしている偉そうなやつら」を描いた作品だが、みな爺の為入院した爺に変わって孫が出てきたり、うまくパソコンを使えない爺さんがいたりぐだぐだな委員会を描いていく。これも完全に一発ネタだ。今ここに続けていくつか別短編の紹介を書いていたのだがあまりにもくだらなくて消してしまった。まあそんなような短編が揃っている。
このパターンの亜種にその時流行っているものを取り込んでギャグネタとして使い尽くしていくパターンもある。たとえば(笑)の方のトップバッター『白い虚塔』はタイトルからしてアレのパロディだが中身は「小説家になろう」ネタだ。自分の医療行為をアップして視聴者はそれを気に入ったらブックマークしたりポイントをつけたりできる。主人公はまったく伸びない自分の虫垂炎開腹手術に、「やはりランキングに載るためには『お医者さんになろう』ユーザーに受ける医療をしなければいけないのか……いやしかしそんな医者としての責務を捨てたような……」と悩んでいく。
うん……『小説家になろう』そのまんまやったらあまりにも直球で痛々しいが、お医者さんになろうだと……アリ……かな……??
本来小説を仕込まない場所に小説を仕込んでくるパティーン
たとえば電撃文庫の裏ってなんか小道具やちびキャラみたいなのが描かれていたり、あらすじが書かれていたりするものだが本作はそこにもくだらない小説が載っている。笑じゃないほうは『裏表師〜文庫裏稼業世直し帳〜』といって背表師と裏表師が出てきて行を消費しながら戦う不毛なバトル物だ。笑の方はカバーをとってカバー裏をみると文字がぎっしり詰まっているのだが中を読まなくても一目のインパクトで笑える。そこには『長文伝奇小説 『ブラッドエコー ─吸血鬼操作感ディライト・バースディー』』という短編が載っているのだが、「長文伝奇小説ってそういうことかよ!!」と思わずツッコミを入れざるを得ない内容だ。
当然笑がつかない方のカバー裏にも仕込まれているし、本来であれば他の電撃文庫作品を紹介している最後尾のページ数調整ページにまで小説がぎっしり詰まっていて「その点野崎まど劇場ってすげぇよな、最後まで物語たっぷりだもん」とでもいうような充実ぶり。なんというかねー、ここまでやられるともう中身がどうとかじゃなくて試みそれ自体に笑っているので中の本文がどうとかいう地点を超えているんだよね。ぺらぺらとめくっていくとあまりにくだらなく、しかしかつて読んだことのないものだから刺激されたことのない部分を押されて変な笑いが出る。
おわりに
一巻が出た時点で「これは……面白いが、続けられるのか……?」と懐疑的だったので書いていなかったんだが、二巻でマンネリ化するどころかさらに切れ味を増していたので紹介するハメになった。こいつは天才ですぜ。方向性があるとすれば一貫して「文庫というフォーマットで、できることはやっておこう」という挑戦を行っているあたりか。もちろんこれまでにもフォントをイジったりページをマスで区切ったりページを時間単位で分割してみたりと実験を試みてきた歴史が小説にはあるわけで、本作をどこまで「独創」であり「新しい」と評価できるかは(歴史をすべて知るわけではない僕には)難しいところなんだけど。
うん、でもとにかく面白い短篇集だ。小説であるとかないとか、新しいとか独創であるとか、その辺のことは保証しかねる。しかし面白さ、そして笑いへの鋭さだけは保証しよう。笑いとは基本的には常識とのズレ、乖離、または常識を別の角度から見た時の「予想外さ」から生まれるものだが、野崎まどさんの「常識をいろんな角度から捉える発想の自由さ」は群を抜いてすさまじい能力だと思う。
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