基本読書

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うちゅうの ほうそくが みだれつづける──『エピローグ』 by 円城塔

エピローグ

エピローグ

  • 作者:円城 塔
  • 発売日: 2015/09/17
  • メディア: 単行本
相変わらずの円城塔作品であり相変わらずでもない円城塔作品でもある。『屍者の帝国』以来約三年ぶりの長篇作品にあたる。もともとはSFマガジンで連載を行っていた作品が、今回書籍化となった。文學界で連載していた『プロローグ』も近々書籍化ということで、『エピローグ』から先に出ているのもまあ面白いところではある。

本書を読んで僕がまず抱いた実感は「しっかり」しているなということだった。デビュー作の『Self-Reference ENGINE』から、相手の首を一瞬で断絶させる刀のような鋭さを持っていた。本書に至って、そのキレ味はまったく変わらないまま、手にもった時のずっしりとした重さ、振った時の軽さ、首が落とされた時の手応えといったような複合的な部分で「しっかりとした刀を作るようになった」と思うのである。

世界観は最初からフルスロットルだ。宇宙の法則は乱れ続け因果関係ははっきりせず蓋然性はあてにならない。オーバー・チューリング・クリーチャ通称OTCと呼ばれる敵は人類の既知を超え法則を超越した存在であり、あっけなく人類を現実宇宙から追いやりシミレーション宇宙へと離散させ、人類は人類でOTCの部品やら臓器やらをひっかき集めて自分たちも理解できない計算資源でOTCと対峙している。

わらしべを拾ったところ、長者の率いるクローン軍団が帝国を滅ぼした、というような超因果的戦闘が行われる可能性さえある程、因果関係が無茶苦茶になっている状況で、人類はストーリーラインを紡ぐことができるのか。物理法則を書き換え姿形は可変であり時間も空間も超越して存在しているそんなものと人類は戦争ができるのか。戦争できるとして、それはどのような状況になるのか。

連続殺人事件を担当する刑事/探偵も出てくるが、事件なのか、事件ではないのかさえわからない、住人の誰もが認識していない事件を解決することができるのかといえば無理だろう。そんな何もかもがよくわからない宇宙において──ラブストーリーは突然に! 本書はだいたいそんなような話だと思ってもらっても構わない。

宇宙の法則が不定形なのは円城作品では「なるほどね」というぐらい意外性のないものだが長篇となってそれが活かされるのか、はたして一本のストーリーラインを描くことが出来るのかはデビュー作から追いかけている人間からしてもわからなかったが本書を読めば「できたんだ!」と驚くことになるだろう。

大雑把なあらすじ

物語は主に2つのパートを軸として展開していく。

まず前提として、人類はOTCの侵略によって現実宇宙を追われ、シミレーション上の無数の宇宙に分散を余儀なくされている。人類はOTC打倒の為OTCの構成物質であり人類の理解を超越しているスマート・マテリアルを拾い集め、自分たちで収集、生成できるものと合わせて(キリストの聖遺物など)なんとか対抗している。それは理解不能な物に対して理解不能な凄いものをぶつける的な発想だ

そのスマート・マテリアル拾い集め隊(通称特化採掘大隊)の一員である朝戸連と支援ロボットのアラクネが宇宙をさまよいながら、OTCと戦闘をしながらこの宇宙の在り方が、歴史が、ある程度開示されていくのがメインパートの一つ。もう一つのパートでは刑事であるクラビトが各地で不可思議な連続殺人事件に巻き込まれていく。

こっちはこっちで死んでいるのかいないのか、事件なのか事件じゃないのかさえよくわからない物ばかり担当させられているうちに朝戸連パートと接続されこの宇宙を、人類とOTCの戦争状態を根本的に揺るがす状況が立ち現われてくることになる。

