基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

帰還兵・独創短編・SFマガジン

雑談

2015年2月のまとめ記事になります。読んだ・観たものを記事にしたものもしていないものも含めて総まとめにしようのコーナー。2月終わるの早すぎるよ!? と驚愕しているところであるけれども、まあ28日しかないから、それも仕方ありません。アニメもそろそろ佳境、話のまとめに入ってきてはやく3月終わらないかなあと思う気持ちもあるけれど。といっても今ちゃんと毎週追いついて観ているのってSHIROBAKOしかない。ユリ熊嵐と四月は君の嘘とシンデレラガールズだけはなんとか追い付きたいところ。どれもめちゃくそ面白いからなあ……。Gのレコンギスタとアルドノアもなんとか……。

2月に何があったかといえばまずcakes版SFマガジンが更新されております。
SFというよりかは基本は現代物で最後でグッとSFの領域に踏み込んでくるような話ですけれども、それがまあ「いま・ここにある危機」として伝わってくるお話ですね。無理があるというか、なんで? というところも最後までいくと「ああ、これがやりたかったのね」とわかる感じ。特に異常なバカなわけでもない、かといって凄い能力のあるわけでもない、SNSに翻弄されテクノロジーに翻弄される「普通の人」が善意で推し進めていった先に何があるのかと書いていて、なかなか恐ろしいですね。

で、もう一個
SFマガジンに3ページ書いています。こっちはまあ、詳細は記事にて。僕の記事はまあ適宜参考にしていただければと思いますが2015年4月号はハヤカワ文庫総解説。普段日の当たることのない作品にまでちゃんと人の手が分け入って仔細検討している感じがして面白いですよ。紹介にも書き手一人一人の個性が反映されていて、作品への興味というよりも紹介者への興味で読めるのも良い。ぱらぱらめくるだけで愉しい感じ。この「ぱらぱらめくるだけで愉しい」って、雑誌では最高の褒め言葉だと思うな。

さてさてさて仕事の告知ばっかして文字数が埋まってしまっているのでとりあえず全体的に振り返ってみると……うーん、特にいうことはないな。それぞれ面白い本を読んだけれども、特段何かの傾向があるわけでもない。『帰還兵はなぜ自殺するのか』と『アメリカン・スナイパー』の映画と文庫は一緒に読んだほうがいいかな。映画も面白いんだけど、やっぱり改変が多いから(映画的に盛り上げ過ぎ)原作を読んでおいたほうが現実が歪まないと思います。それはまあ後ほど詳しく。

小説

小説の2月トップバッターとして読んだのは『図書館の魔女 鳥の伝言』でこれはまた素晴らしかった。濃密な森のなかに分け入っていくような感覚、そしてその中で生きるとはどういうことなのかを丹念に取り上げていく。新人二作目の能力とは思えないような「世界を描いている感覚」が凄い。言葉をしゃべることの出来ない鳥遣い、どいつもこいつも嘘をつき「本当のこと」がわかりづらくなっている世界で、言葉の機能と効用と限界がどこにあるのかがあらわになっていく。

同シリーズの前作である『図書館の魔女』と比べると、特に図書館が出てくるわけでもないし、本が出てくるわけでもない。主要メンツすらほとんど出てこない有り様だけれども、明確に世界観を共有しており、前作の舞台から遠く離れた辺境にまで、前作の行いが伝わり、大きな影響を与えていることが描かれていく。これによって図書館の魔女世界観がグッと広まったなと思います。

もう一つグッときたのが『独創短編シリーズ(野崎まど劇場)』ですね。野崎まどさんによって書かれた短編小説群だけれども、まあ独創短編なんてついていることからもわかるとおりにただの短篇集ではない。小説を文章が主で物語を語っていく形式のことをいうのならば、本作は図や絵や写真を主軸にして語ったものも多くあることから小説ですらありえないが、しかし「じゃあ何なのだ」と言われれば「なんなんだろう、だがとにかく笑えるのは間違いない」と答えるほかない「何か」である。今まで想像したこともない角度からぶん殴られる短篇集だ。

いちおう記事を書いたけど、正直とても悔やまれる。この短編集について本気で記事を書く、立ち向かおうと思うのであれば僕もまたこれに匹敵するほどの独創レビュー、もしくは独創書評で立ち向かわねばならなかった。僕は日和ってありきたりで無難な「いつもの」文章を書いてしまった。すぐにリベンジしたいところではあるものの、いかんせん何も思いつかん! 次が出るまでじっくりと頭の中で練り上げて、勝負を仕掛けようと思う。

