- 出版社/メーカー: ソニー・コンピュータエンタテインメント
- 発売日: 2014/08/21
- メディア: Video Game
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アメリカを舞台にし、噛むことで感染する寄生菌に侵された人々(ゾンビという言葉はゲーム本編で出なかったけど、まあゾンビですな)や、略奪を繰り返し生きる荒くれ者共と闘いながら、今のところ唯一見つかっている「免疫を持つ少女」エリーを護衛して50過ぎのヒゲのおっさんが奮闘するサバイバルアクションだ。
2013年に出たゲームなので、今更詳しく紹介するようなものでもないけれども、最近メタルギアソリッド5目当てにPS4を買ったのと、スゴ本ブログのダインさん*1にも熱烈にオススメされていた本作を買ってプレイしたのだった。追加エピソードである(プレイ時間3〜4時間)DLCも同梱されたリマスター版が2014年に出たのもあって、悪くないタイミングではある(本編をクリアしたら絶対やりたくなると思う)。
自分自身が操作をするキャラクタが美麗なグラフィックや作りこまれた「荒廃した町並み」を歩いて行くことで、敵対する人間や動物、ゾンビ共がわらわらと集まって、建物がガンガン崩壊していく様子はさながら映画の中の登場人物を自由自在に操ることのできるような快感が「自然に」体感できるゲームであった。
「自然に」とはいっても、明確にルートは規定され基本的には何も考えずに行ける場所へ歩いて行くと次の目的地へとたどり着いているタイプなので、「自由自在に操れる」わけではないのだけれども、実感としてはそう感じるゲームなのだ。錆びれた車がそこら中に転がっているハイウェイを歩く快感。放置されてびっしりと苔やら謎の草やらに覆われたホテルをゾンビがいないかどきどきしながら探検する興奮。
僕が据え置き型のゲームをやったのがPS2以後初めてだったからかもしれないが、「景色をみて、歩きまわっているだけで楽しい」とゲームで感じられるのは単純にそれ自体が驚きだった(MGS5も同様)。下記SSなど、廃墟好きにはたまらんでしょう。
特に↑のハイウェイのシーンは魅力的。無意味にぐるぐると歩きまわってしまう。
ゲームシステム的な部分
派手にドンパチをするゲームなのではなく、あくまでも聞き耳をたてて敵の居場所を把握しながら見つからないようにして進んでいくゲームであることも「雰囲気を堪能」することに一役買っているように思う。それはゲームシステムの細やかな部分にまで及んでいて、たとえばリロードにまるで現実の銃に弾を装填しているかの如く時間がかかること。ゾンビをなぎ倒すのではなく、一匹ずつ着実に仕留めていかなければならないこと。弾薬や治療剤が限られており、家や街などそこらじゅうを探索して弾薬をかき集めることなどなど映画的な演出に寄せているということなのだろう。
十全に弾薬を集めて回ったなら正面から撃ち殺していってもいいし、逆に弾薬が少ないのであれば逃げ隠れながら前に進んでもいい。難易度にもよるが資源が足りない、危うい時が多いので「この敵は弾を使わずにこっそり殴り殺したほうがいいかな?」「こいつはちょっと距離が遠くて殴り殺すことは出来ないから仕方ないが撃ち殺すか」と一人の敵ごとにどう攻略するのかの自由度が資源・弾薬探索のリスクとリターンに繋がっていて、常に幾つかの戦術から最善の一手を選んでいく緊張感が途絶えないのもゲームシステム的に素晴らしい部分だ。
ストーリーとか
ストーリーはどこかを目指して、その途中で何者かに襲われたり、一時的に共闘をはったりするパターンがほとんどなのだが、雰囲気的にはウォーキング・デッドとかに近いかな。基本的にはエリーを先導しながら、かつて同じぐらいの年齢の子を失ったジョエルをメインコントローラとして進んでいくわけだけれども、これが単純に「プレイヤーの足手まといを延々と護衛する」わけではない。パートナーは敵に発見されないしそれどころかプレイヤを助けるように積極的に敵の殲滅に加担してくれるということもあるが、それ以上にこれは歳の離れた二人の成長活劇なのだよなあ。
なのでエリーは「護衛対象」なのではなく、ダブル主人公の一人と捉えたほうがわかりやすい。ジョエルもまた完璧超人ではなく、しょっちゅうやられるし、過去に大きく失われたものがある。二人の関係性はまるで循環する円のようなものだ。お互いがお互いを支えあっている。物語的にはしかし、綺麗に円環をつくっておわるのではなくどちらかといえばラストは大きく解釈が分かれ、「違和感」が残るようにもなっているのもまた魅力的である。閉じず、開けているのだ。