未知には未知を。バカバカしい相手にはバカバカしい挙動を。

宇宙の法則はみだれまくっており法則を超越した存在を相手に法則を超越したマテリアルでもって対抗している人類だから当然ながらそこで展開される戦争行動は法則を超越したものとなる。なんでもない惑星のとある地点を爆撃せよと命じられることもあればそのあたりを三回まわってあらぬ方へ主砲を三斉射せよということにもなる。

「あ」を発言するなと言われることもあれば宇宙戦艦のような何かに自分が乗っているときもあれば野原にいるときもある。何が何だかよくわからない相手と何がなんだかよくわからない宇宙を舞台に何がなんだかよくわからない武器でもって戦っているので起こること全てがあまりにもバカバカしいがバカバカしい存在が相手なのだからバカバカしい動作をすることが求められるのである。

OTCとの戦いのみならず、探偵・刑事物パートであるところのクラビトサイドもそれは同様で、宇宙を隔てて起こった連続殺人事件はそもそも連続殺人事件なのかどうかもよくわからない。何しろ時間の流れが非可換であり時間を戻したら元あった時空点に戻れるとも限らず、今死んでいる女性が過去に戻ったり未来にいったら生きていることもありえて、だったら殺人事件とはなんなのだということに当然なる。

1800人ほどのボアンカレの十二面体と同じ構造を持っている小規模宇宙は技術力も資金も足りなかった結果記憶領域はごく限られた量しか用意されていない。その結果何が起こるのかといえば殺人事件が起こって、それが毎年一度ループしているにもかかわらず住人らは死を一回きりの損失として理解するだけの容量を保持しておらず被害者を含めて何度も起こっている殺人事件をそれと認識することができない。

「むしろその蓋然性の方がよほど高いわけですが、この宇宙では、しかも現実の裏側へこうして進出しようとしている今現在のこの状態では、蓋然性なんて意味がありません。ここは、確率という考え方が存在する確率さえ無効になっている場所です。思考がそのまま法則になりうるような場所です。」

わけのわからないものはわけのわからない言葉で語るしかない。宇宙の法則が乱れ続けるというのであれば──人類は何がなんだかわからないままにそこで踊り続けるほかないが、その踊り方にもそれなりの筋が通っている。計算資源が持つ限り人格をいくらでもコピーできるというのは道理であるし、人格をコピーしすぎたら今度は人格管理ソフトウェアが必要になるのもまた道理である。

無秩序の中には無秩序なりの理屈があるものだ。OTCが使ってくる兵器はどのように作用しているのかわからないが、人間はそれを理屈はわからないなりに使うことができる。ファイアと唱えればなんだかわからないが手から火が出るみたいなもので理屈がわからなくても使えるものは使えるのである。

現実宇宙を追い出された人類と人類を追いやったOTCの果てなき戦争、そんな世界で起こりえる数々の連続殺人事件、無茶苦茶だが、一貫したルールのもとの無茶苦茶であるという点で軸は通っている。そういう意味で言えば本書はかつてない(たぶん)スペース・オペラ(何しろ宇宙艦隊とか出てくるし)であるともいえるし、探偵ものであるともいえるだろう。もちろん、この世界を支配する物語はそれだけではない。

ストーリーライン

乱れ続ける宇宙法則の中で人類はストーリーラインを紡ぐことを明確に意識している。法則が書き換えられ続けていく宇宙においてストーリーなんか成立するのか。するとしたらそれはどのようなストーリーがありえるのか。まるでストーリーが成立しうるのかを問うストーリーのようにして物語の中で自覚的に物語を構築していくのではあるが、もちろんそれがこの宇宙の中で一筋縄でいくわけがない。

改変に次ぐ改変、改変を内包した改変が宇宙の法則を乱し続け、物語はこのばらばらになった宇宙法則をさらに大きく揺るがしてみせる。ついには言葉でしか表現できない地平を、概念でしか到達できない情景を、記号を追いかけているだけなのに目の前に広がる風景を、我々の前に現出させてみせる。終盤の展開と情景には震えたよ

