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少人数ゆえの自由と制約──『”ひとり出版社”という働きかた』

“ひとり出版社”という働きかた

“ひとり出版社”という働きかた

ただでさえ出版業界全体の売上が年々減っていっている状況下であえて”ひとり出版社”を貫く出版人へのインタビュー集+幾つかのコラム・エッセイにて構成されているのが本書『”ひとり出版社”という働きかた』だ。正直言ってこのご時世に出版業界を目指す時点でなかなかのチャレンジャーであるというのに、その中でたった一人で立ち向かわんとするのだから余程クレイジーか稀代の戦略家か、あるいは熱意のある人間か、だろう。本書にはだいたいどのパターンも揃っているように思える(熱意☓クレイジー、クレイジー☓戦略家☓熱意 などなど含め。というか、熱意のない人なんかいなかったね)

目次代わりに取り上げられている出版社のとインタビューに答えられている代表者の方をリストアップしてみよう。まず本当の意味で「一人で出版社をやっている人達」として小さい書房の安永則子さん。土曜社の豊田剛さん。里山社の清田麻衣子さん。港の人の上野雄治さん。次に地方で少人数出版社をやっている(一人ではない出版社も含む)ミシマ社の三島邦弘さん。赤々舎の姫野希美さん。サウダージ・ブックスの淺野卓夫さん。ゆめある舎の谷川恵さん。ミルブックスの藤原康二さん。タバブックスの宮川真紀さん。その他コラムが幾つも。

強い覚悟と、使命感

さあ、ほとんどの人は一つもわからないんじゃあなかろうか。ミシマ社はこの中だと有名かな。僕は実をいうとぜんぜんわからなかった。それもそのはずで、ごくごく一部の作家性のある写真集を専門に出している出版社や大人向けの絵本を出している出版社、詩集を出している出版社、著作権の切れたわりとマイナな作家の作品を中心に復刊している出版社とその傾向はまさに「小さいからこそできる、ニッチさ」に満ちあふれている。彼らが小さいながらも成立させているのは多くの人間に知られているわけではないけれども、少数の人間が買ってくれている小さな小さな産業だ。

気になるのは「なぜひとり出版社」なんていういばらの道を歩むことになってしまったかだが──成り行き上なっていたという人もいれば(三人で立ち上げた出版社で二人離脱)、バリバリと出版関連の仕事をしながら、子供を産んで以後その働き方が続けられなくなってしまった=自分が満足するレベルの仕事ができなくなってしまったからひとり出版社を立ち上げた人もいる。儲かって儲かって仕方ありまへんわみたいな人は一人もいなくて笑 ほとんどは「いかにして続けるのか」に四苦八苦している様がインタビューから常に伝わってくる。

出版業界が徐々に衰退していっているのは誰にだってわかることなんだから、あえてそんな中でひとり出版社をやっている彼らには強い覚悟と、いかに自分が担っているニッチな分野を出版業として生き残らせるのか、という使命感がみなぎっている。

少人数であるがゆえの自由と制約

ひとり(もしくは少人数)出版社であることの強みはいくつもあるが、一つは面倒な手続きや相談が一切不要であることだろう。この著者の本を出したい、企画を立てたいと思えば、それを遮るものは誰も居ない。どれだけ売れそうになかろうが自分のゴーサインだけでいける。納期も自分で決められるから、自分が納得くまで本を作りこむことができる。その代わりに──続けていくためには、自分が身銭を切って、最終的にはペイするように営業をかけて、売らなければならないのだ。

もう一つは、少数派であるからこそできる利点で、大きな取次を介さず、究極的な話電話なりインターネットなりで受付て自分の手で発送したって構わないということ。極端に手間をかけて少数のファンの元へ届くように地道に手を打てば売れる本であってもそれだけの手間をかけることは大手出版社では営業サイドもその本だけを打っているわけではないから難しいが、ひとり出版社ならできる。

既存の出版社の流通形態は今大きく崩れつつある。大手取次のひとつだった栗田出版販売が民事再生法の適用を申請し、Amazonはますます巨大となり取次を介さないシステムを構築しようとしつつある。Kindle Direct Publishingは個人が簡単に電子書籍を出版し、販売することを可能にした。こうした先人たちの築き上げた立派な流通システムが通用しなくなってしまった時代で、ミシマ社の三島さんは次の世代が僕らと同じく、本の仕事に関わっていけるようにどう橋渡しをするのかがこの10年くらいの肝だと語っている。

今、先人のつくった地盤が緩み、崩れかけた足もとでいろいろなことを、なんとかしようとしているからバランスをとるだけでも必死です。その状況で本質的におもしろいことをやろう、出版だけで生活していこうとするのは、まるで曲芸の状態。労力を違うところ、つまり、自分の両足で立つことに向ければいいと思います。先ほどの「自分が主体的に動ける場をつくる」という話にもつながりますが、各自各社が今、それをやろうとしている。

写真集や絵本やら詩集やら、著者とのコミットのレベルやら、ひとり(少人数)出版社の在り方は何十人もの人間が働く出版社とは当然ながら大きく変わっていて、ここにあるのはもちろん出版のメインロードではないんだけど、なんていうのかな、ここに出版の一つの未来を見たように思う。実をいうと本書を読んでずっと考えていたのはKindle Direct Publishingで行われる個人電子出版のことで。こっちはもう「ひとり出版社」が前提みたいな形態だから、本書で語られている熱意とニッチさとそれをなんとか届けなければとする苦闘は大きく重なっている。

今後は出版にかぎらず音楽なども「マス」を当てにして大きく儲ける時代は終わったと誰もがいう。恐らくそれは正しいのだろう。ごくごく一部の大ヒット、誰もが話題にするものとしての価値はそれはそれであるからなくなりはしないのだろうが、一方で趣味嗜好の細分化の流れは目に見えて顕著である。必然的に出版の流れも、少数派に向け利益を出すモデルが太くなっていくのだろう。それをやるのは常時大量の社員を抱えて給料を払い続けなければいけない大きな出版社ではなく、無数の少人数集団なのではないか、と思う。

著者がそのまま出版できるのであれば、編集者も校正者もいらないと極端なことをいうひともいて、それが出来る人もいるのだろうが、僕はそうは思わない。本書の「はじめに」で編者の西山雅子さんが、『おそらく他のジャンルのどんな「小商い」とも同じように、ひとりでなにかをやろうとすればするほど、ひとりのままでいることはできないはずです』と書いていて、それは本当に自分で何かをつくろうとしてみると実感されるところだ。電子書籍を出そうとしてみれば、いまいち組み方がわからない。技術がやりたいことに追いついてこない。表紙のデザインをしようと思っても、デザインのデの字もしらない。自分一人で校正していると見落とし放題だし、何よりだるい。

「ひとりでなにもかもやる」からこそ逆に「じぶんになにができないのか」が鮮明に浮き上がってきてしまう。本書はそうしたひとり(少人数)であるがゆえの自由さと制約について存分に語られていて、これからKDPなり紙なりでひとり出版社をやる人以外でも、出版文化全体を考える時に重要となる一冊だ。