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七つの作中作を通して殺人ミステリを数学的に定義しようと試みる本格ミステリ──『第八の探偵』

この『第八の探偵』は、7つもの作中作が入り乱れるイギリス作家による本格ミステリである。著者アレックス・パヴェージは本書がデビュー作となるが、異様に凝った作りの作品であり、こんな才能がどうやったら突然出てくるんだ、と驚いてしまった。

殺人ミステリを数学的に定義する

本書の中で展開される作中作はすべてグラント・マカリスターという作家が書いた作品なのだけれども、グラントによればこの短篇はすべて、彼が1937年に書いた研究論文に沿って生まれた作品なのだという。論文のタイトルは『探偵小説の順列』といい、その目的は「殺人ミステリを数学的に定義することだった」と語られている。

「でも、どうやってです? 文学の概念を定義するのに、数学をどう使うんです?」
「もっともな疑問だな。では、ちょっと別の言いかたをしよう。その論文でぼくは、〝殺人ミステリ〟を名づけたひとつの数学的対象を定義したんだ。そいつの構造上の特性が、殺人ミステリ小説というものを正確に反映してくれるのを期待してね。するとその定義のおかげで、殺人ミステリというものの境界を数学的に決定できるようになり、その結果を逆に文学に応用できるようになったんだ。だからたとえば、ある殺人ミステリが正当だと見なされるには、この定義に従っていくつかの要件を満たさなければならないと、そう言うことができる。するとその同じ結論を、実際の作品に応用することもできるわけだ。それはもっともだろう?」

まわりくどい言い方だが、いわんとしていることは、殺人ミステリの構成要素を明確に定義しよう、という話である。それによって殺人ミステリのありとあらゆる構造上のバリエーションを網羅することができ、殺人ミステリの骨子を保ったまま、無数の可能性を追求できるようになる。似たようなものはノックスの十戒やヴァン・ダインの二十則などいろいろあるが、この『探偵小説の順列』で重要視されるのは殺人ミステリを成立させるための4つの必要十分条件であり、かなりシンプルである。

本書はいきなりグラント・マカリスターの作中作のひとつからはじまるが、これらの作中作はすべてこの順列における4つの必要十分条件の境界を通る話になっている。たとえば、最初に説明される条件は、「容疑者のグループ」だ。殺人ミステリは、「殺人」とついているだけあって、殺人とみなされる事象が起こりそれを起こした犯人が必要とされるのは間違いないが、犯人確定の前段階として容疑者が必要となる。

容疑者のグループは必ず必要とされるが、100人でも1000人1億人でも良いので上限は存在しない。全人類全員を容疑者にしたってかまわないわけである。じゃあ下限はあるのか? といえば、下限には同じことはいえない。たとえば、マイナスの容疑者は通常の現実世界ではありえないだろう。『そこで質問だ。殺人ミステリを根本まで煎じつめるとしたら、作品が成立するのに必要な最小の容疑者数は何人だと思う?』

この問いかけに対する答え、最小の容疑者数は、2人だ。容疑者が2人いて、そのどちらが犯人なのか読者にわからなければ、それは(他の3つの必要十分条件を満たしていれば)殺人ミステリだ。そして、本書で最初に語られていく作中作は、まさにこの最小の容疑者構成である「容疑者が二人しかいない」殺人ミステリ短篇なのである。もちろん、何を持ってして容疑者と定義するのか? などの話もきちんとなされる。

第二の作中作では、被害者についての要件が展開し、(被害者グループに欠かせない要件はひとつだけ、一人は被害者が出ることである)まずそれ自体がおもしろいミステリ論になっている。たとえば、「いうて容疑者が一人しかいない事件だって存在するでしょ」と思うかもしれない。たとえば、2つ目の作中作は、まさにそれを証明するような、被害者が一人と容疑者が一人しかいないケースだ。これは、被害者の要件(最低一人)を満たしているが、容疑者の要件を満たしていないように見える。だが──、実際には、被害者と容疑者は兼役できるのだ。つまり、被害者が事故あるいは自殺で死亡していた不慮の事故説を入れると、被害者=容疑者も成立するのである。

作中作の外側の謎

ただ、物語としてはこうしたミステリ論を開帳していくだけではなく、もう一軸存在する。作中作が終わると、物語は対話の章に移り、グラント・マカリスターと、彼がかつて刊行したこの短篇集を出し直させてもらいたいと依頼にやってきた編集者の対話がはじまる。編集者は作中作を一つ一つ朗読し、感想を述べ、グラントのミステリ論を聞く。とはいえただそれをすべて受け入れるだけでなく、作中作に存在する、矛盾点や違和感──たとえば部屋の間取りの矛盾点など──を指摘していくのだ。

そうした矛盾点は、なぜそんなところを気にするのか? と思うような細かい部分ではあるのだけれども、読み進める度にこうした小さな矛盾点が積み重なって、大きな違和感となって浮かび上がってくる。これらの作中作は本当は一体何の目的で書かれているのか、なぜ矛盾が残されているのか? といった問いかけが生まれ、作中作をめぐっていくうちに、グラント・マカリスターと編集者を登場人物とした作中作を統合するミステリが展開していくのである。ラストの謎とその答えは作中作をかなりしっかりと読み込んでいないと(読み込んでいても厳しいが)辿り着けないようなもので、全体を通して謎がよく仕込まれている。

おわりに

数学とミステリの掛け合わせは最近でも陸秋槎『文学少女対数学少女』があったりして、そこそこ前例もあるが、(『文学少女〜』も本作も)数学的ミステリの定義づけが、ミステリを縛る形で機能するのではなく、むしろ「ここで挙げた必要十分条件さえ満たしていれば、あとはどれだけ無茶苦茶やってもミステリなんだ!」という自由を与えるものとして機能しているのがおもしろい。

文学少女対数学少女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

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  • 作者:陸 秋槎
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