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能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫) by ドナルド・キーン

能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫)

能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫)

森博嗣さんの小説『マインド・クァンチャ』の引用本。この小説シリーズは、武士道、葉隠、茶の本など日本人によって書かれた古典的な日本文化(主に武道系)の内容が多かったから『能・文楽・歌舞伎』が引用本に選ばれていたのは多少意外に思った。けれどもよく考えて見れば引用が常に英文とセットで書かれていたりする「日本の時代物を外からの視点で捉える」というかなり広めの距離をとった時代小説の書き方の読み味は、このドナルド・キーンさんによる外部からの日本の超ローカルな伝統芸能への視点と重なるものがある。

能、文楽、歌舞伎と日本でも今や好んで見る人も少なくなってしまった芸能だ。僕も、まったくみたことがないのだが、それでも本書の半分を占める能についての文章は驚くほど面白かった。もちろん、なんの前提知識もなく、興味もないままに連れて行かれたらつまらないだろうと思う。しかしこうしてその裏側に流れている長い歴史と、能における面の役割、儀式的な役割、宗教との繋がり、そうした幅広い「背景」まで含めてこうして紹介されていくと(そういう本なのだ)、俄然興味が湧いてくる。その特異性と、どこまでも日本的なローカル性に。

ドナルド・キーン氏によれば日本の演劇の特異性の一つは、演劇の伝統が一度も途絶えたことがないことにある。たとえばギリシャ悲劇の場合、日本の演劇よりも歴史は古い。古いが、その歴史は一度完全に途絶え、ルネッサンスの時代に復活した時に、それが果たして元のやり方かどうか誰もわからなかった。原文はわかっても、舞台での動きや音楽は伝統が切れたために曖昧なのだ。一方で日本の場合、昔のままとはいえないだろうけれども、それが全盛を保っていた時代から現在に至るまで、いつもどこかで能が上演されていた。歴史が持続し、変更を加えながらもその流れを保っているのである。

彼が日本に留学した時(1953年)には、能の衰退が予言されていたのだという。「若い人たちはこんな舞台劇を好まない」などといって。しかしそうではなかった。『それどころか、能は今では世界の能になりました。』能はアメリカ公演(いずれも盛況だったようだ)など、世界へと愛好者を広げ、演劇や舞台芸術に興味を持つ一部の好事家を中心に人気を博した。日本人の大多数は当然ながら能をよく見るわけではないが、その代わりといっていいのか、世界でも類をみないほど「超ローカルな」伝統を携えた舞台芸術の希少性と、それだけの年月を生き残ってきた、「普遍性に」世界に少しずつでも魅せられる人がいるということなのだろう。

日本の伝統芸能といっても殆ど現代の我々からすれば無関係なものである。だからこそ外部からの視点で、海外の人間に紹介する為に書かれている距離をとった文章の視点の方がむしろよく同調することができるのかもしれない。無論、ドナルド・キーン氏の描写が卓越していることはある。能や文楽といったものは、本式に楽しめるようになるにはある程度の準備が必要だが、その前提となる知識を驚くほど生き生きと、歴史とその変転を含めて描き切ってくれる。

数ある舞台芸術の中でも観客に最も多くを求めるのがおそらく能であろう。詞は中世の詞であるのみならず、さらにそれ以前の古典からの引用にも満ちているために、たとえ極めて明確な発音で謳われたとしてもなおかつ分かりにくい。能楽師は写実的で芝居がかった表現を一切拒絶する。そして、観客の方も能面から見え隠れする、たるんだ顎の年配の能楽師がよろめく足取りと震える声で美しい少女を演じても不思議とも思わず、また、子方が勇敢な武士に扮して悪霊に立ち向かい、甲高いその声でおののく味方の者たちに向かって怖れることはないと諭し励ます場面でも失笑を漏らす者もいない。見栄えのしない顔をした能楽師たちも能面をつけることによって神や美しい女と思えるようになり、この点では現実的な色合いを帯びるが、変わることのない静の表情が怒りを湛えたものか、それともむせび泣く様子か、あるいは宿命に身をまかせたものなのかは見る者の眼によって変わるだろう。そして、能の魅力は決して知識人やその道の通といった審美化だけに訴えるものではなく、多くの観客を涙に誘い、忘れがたい痛切な思いを残すのである。

面にも意味があり、一つ一つの立ち振舞にも伝統がある。1400年、1800年、1900年に2000年とだんだん歴史をたどって、足利義満と能の関わり、豊臣秀吉と能、歴史上の偉人たちとも含めて話題が尽きないのはなんというか簡単に時間スケールを越えていく面白さがある。もちろん文学など、文字で書かれたものはその何倍もの時間を生き残っているわけであるが、舞台芸術はその瞬間の芸能であり、当時と今で全く変わらないものを受け取れるわけではないから、シームレスに繋がっているのは不思議な感じがする。本書を読む前に能や文楽に誘われていたらなんの葛藤もなく断っていただろうが、今では喜び勇んでいくだろう。本ってのは一歩も動かないままに興味範囲を広げてくれる効果があるから素晴らしいものだ。

長年続いてきた舞台芸術だからこそ、なんというかそこにはあらゆる芸術が直面するであろう数多くの「教訓」みたいなものが含まれているように思う。観客の質(目が肥えているからこそ、演者のモチベーションに繋がる)と演者の両輪の関係など、いろんなものに応用できる話でもある。古くさい、表面的には現代の価値観にそぐわないように思える内容が逆に広がって少数ながらもファンを世界に獲得している構造それ自体に学ぶところも多い。何よりドナルド・キーン氏の、ニューヨーク生まれでありながら日本演劇に魅せられ、のめり込んで興奮していく熱狂が伝わってくる、良い一冊だ。