基本読書

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合理的理由でもって削がれてゆく耳鼻──『耳鼻削ぎの日本史』

世界の辺境とハードボイルド室町時代

世界の辺境とハードボイルド室町時代

  • 作者: 高野秀行,清水克行
  • 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
  • 発売日: 2015/08/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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世界の辺境と中世日本ってよく似てるよねというシンプルな着想から始まった高野秀行さんと清水克行さんの対談集『世界の辺境とハードボイルド室町時代』がめっぽう面白かったので、読んでいなかった清水克行さんの本に手を出してみた。清水克行さんは日本中世史、社会史を専門とする本職の学者だが、本書や『喧嘩両成敗の誕生』のように一般向けノンフィクションも多数手がけている。
耳鼻削ぎの日本史 (歴史新書y)

耳鼻削ぎの日本史 (歴史新書y)

『耳鼻削ぎの日本史』は、かつて日本には「耳鼻削ぎ」を行う文化があったのか、あったとして、それはどのような理由で、どのような手法で、どんな人間に対して行われ、どのような経緯で廃止されていったのかを追っていく歴史ノンフィクションである。正直言って読む前は「えー、耳鼻削ぎの文化がどういう背景の元あろうがどうでもいいよ」と思っていたんだけど(それでも読み始めるのが凄いでしょう(自画自賛))読み始めてみればこれが意外なほど面白い、スリリングな展開が待ち受けている。

戦場での耳鼻削ぎ

まず、耳鼻削ぎが歴史的にあったのかということだが、これは多数の資料からその存在は確かにあったことはわかっている。問題はそれが「どの程度の頻度」あったり、「どのような理由で、どんな状況で行われる」行為であるのかといったことだ。面白いのは当時の人が様々な、「合理的な理由」に則って耳や鼻を当たり前のように削っていた事実である。たとえば、これは詳しくない僕でも知っていた一つの事例として「敵を殺した証明に、頭を持っていったんじゃ重いし持ちきれないので耳や鼻をその証明としていた」ことが数々の資料から明らかになっている。

「えー耳鼻削ぐなんてヤバーン」と感じるのが一般的な現代人の感覚だろうが、実際に戦場で相手を斬ったり突いたり打ったりして殺し、自分の手柄を証明しなければならない、またそれを管理する側としては適切な褒章管理をしたいとなった時に、そのような「機能的手柄管理システム」が必要とされたのだろう。この戦場での「耳鼻削ぎ」は特に戦国時代後期(1500年代後半)で行われていた資料が多いのであるが、そうはいうてもガバガバなシステムだから多くの穴がある。

たとえば「味方の鼻を削いで持ってくるやつ」とか「一人の耳と鼻を持ってきて二人分として申請するやつ」とかずっこいヤツが現れ、管理者側も「左耳だけを戦果として認める」とルール変更を重ねたりと、異常なように思える文化を扱っていながらもそこには一定の理屈が通っていておもしろい。もちろん厳密にいえば味方の鼻を削って持ってくるヤツが現れることを止めることはできないだろうし、結局戦国時代も終わりに近づいて耳鼻削ぎ文化も衰退していってしまうので、そうした「対処不能なずる」が存在するシステムは長続きしないということなのかもしれない。

当時の戦場には戦いもせず、自分が討ったわけでもない人の耳や鼻をせっせと集めていた人がいただろうし、そういうずるっこい人たちの姿を想像するとほっこりする(映像的にはグロテスクだが)。

罰としての耳鼻削ぎ

で、僕はこうした戦場での耳鼻削ぎの事例しか知らなかったのだけれども、日本史をひもとくと「刑罰としての耳鼻削ぎ」が行われていたようだ。もちろん中世日本は警察機構などが発達していたわけではなく、当事者たちの自力救済に委ねられていたそうだから、組織的・定型化されたプロトコルとしての「耳鼻削ぎ」があったのかといえば、それは微妙といえる。しかし、幾つもの文献に残るぐらいは(本書では最初に物語も含む10の事例が紹介されている)行われていた。