もう一つ忘れちゃいかんのが上田早夕里さんによる『薫香のカナビウム』。日本ではありえず、地球であるのかどうかすら怪しい深い森の中に住む、特殊な習慣を持った人間のような種族たち──。巨人や香りで道ができる香路など、幻想的でファンタジックな世界観の提示とともに幕を明ける本作だが、物語が先へ進みその世界の裏側に流れる歴史、ロジックが明らかになった時、まったく別の姿がみえてくる。この認識がガラっと切り替わる瞬間が鮮やかで素晴らしい。

ノンフィクション

ノンフィクションはまた豊作というか、語りがいのある作品が揃っている。まず『オートメーション・バカ』。単純にオートメーションに頼りすぎると、その分人間がやらなくなるから、能力が養われなくていざって時にぜんぜんできなくなるよ、マジで。というだけの話を延々といろんな事例を引きながら検証していく本だけれども、どのような解決策があるのかまで含めて面白い話だ。

たとえば飛行機のパイロットなんか今やオートでほとんど飛ばせるから技能的には全部自分でやっていた時と比べて大きく劣っているという。それはまあもちろんいろんな例外があるだろうけれども、その通りだろう。その時突然オートパイロットが事故って人間のパイロットが代替できなかったら怖い。だったら──と解決策として模索されているのが、「時折人間に処理を戻す」システムの構築で、ようは技能が低下しない程度に人間に仕事を割り振り、あるいは人間が操作で忙しくなってきたらシステムが引き受け、楽になったらある程度の操作をフィードバックするみたいな可変的なシステムだ。

こういう本を読んでいて「なるほどなあ」と思うのは、ようはどこにでも「バランスをとろうとする流れ」ってのはあるんだよなってことで。最初に紹介した『ザ・サークル』なんかもそこら中に監視カメラをつけて、人間の行動も全部アップロードすれば犯罪起きないじゃん! というスゴくシンプルな形の監視社会を提起している。で、それはまあ確かにそうだろうけどという。けどやっぱりあんまり導入されても困るよねってのもあるし、「そうそう簡単に小説みたいにはならない」流れも確かにある。

で、操作をシステムと人間でシェアするシステムが模索されているように、監視カメラや盗聴なんかも「ずっとその場にいて監視している意味」があるのかって話ですよね。もちろん現時点では将来的にどう転んでいくのかわからないけれど、結局、将来的にはどっかしらのところでバランスがとられていくのだろう、それはSFなどで描かれるような「わかりやすい未来」とはまた違う形として現れるのであろうと思う。

続いてノンフィクションで紹介するのは『偉大なる失敗』で、これは科学者が犯した、ただしその後の科学史に大きく貢献したような「失敗」を取り上げた一冊。それまで立派な業績を積み重ねてきた人であっても──、だからこそ、というべきなのかもしれないが、自分自身が発想した素晴らしいアイディアに固執し、明確にそれを否定する事実が出てきても認められなくなってしまう。

科学者は「事実」に重きをおかなければならない職業であるといえる。しかし「この世でまだ発見されていない、新しいこと」を実証し、確かめるためにはいったん確証を持つことの出来る「事実」からリフトオフしなければいけない。それこそが時として科学者の道を踏み誤るきっかけになることがあるのだろう。もちろんアインシュタインのように見事な引き際を見せる科学者もいるが、そうではない科学者もいて、むしろ我々が多くを学べるのは引き際に失敗した科学者たちではなかろうか。

ミチオ・カクの新刊。安心のミチオ・カクである。心の未来と書名まんまの内容で、我々は自分の精神を将来的にどのような形で処理できるようになるんだろうという疑問に対して、可能性を提示してくれる一冊。例えば今なら、BMIのように脳波で物を動かすこともできる、マウスのレベルでなら記憶の操作や植え付け、行動の操作などほとんどマインドコントロールみたいなことも実現できている。もちろんそれがすぐに実用化されるわけではないにせよ、こうした事実の一つ一つはを提示されると、何にせよ夢は広がるよね。ミチオ・カクのポピュラー・サイエンス本はどれも面白いので、(本人がSF好きなこともあって特にSF好きにはハマると思う)興味がある人は探して読んでみるといい。