本書はメタフィクションなのか? といえばメタフィクションでないはずがないのだが、当然ながら今まで円城塔さんによって語られてきた『Self-Reference ENGINE』や、『屍者の帝国』の、それからもちろん各短篇群の系譜に連なる。一作ごとにまったく新しい領域を開拓してきた円城塔さんではあるが、本書において過去作をまるごと内包するかのようにして、さらに「その先」をみせてくれた。

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:円城 塔
  • 発売日: 2010/02/10
  • メディア: 文庫
屍者の帝国 (河出文庫)

屍者の帝国 (河出文庫)

以下、この記事を書くために前提となる情報を自分用に書き記した用語集になります。読み終わった時に読むと復習になるかも。ストーリー展開に関連しそうな部分は載せていませんが何をネタバレと認識するかは人それぞれなので気にする人は注意。
用語集

物理宇宙

実際に物理法則が適用されている宇宙のこと。そのまんまだなおい。あくまでもこれはシミレーションで生み出された存在であって現実宇宙=我々のいるような宇宙とはまた異なる。『わたしたちは、そのスナップショットを初期条件として継続させた物理シミレーションを物理宇宙と読んでいる。』物理宇宙とはまた別にいろんな宇宙がある。たとえば共約不可能宇宙のように時間や空間レベルで秩序が異なるものも存在する。一言で言えばいろんな秩序を持った多様な宇宙がある。

現実宇宙

現実宇宙=我々のいるような宇宙のこと。OTCの侵攻によって物理的に陥落し、現実宇宙のスナップショットをリアルデータとして退避し存在としては生き延びた。退避したあとの事は「物理宇宙」の項を参照。現実宇宙を見ることはできるみたいだが、『人類の網膜や鼓膜、腹膜や横隔膜といった虚実皮膜は解像度を増していく現実に耐えきれず、インタフェースは過負荷を受けて燃え上がる。』というように人間が生身で宇宙に放り出されるような悲惨なめにあうようだ。

人間の認識機構では耐え切れない美しさを持つ現実がある。
人間の認識機構では見通せない透明さを持つ現実がある。
人間には操作できない奇跡が存在する現実がある。
人間はその宇宙の中では、人間として存在できない。

エージェント

人間としての出自をもたず、その存在の最初から、人権を付与されたソフトウェア。いうなれば高度人工知能である。エージェントと人間は共に育てられるが原理的には退転以降の人類はエージェントと区別がつかない。この時代に育った人間は人間とエージェントの区別があまりつかないというか、区別上存在していることは知っていてもそれを強く意識しているわけではなさそうだ。

『エージェントは今や、人造物のくせに人間にしか見えないという形でチューリング・テストをクリアし、人類を超えたものであるくせに人間にしか見えないという形でもチューリング・テストをクリアするのだ。』つまるところある人間が「自分は人類である」といったところで他の人間にそれを判定するすべはない。

人間もまたエージェントを使う。それは自分用に調整され、一番外側にまとう仮面としてエージェントを利用している。対話相手、インタフェースごしに情報の交換を行うときに、よりよい見かけや立ち振舞、与えたい情報を与えるための制御装置としてエージェントを使っているという理解だろう。

OTC

なんかすごいやつ。OTCには人類の認知機構に対するマークアップ言語対応物を自在に操るだけの計算力がある。人類を現実宇宙から追い出した。物理法則を書き換えてくるようなレベルの存在と考えればいいだろう。形は不定形で生命っぽい何かなのかもしれないし物質なのかもしれないしそもそもそのどれであってもいい。存在したり存在しなかったりする。ようはなんでもいいんだ。当然だが何を考えているのか──人間がいう意味での「考え」が存在しているのか不明(してないだろう)。