当時の事例をつらつらと読むことでから浮かび上がってくるのは、刑罰としての「耳鼻削ぎ」は殆どの場合「女性」がターゲットにされていたのだという事実だ。現に上げられていた10の事例は(恣意的に抜き出されたのでない限りは)全て削がれているのは女性である。それは、なぜなんだろう? というところでぐっと引き込まれる。なぜ、女性だけ耳と鼻を切り取られなければならないのか。そこには当然いくつかの理由があるわけなのだが、それを理解するために当時における文化的背景を飲み込んでおかなければならない。

一つは、当時はたやすく死刑になる時代だったことがあげられるだろう。盗みを一回した女性は、1790年の大阪にあっては「敲き(たたき)、または刺青のうえ重敲き」とするところを「女の儀につき」「三十日手鎖、または大阪三郷払ひ」に減刑されている。しかしその後再度盗みをしてつかまったとなると、本来なら「死刑」になってしまう。万引き犯がたやすく何度も再犯を繰り返す現状からすると盗み二回であっという間に死刑まですぽぽーんといってしまうのは恐ろしくはあるが、当時はそれが当たり前であった。

また「女の儀につき」として減刑されているところに注目すると、長年日本では女性であれば罪は軽減されるべきだとする通年があったことがわかる。これは「女性へ甘い文化」だったのではなく、「女性は男性に比べて「一人前」の判断力がないから」、一人前の罰を与えられはしない、ということだったらしい。

 ではあらためて、なぜ中世において女性には耳鼻削ぎが科せられるのか? この問いに対する答えは、ここまで来れば、読者にはほぼみえてきたのではないだろうか。つまり、女性が耳鼻削ぎにされる理由については、当時の社会に広まっていた二つの通念が基礎にあった。一つは、中世社会では耳鼻を削ぐことが死刑に準じられるものだとして、死一等を減じた場合、その者は耳鼻削ぎにするのがふさわしいとする通念。そして、もう一つは、女性の殺害を忌避し、女性の刑罰は軽減されるべきだという通念。この二つの通念があわさって、日本の中世社会においては、罪を犯した女性は耳鼻削ぎに処されていた(処されるべきだと考えていた)のである。

その時代特有の文化状況からくる価値観・理屈があるものである。余談として面白いのが、中国では耳鼻削ぎの刑が紀元前167年に早くも禁止されているのだが、その後何度も「死刑と労役刑の中間にあたる刑罰がなくなってしまって、中ランクの犯罪に対してちょうどいい罰がない」と耳鼻削ぎの刑復活を望む声があったのだという。

耳鼻削ぎの刑をばりばりやってるぜ!なんていうと「ウゲェー! なんて残酷なやつらだ!」と思ってしまうが、当時の人らの感覚すると「ぽんぽん簡単に死刑にするぐらいならまだ耳と鼻を刈り取って生かしてやったほうが適正だろ!」という「前向きな耳鼻削ぎ」「現実的な刑罰としての耳鼻削ぎ」的なものだったようだ。

さて、もちろん耳鼻削ぎの文化的考察はこれだけでは終わらない。象徴的に「耳や鼻」がどのように扱われていたのかや、なぜ「中間刑」としてや戦場で持ちやすい戦果として合理的な「削がれる理由」をもった耳鼻が刈られなくなっていったのか。そうした一つ一つの経緯がどれも面白く、同じ人間といっても文化的な、環境的な差異によって物事の捉え方や感じ方がずいぶん異なるものだなと感心したりする。フィクションでもノンフィクションでも、歴史物を読む時の醍醐味の一つはこうした「いまの自分からは想像もつかない視点」を得ることができるところにある。

歴史はいつだって断片的な情報として「そこにある」が、どこに目を向けて何を引き出すのかは(あとは単純に情報収集的な苦労もあるけれど)それを為す人の技量にかかっている。今は『喧嘩両成敗の誕生』を読んでいるけれど、清水さんは最初の発想、コンセプト部分が実に面白くそこをきちっとした資料と研究法によって内実をうめていってくれるなあ、良い作家を見つけたぞと嬉しかった。