基本読書

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歴史上の偉大な作家らが高等知的生命体によって蘇り、創作の、読むことの本質に迫る、第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作──『標本作家』

この『標本作家』は、ハヤカワSFコンテスト、その第10回目の大賞受賞作である。著者の小川楽喜は元グループSNE所属で既刊も存在する作家だが、今回は新人賞であるSFコンテストに作品を応募し、一次選考からはじめて見事受賞まで至っている。

SFコンテスト受賞作としては珍しい単行本形式での出版であり、期待値はもとから高かったが、読んでみればこれは確かに単行本で出したいよなあ! と思わせてくれる創作と読むことについての重厚な小説であった。優れた幻想/終末SFであり、虚構に耽溺することで現実と虚構の情景が入り混じっていく、そんな感覚が見事に表現された作品だ。ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作の歴史の中でもまた異なるタイプの作品で、好みは分かれるだろうが、かなりおもしろかった。

あらすじや世界観など

物語の舞台は西暦80万年のはるかな未来。玲伎種(れいきしゅ)と呼ばれる高等知的生命体によって地球は支配されていて、人類はとうに滅亡済みだが、ごく少数の人間だけは再生され、保存処置を受け、玲伎種の保護下で日々をおくっている。

では、いったいどのような人間が「保存処置」を受けることができたのか? といえば、そのひとつのパターンが「作家」だ。玲伎種はほぼすべての面で人類を上回っているとされるが、中でも芸術の分野では人間に学ぶべき部分があると感じているらしい。そのため、玲伎種らは芸術的に秀でた人間を過去にさかのぼって探し出し、不老不死の肉体やその願いをひとつだけ叶えることを条件に「復元」している。

作家の収容所で今も残っているのはロンドンと同じ場所に創られた〈終古の人籃〉と、極東の島国である日本に存在するとされる施設のみ。本書では、中でも終古の人籃に収容されている文人十傑と呼ばれる作家らを中心に進行していくことになる。

文人十傑

さて、彼らは蘇ってまで何を書いているのか? 生前のような作品を続けて書くのか、この時代ならではの作品を書くのか。彼らは、玲伎種に何を望んだのか? 他の人間がいなくなって、自分自身の死すらも訪れなくなった環境で物が書けるものなのか? その執筆に終わりはあるのか──玲伎種が満足、あるいは不満を爆発させ作家を殺す結末までふくめて──と、様々な疑問が湧いてくるが、本作では「巡稿者」と呼ばれる実質的な編集者の視点を中心に、作家らの物語が語られていくことになる。

巡稿者である語り手は、作家らの居所をまわって原稿を集めるが、玲伎種らにそれを提出してもその評価はかんばしくなく、質は年々落ちている。ヒトの創造力が衰退してしまえば、それを目的に保存処置を行ってきた玲伎種らもヒトをもはや完全に滅ぼしてしまうだろう。はたして、それを回避するすべはあるのだろうか。

巡稿者は状況を動かす一手を打つことになる。これまで、蘇った作家らは〈異才混淆〉と呼ばれる、館内に居住する人間の才能や作風を感じ取って、それを自分のものとして認識できる精神状態が玲伎種によって与えられることで、共著で作品を作り上げてきた。作家らはそれを当然のものと受け入れているが、巡稿者はこれに異を唱えることになる。あなた一人の方が、良いものを書けるはずだと。

 おそらくは、この館にいる作家全員が参加することになるはずです。このまま、誰かが止めなければ。
「共著という形式ですが──」
 その誰かに、私はなろうとしていました。あのとき。コンスタンスに巡稿の同行を断られたときに決意したことを、いま、実行に移そうとしています。
 巡稿者としての領分を踏み越えようとしています。
「──やめませんか? あなたひとりで書いたほうが、良いものができると思います」
 私はそう訴えました。

作家らの願い

といった感じで、巡稿者は〈異才混淆〉に参加している作家らひとりひとりをめぐって、あなたひとりで書きませんか、と提案して回るのだ。たとえば最初に巡稿者が提案する作家は、セルモス・ワイルド。名前を見ただけでピンと来る人もいるかもしれないが、明らかにモチーフとなる作家は『サロメ』などを著したオスカー・ワイルドであり、彼がどのような作品を書いてきたのか、また、ここでどのような作品を書こうとしているのか。それが、各作家のパートで緻密に描きこまれていく。

たとえば、途中で現れるのは18世紀のゴシック小説家であるソフィー・ウルストン。彼女は吸血鬼、人造人間、狼男、これらすべてを生み出した女性であり、生前のエピソードの数々は明らかに『フランケンシュタイン』のメアリー・シェリーを彷彿とさせる。彼女が〈異才混淆〉に協力する見返りとして玲伎種に求めたのは、自分が生み出した吸血鬼や狼男や人造人間を超える異形、怪異の探求だ。

この世界では、彼女が生み出したイメージがあまりに強固であったがゆえに、それを超える異形が生まれなくなった。そのため、彼女は彼女が存在しなかった歴史を知りたいと玲伎種にのぞみ、好きなように歴史をいじることができるフラスコのを与えられることになる。他にも、明らかにあのSF作家モチーフのウィラル・スティーブンの願いは「人類の全情報の宇宙的拡散」で──と作家それぞれには玲伎種に対する「願い」があり、それがその作家の経歴や本質と分かちがたく結びついている。

『Fate/zero』における英霊らが聖杯の使いみちと王としての在り方について議論する聖杯問答(やその源流に位置する魔界転生とか)あたりのおもしろさが、このあたりには詰め込まれている。結局、ソフィー・ウルストンは与えられたフラスコの中で何度も歴史をいじるが、結末が大きく変わることはない。別の歴史ではソフィー・ウルストンではない別の女性が人造人間のみを創造し、吸血鬼はシェリダン・レ・ファニュやブラム・ストーカーが生み出すなど、別の形の歴史が生まれるだけなのだ。

終末の情景

玲伎種はある意味、万能装置であり、終古の人籃は仮想世界のように何もかもが起こり得る。〈異才混淆〉は解除され、作家は独自の物語を書き始めるのか。そして、それはどのようなものになりえるのか──それは読んでみてのお楽しみだが、物語は中盤を過ぎてからその土台そのものを揺るがすような自体が起こり、現実と虚構は混淆し、本作の登場する作家らのすべての作風が入り混じったような、単純なジャンル分け不能なカオスなおもしろさと、だからこその情景が現れることになる。

おわりに

一番の謎である巡稿者とは誰/何なのか? という問いかけの中盤・終盤での回収だったりと、構成は緻密だが、同時に新人賞受賞作らしく、物語ることへの情念が存分に描き出されている。ドストレートな作品だ。