スマート・マテリアル

なんかすごいやつその2。どれぐらい凄いのかといえば、もうすごい。宇宙の法則が踊り続ける。数学的秩序を破壊し時間や空間を作り出して規定し直す。全く異なる法則をこの世界に生み出すアルファにしてオメガ。『契約によって挙動が保証された精霊じみた素材であり質料であって、人類の脳単体では決して理解することのできない代物だ。』人間の認知機能ではどうしても一生涯に理解できる情報量は限られているがこれはその範囲をめっちゃ超えたもので人類には無理だけどOTCには理解できるとかそんな感じ。でも人間も理解はできないけど「なんかわかんないけどすごいのはわかる」から使うことはできる。

ファイアと唱えたらなんか原理はわからんけど手から火が出るみたいな感じだろう。ようは魔法である。ちなみに人類が量産可能な唯一のスマート・マテリアル=世界中に散らばるキリストの聖遺物を組織培養したものによってキリスト砲弾とかを生成しそれをOTCに打ち込むとなんか理由はわからんけど倒せる。本書の戦闘描写はよってキリスト砲弾をなんだかよくわからん存在になんだかよくわからんままに打ち込んでなんだかよくわからんままに勝ったり負けたりするめちゃくちゃなことになる。

アラクネ

支援ロボット。何を支援しているのかはよくわからない。ぜんぶか。見た目はメカメカしているらしい(もちろん見た目は可変なので一時的に、ということではあるが)。中隊から朝戸へと貸与された備品である。スマート・マテリアルの利用によってこの世界には電子計算機の能力を超えたそろばんが出現しているが彼女もまたそんな感じである。人類がOTCがとの戦闘を通じてこつこつと拾い集めてきたOTCの部品やら臓器やら素材やらでつくってあるのだという。

OTCと対抗しているのだがOTCの方が巨大なのでけっこうたいへんみたいだ。アラクネがOTCと対峙するときには、スケールの大きな相手と戦うため自己を並列化し対抗している。

朝戸

特化採掘大隊一員。こいつも人格は三千ほど並列的に実行されている。三千の人格は個別に制御できないので千人を超えたあたりから専用の人格管理ソフトウェアが必要になる。コピー自体は別にこれ以上増やせるのだが問題はその管理で、スマート・マテリアルを手に入れることによってなんとかかなりの数の人格を運用するほどの計算量を手に入れた。じつは凄い能力持ちで宇宙的に重要な人物。

特化採掘大隊

朝戸が所属する組織。

可能な限り、元のままで生還すること。
可能な限り、OTCの構成物質を持ち帰ること。
可能な限り、戦闘記録を持ち帰ること。

以上3つが彼らの任務である。

人類未到達殺人事件

人類の理解を超えた関連性で起こっている事件のこと。時間秩序や物理法則が異なる宇宙間では「死体」があっても死んだことには何らない。時空をすすめる演算子と逆行させる演算子が非可換な為、時間を戻っても同じ時空点にはたどりつかないとかそういうことが簡単に起こっちゃうからだ。ようは無茶苦茶な因果関係で調査も何もない事件のことであると理解すればいいだろう。

クラビト

異なる二つの宇宙で発生した二件の殺人事件の調査を行っている一人の刑事。真犯人が存在しない系事件、形而上事件、概念犯罪と犯罪の多様化も著しい中いったい仕事があるのかないのかよくわからんがとにかく仕事はしているらしい。あっちこっちへ召喚され刑事になったり探偵になったりしながら事件をおっかけるが解決できているのかできていないのか、そもそも事件なのかどうかすらよくわからないものばかりを相手にしている。かわいそうな人。

「陰謀論じみてるだろう。自分が性交した場所には必ずミサイルが落ちると考えるくらいに気が違っている」

トマス・ピンチョン『重力の虹』に出てくるタイローン・スロースロップは自分が性交した場所に後日必ずドイツのミサイルが落ちるという。

「人間を兵器とした艦隊をコレクションする、なんて言葉が通用する時代がくるわけないだろ」

艦隊これくしょん