ライトノベルとか漫画とか


西尾維新さんの新刊『悲録伝』が出た。これねー、能力バトル物の傑作なんですよ。第一作目こそちょっとヘンテコなヒーロー物? って感じなんですけど、第二作目からは舞台を四国にうつし、全四国民を巻き込んだ(そしてほぼ全滅させて)魔法少女バトル物に変質してしまうのです。で、この魔法少女が血で血を洗うような凄惨極まりないバトルを──というとちょっと語弊があるけれども、をたぶん一冊30万文字ぐらいありそうなノベルスを5冊(合計150万文字? 一般的な長さの文庫がたぶん12万文字〜14万文字ぐらいだから10冊分ぐらい?)も使って書き尽くしている。

この話のものすげえところは、「作戦検討」に時間を使うところ。自軍の魔法少女の固有能力は何なのか、相手の能力はなんなのか、情報がなければ情報を得るために行動し、地形効果的に敵の有利な場を避けたり、そもそもの戦略目標・勝利目標を都度刷新したり、陣容や並びを考察しそうしたありとあらゆる「事前作戦」を延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々延々と検討していくのである。僕の説明を読んで「そういうのが読みたかった!」と思う人はすぐに読んだほうがいいし、いまいちピンとこないしそんなに長いと読むのがきついと思うのだったらやめておいたほうがいい、そんな本である。人生は有限でぼうっとしているとあっという間に過ぎ去ってしまうのだから。

クジラの子らは砂上に歌う 1 (ボニータコミックス)

クジラの子らは砂上に歌う 1 (ボニータコミックス)

あとまだ記事を書いていないんだけど(出ている分全部読んでないから)、『クジラの子らは砂上の歌う』って漫画がめちゃくちゃおもしろいです。まず絵がうますぎる。見開きの絵なんかあまりに凄まじすぎて漫画なのに絵に見入ってページをめくる手が止まってしまうぐらいだ。それでいて一枚絵として素晴らしく漫画としては微妙というわけでもなく、一枚の中に壮大なストーリィと「その次がはやくみたい」と思わせられる想像力のトリガーに満ちている。

砂がすべてを埋め尽くした世界で、砂の海に浮かぶ巨大な漂白舟『泥クジラ』で暮らす人々の世界を描いていくお話なのですが、まあなんというかこの文字列の並びだけでグッときますね。それは既に読んでいる僕だからこそ絵を想起してそう感じるのでしょうが、「砂がすべてを埋め尽くした世界」や「泥クジラ」を言葉だけでなく「絵」で、「ああ、そういう世界なのか」と納得させられる力がある。そんな世界の成り立ちと、その世界で暮らす不可思議な人々の葛藤を軸に物語が展開していきます。まあ詳しくは今度記事に書きましょう。とにかく、素晴らしい事は間違いがない。

映画



『アメリカン・スナイパー』観てきた。原作であるところの『アメリカン・スナイパー』はもちろん、『帰還兵はなぜ自殺するのか』についても副読本としてぜひ。まず映画の話からすると、戦場の描写の緊張感も去ることながら、現場で最強のスナイパーとして活躍したクリス・カイルが家に帰ってきた時に日常とまったく同化できていないところの描き方が素晴らしかった。戦場では目の前で同僚が死に、自分もその手でパスパス人を殺す。家に帰れば無防備な人間がそこら辺を歩きまわり、きゃっきゃうふふと危機感もなく楽しそうにしている。

クリス・カイルはしかし、わかりやすく狂っているのではない。表向きはジョークも言うし、楽しげに子どもたちと触れ合っていて、受け答えもちゃんとしている。戦場から帰ってきてもちゃんと生活の基盤を立て直した、グッドガイにみえる。しかし常に眼と身体は緊張感を保っている──目の前で展開している現実と、頭のなかの現実を合わせられない決定的なズレ、襲い掛かられたら即座に反撃できるような警戒心、その気になれば目の前の危険を即座に排除できる準備があると全身で訴えかけてくる。

映画をみていると日常にいるクリス・カイルは完全に「異物」であり、戦場にいるクリス・カイルこそがむしろ「自然体」に見える。それを極端な演出など使わずに、あくまでも自然に、絶妙な演技と撮り方で差別化してみせた役者の人(名前わからん)と監督のイーストウッドに驚きました。ただあまりにドラマチックにもろもろの要素が改変されてしまっていて、「実話」というにはちと離れすぎているんではないかとも。だからこそ映画をみたらキチンと原作まで読んでほしいところです。今なら文庫も出てますしね。

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

おわりに

こうして振り返ってみると28日しかないわりには密度が濃い月だったなあ……。SFマガジンも出て連載も始まったし……。3月のまとめでは観ていたアニメの総評なんかもやりたいところです。あと他にもいろいろと始まりそうな予感も。だんだんやることが増えてまいりましたがその分濃くやっていきたいところです。ではまた次月。