2013年のゲームに対してそんな今更書く必要があるのかと疑問に思いながらもついつい面白かったので書いてしまった。総プレイ時間12時間(DLC込みかな?)で、これぐらいでクリア出来たほうが人生に優しいのも個人的には嬉しかった(何十時間もプレイしたい人にも、引き継ぎ要素やマルチプレイ、各難易度もあるので楽しめるかと。)PS4、メタルギアも最高に面白かったし今のところ大満足である。
PS4では次のゲームは何も手に入れてないので「これ面白いよ」とかあったらコメントなりTwitterなりで教えていただければ嬉しいです(やるかどうかは別だけど)。
ここからネタバレ
エリーもまたheroであることは製作者インタビューでも同様のことをいっている。14歳の少女はヒーローになる。彼女は彼を救うのと同時に、本質的に彼の人生を取り戻したのだ。『The 14-year-old girl becomes the hero. She’s the one saving him and essentially bringing him back to life. That was our earliest intention for those characters and their arcs. 』
venturebeat.com
このインタビューではエリーラストのOkayについては『I don’t know if it’s fair to give a final interpretation of what that last “Okay” means. But there is a pointed intention there for her.』ラストのOkayの決定的な解釈は知らないけど、でもそれは彼女にとって意思決定上のポイントだったみたいなことをいっている。このラストの解釈については、多少書いておこうか。人のやつを2,3記事読んだけれども僕がゲームをやっていた時に考えていたことはなかったので。
1.エリーの本質的な恐怖は「最後の一人になること」である。
彼女の前で感染させられていった各人を上げた時にジョエルは次のようにいうが
「どれもお前のせいじゃない」
「そういうことじゃないの」
というように、自分のせいだと気に病んでいるのではなく単純に自分には免疫があるのだから(今のところ一人だけ)ずっとこのまま待っていたらジョエルにも親しくなった人にもみんなサヨナラをして一人ぼっちになるのではないかとするエリーの根源的な恐怖はゲーム本編を通して結局解消されることはなかった。※完全に安全な状況はなく、感染の恐怖は消えていない。
2.「俺はな 生きるためにずっと戦ってきた お前も何があっても戦う目的を見つけなきゃダメなんだ」「わかった」
戦う目的を見つけなきゃダメなんだというが、彼にとっては「エリーの為」が明確である一方エリーの目的が何なのかは特に明言されない。それはジョエルとずっと一緒にいることではなさそうだ。もちろん大切には思っているのだろうし、危機には身を犠牲にしてでも助けにいくことは実証済みであるが。目的は「最後の一人になってしまう」という解決されていない本質的な恐怖の解決、及びそれを解消し多くの人が感染の恐怖から逃れられる状況というのが僕の解釈である。
「戦う目的を〜」の台詞の直後に「誓ってよ! ファイアフライについてさっき言ってたことは本当だって誓って」とエリーが問い詰めているのは、これがまずはすべての始まりとなりえるからだろう。自分以外に免疫持ちがいるのであれば、彼女の「最後の一人になってしまう」恐怖は幾分か紛れるはずだ。その上で感染解消のためのあらたな活動のきっかけになりえる。まあ、あからさまなウソであったからあの「誓うよ」をほんとに信じるかどうかがそもそも怪しいけれども。
続編があるとしたらエリーが自分自身の意志でもって自分以外の免疫持ちを探しに行く、あるいは治療法を得るための旅に出る物語になるんじゃないかと予測。その場合ジョエル自身の物語は終わってしまっている*2から降板になりそうだし、別のおっさんがエリーの相棒になったりしたら反発を招きそうだからどうするのか気になるが。
*1:妻の『The Last of Us』の解釈が秀逸すぎる: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
*2:取り戻せないものを取り戻す。彼は既に生きる目的を得て、「父親的存在として彼はどこまで出来るのか」というテーマでも「世界を敵に回す」「最愛の存在にウソをつき通す」と物理的・精神両面で極まった場所までいってしまったから