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"探偵"草創期ならではの熱狂──『最初の刑事――ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』

最初の刑事――ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

最初の刑事――ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

物事にはなんであれ「最初」があるものだ。組織の設立、個人の誕生、宇宙の誕生、小説の誕生、などなど……当然、我々が普段当たり前のものとして受け入れている刑事にも「最初」があった。そんなわけで、本書は刑事という職業に最初についたウィッチャー警部と、彼が関わった中でも最大級に話題性のあった、1860年に発生した「ロード・ヒル・ハウス殺人事件」を扱った一冊になる。

事件はそのままミステリ小説の事件に採用できそうなぐらい舞台が整っているし、ウィッチャー警部は難事件を次々と解決してきた歴戦の刑事であり、キャラも十分に立っている。事実に根ざしたノンフィクションながら、いきなり真相を明かしてしまうのではなくもったいぶって情報を小出しにしていくそのスタイルはミステリそのもので、まるで小説を読むようにして楽しむことができる、かなり面白い一冊だ。

本書の事件があまりにも衝撃的だったせいか、1860年代以降の小説には「ロード・ヒル・ハウス殺人事件」の影響を受けた作品が多くみられる。中にはウィルキー・コリンズの『月長石』のようにウィッチャー警部からヒントを得てキャラクタがつくられてたりもするのだ。作中で何度もポーの作品や『月長石』からの引用がみられるのも、虚構と現実が相互に影響を与え合い、入り混じっていくようでミステリ的なノンフィクションという側面に拍車をかけている。

とはいえミステリ的な爽快なトリック、登場人物を集めての謎解き、襲撃される探偵──なんてわかりやすいサスペンスはないので、純粋にミステリーとして読むにはオススメしないのだが。わりと泥臭く証拠を集めて、地道に裁判を進めて、それでもはっきりしなかったりする(犯人は明確に示される)。その分きちんとノンフィクションとしての魅力も充実しているので、そのへんは安心してほしい。

草創期だからこその熱狂

そもそも探偵というものがいつ生まれたのかだが、小説における最初の探偵(と本書には書いてある)オーギュスト・デュパンが「モルグ街の殺人」の登場したのは1841年。英語圏における最初の探偵は、その翌年ロンドンの首都圏警察によって八人が刑事課として任命され、ジョナサン・ウィッチャー警部はこの時の一人である。

 ロード・ヒル・ハウス殺人事件は、あらゆる人たちを探偵にした。英国中の人たちがこの事件に関心をひかれ、何百人もの人々が、新聞に投稿したり、内務大臣やスコットランド・ヤードに自分の謎解きを送りつけたのだ。

1960年といえば本格的な探偵小説が始まり、現実でも刑事の運用がスタートしてまだ間もない時期であって、一般市民が日々供給される「ロード・ヒル・ハウス殺人事件」の情報に対してにわか推理を披露していた熱狂ぶりが引用部からはよく伝わってくる。他分野でもそうだが、「新たなものが生まれつつある草創期」は後の「安定・発展期」とは別種の熱気を生み出すもので、当時の「刑事」や「摩訶不思議な事件」に対する庶民の反応はまさにこの草創期特有の反応に属しているように思う。

チャールズ・ディケンズは、彼らを現代的なものの典型として取り上げている。一八四〇年代から五〇年代にかけてのさまざまな驚くべき発明、つまりカメラや電信や鉄道と同じように、神秘的であり、かつ科学的な存在だというのだ。電信や列車と同じように、刑事たちは時間と空間を跳び越えていくように見えた。

幻想すら入り混じっているが、本書はそうした、一時期にしか存在し得ない「新たなものが生まれつつある草創期」ならではの興奮を切り取っている稀有な一冊である。

事件の概要

ロード・ヒル・ハウス、59歳のサミュエル・ケントはそこで妻と子ども(7人)、3人のお手伝いと暮らしている。そんなある日、屋敷の中から3歳の男児が姿を消し、翌日には無残な惨殺死体となって発見される。地元警察らはお手伝いの女を犯人と決めつけ尋問していたがらちがあかず、凄腕の刑事を呼ぼうということになり、満を持してジョナサン・ウィッチャーが投入されることになる。

調査にあたったウィッチャーは、誘拐された当時窓の錠が外せるのは内側からだけであり、外からの侵入者が誘拐を実行するのは恐らく不可能だったことから「屋敷に同居していたものが男の子を殺した」と確信をこめて宣言する。そして、重要な動機についてだが、そのためにはまずこの一家の家族構成を明かしておかねばなるまい。子どもが7人というのはかなり多いように思うが、実際1人目の妻の子どもが4人、2人目の妻の子どもが3人と異なる親の子どもが同居している状況なのだ。

事実上複数家族が同居しているわけで、怨恨や嫉妬の線も考えられる……ウィッチャーは、1人目の妻との子どもであるコンスタンス・ケントのナイトガウンがなくなっていたことから(犯行時に着ていたもので、血まみれになったので処理したのだろうと)彼女が犯人であると確信し、審理にまで持ち込んだはいいものの、16歳の娘に殺人の汚名を着せようとする彼にたいして世論は厳しく、杜撰な説にたいする粗を世間は騒ぎ立てる。

結局、コンスタンスは保釈され、ウィッチャーも滞在を延ばしてもこれ以上の証拠は得られないと退去し、真相は暴かれることなく、調査は一旦は停滞するのだが、本当に犯人はコンスタンスだったのか、それとも別の誰かだったのか──さすがにここで明かすような野暮な真似はしないので気になるようであればぜひよんで確かめてみてもらいたい(ググると結末は出てきてしまうが)。

現実の事件でありながら、まるで探偵小説そのもののようなシチュエーションに、探偵物語と刑事ができて間もない当時の熱狂が隅々まで描きこまれている一冊だ。