- 作者: レネー・C・フォックス,坂川雅子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
グローバルに活躍するNGOは、グローバルに活躍する企業とはまったく別個の問題に接触する。それは当たり前の話ではあるのだが、普段外部から接することもなければ内部から見ることもない特有のジレンマを知るのはなかなか面白い経験である。
国境なき医師団は1971年、13名の医師や医学ジャーナリストによって立ち上げられた組織だ(組織という言葉は当てはまらないのだが)。当初から高尚な理念──「天災、人災、武力紛争の被災者など苦境にある人びとに対して(略)人種、宗教、信条、政治的な信念と関わりなく、援助を提供すること、普遍的な『医の倫理』と人道援助のもとに、中立性と不偏性を順守すること、あらゆる政治的、経済的、宗教的権力から完全な独立性を保つこと」を掲げている。それは、大変素晴らしいことだ。
だが、活動が多様化し、人間が増え、世界中へとその運動を広げていくと崇高な理念とは矛盾する事態も出てくる。彼ら自体はあくまでも自分たちの活動は「組織」ではなく「運動」として定義している。しかし、人間の集団が巨大になればそこにはどうしてもヒエラルキーが生まれ、構造化され、官僚的な特徴がみられるようになっていく。これは人間が集まって何かをする以上、ほとんど必然的なものだ。
そうした組織の硬直性は必然的に「運動」として望まれる幾つかの要素、参加型民主主義、平等主義、自由な意見交換、活気づいている現場──を破壊する。『MSFは、「運動」としての精神を失わない。何度でも何度でもその理想をくり返しよびおこし、過度な組織化を避けようとする。』「運動」として矛盾を解消しよう、するべきだとする意志が存在しているのは、国境なき医師団の強みともいえるのだろう。それができているか、はたしてできるのかというのとはいったん別にしても。
正しさの危険
NGOだからこその問題としては、現場からのブログなどから拾い上げた声に顕著である。彼らがやっているのは基本的には災害現場や、貧困の現場にいって医療活動やケアをする「医療補助」である。中立、独立性の観点からいって、彼らが行うのは問題の抜本的な排除ではなくあくまでも「緩和」を目的とした行動だ。
そこに非難されるべきことは何もない。正義は人の数だけあるとはよく言われることだが、「この世に存在する絶対的な不正義(貧困、病、苦痛)」を取り除こうとする行動は、この世でもっとも純粋な正義に近いものではなかろうか。
ただ、そのわかりやすい正しさがそれは従事する人間に偏った思い込みを引き起こすこともある。自分が絶対的に正しい利他的な行いをする素晴らしい人間だという思い込みだ。それは正義中毒のような状態に人間を巻き込む。正しいことをしているからこそ、それに酔いしれないために、利他的行為であると同時に「自分自身の満足を満たすための利己的な行為である」と正しく自覚することも求められるのだろう。
人道的活動支援を行うことを、人々がおかれた現状をより高度により深く理解できるようになる参入儀礼と考えるべきではない。そのようなロマンティシズムは、人道的経験を神秘化してしまう。私たちの世界観に、ある根本的な変化が起こるふりをすることは、事実上、私たちが援助しようとしている人々の窮状を、自分自身の個人的成長のための機会として、利用することに繋がる。
文化の違いからくる差異
国境なき医師団は各国に事務局をおいているが、そこでも多数の問題が起こる。たとえば、南アフリカに事務局が立ち上がった際も「国境なき医師団(MSF)が「西洋的」「ヨーロッパ的」な組織構造を持って機能している」ことへの批判が出た。
現地には現地なりの文脈があり(植民地支配されていた時代から尊厳とアイデンティティを取り戻しつつあるなど)、その文脈をよく理解しないままにヨーロッパから赴任し、現地の人間にたいして能動的な行為者とみなさず「施しを受ける受動的な被支援者」として扱われても困る(そういう例が幾つもある)、というのが批判の一つだ。
これはいわばMSFに植民地主義的・宣教師的ふるまいが残っていることを指摘しているのだろう。単純な営利企業でも利益追求などを目的として起こりえる問題ではあるだろうが、平等主義、参加型民主主義、合意による意思決定を重んじる運動としての組織にはより重い問題となる。最初の方でも述べたが、組織の理念それ自体と矛盾するからだ。あと、やはりあくまでもフランスが母体であり、決定事項の多くはヨーロッパ主体でコントロールされている背景など、単純な問題もある。
MSFの理念を満たすためには、「グローバル」であると同時にワントップではない「多文化共生的」な組織である必要がある。個々の差異を認め、尊重し合いながらも妥協点としての「普遍性」を探り、西洋的でもなければ東洋的でもない、『普遍的な普遍主義』が一つの理想ではある。そもそもそんなことがどのような方法論であれば可能であるのかについてなど、まだまだ途上の問題のようだ。
抱えている多くのリスク・ジレンマ
人道的支援というのには終わりがない。貧困に対する支援をするとして、いったいその支援はいつまで続けるべきものなのか。支援が必要におもむくということは、必然的にリスクが高まっているということでもある。昨年もアフガニスタンの病院を米軍が誤爆した事件などが大きく話題になった。支援にリスクがあるのは確かだが、それをどこまでは許容し、どこからは許容しないのかという判断も難しい。
根本的なものとしては、彼らの活動があくまでも苦痛の緩和に過ぎず、苦しみの根底にある経済的、政治的、社会的、文化的状況を一変させるものではないことについてのジレンマもある。本書ではロシアでの貧困支援、結核治療、世界各地でのHIV/エイズ治療活動など様々な活動が語られていくが、常にこうした各種ジレンマはつきまとっている。そこにたいしてどのように対処していくのか/対処できないのか、という事例が(読んでいる分には)たいそう面白いのである。
著者が国境なき医師団の内部の人間なので、全体的に好意的かつ理想を謳いあげるような内容になっているのは確かだが、一つの国際的なNGOの在り方、それが直面するジレンマの例として大変興味深く読んだ。5400円+税だから、まあ買う人もあまりいないだろうけれどもなかなか凄い本であるから図書館ででも探したりリクエストしたりしてみるといいかもしれない。