基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ケン・リュウによって集められた、量も多様性も増した至極の中国SF作家&短篇勢揃い──『月の光 現代中国SFアンソロジー』

この『月の光』は、ケン・リュウによって集められた、中国の精鋭SF作家らによるアンソロジー『折りたたみ北京』に続く中国SFアンソロジー第二弾である。前作が「この一撃を食らったやつを全員中国SF沼に落とす」ことを目的としたような一撃必殺正拳突きのような短篇揃いだったことを思うと、今回はそこで空いた穴をぐりぐりと拡張するような、ストレートだけでなく変化球的な作品も揃っている。

作品数が13篇から16篇に増えているだけでなく(500ページ超え)、編者であるケン・リュウも『アンソロジー第一巻と比較して、今回、情緒的な広がりと文体だけでなく、作品渉猟の場を拡大する方向に目を向けて本書『月の光』を編纂した』と語っている。ほとんどすべての作品が2010年代に入ってから中国語で出版されたものであり、これを読むことで「いま・ここ」に近い中国SFが体感できることだろう。

読んでみての純粋な衝撃で言えば『折りたたみ北京』に軍配が上がるが、今の中国にはこんなに広がりのある作品が揃っているんだなあと非常に羨ましさと「まだまだこんな書き手が中国にはいっぱいいるんだ!」という憧憬を感じる(日本には広がりがないといっているわけではない)。『折りたたみ北京』を読んでいないのであれば、文庫になっていることもあってそちらをオススメするが、「いま」に近い中国SFを知りたい人、折りたたみ〜を読んだ人にはぜひよんでもらいたい一冊だ(月の光が)。

各篇を紹介する。

さすがに16篇もあるのでかいつまんで紹介していこう。

トップバッターからいくと、『折りたたみ北京』にも参戦していた夏笳による「おやすみなさい、メランコリー」は思考の本質に迫ろうとしたアラン・チューリングの人生と、二人の人工知能を搭載によって少しずつ癒やされていく憂鬱な語り手の生活が交互に描かれていく。知能とは何か、人工知能と人間を真に見分けることは可能なのか、といった知能にまつわる問いを深めながら、親切で理解力のある友人=人工知能を迎え入れる幸せを描き出していて、心が静かに暖かくなる一篇だ。

続いて紹介したいのは英語の糖匪「壊れた星」。夢の中で少女が、青白い女から星をみてみましょうと話しかけられ、星を見ることで運命を知り、操る方法を教えられてゆく。いじめが展開する学園パートの薄暗い雰囲気など、『ねらわれた学園』的な70年代〜80年代の空気を感じさせる。続いて、短くも大好きな作品が韓松「潜水艇」。長江に潜水艇で暮らす出稼ぎ農民が集まってきているというただそれだけの話なのだが、とにかく潜水艇が日常の風景に溶け込んでいる情景が素晴らしいのだ。

そんなふうに、潜水艇は営巣した鳥のように身近にいて、議論百出の風景をつくっていた。朝になるとスープの餛飩のように浮かんでくる。朝日を浴びながらゴボゴボと音をたてて浮上し、川は春の洪水のような大騒ぎになる。ぼくは映画に登場する異星人の宇宙船を連想する。いつものように渡し船が潜水艇と河岸を往復し、農民たちは市内の建設現場での肉体労働にむけて元気に出発する。

韓松はこの他にも宇宙観察者の観察の結果北朝鮮がアメリカ合衆国を征服し、異なる流れをたどった歴史の中でのサリンジャーを描き出した謎の「サリンジャーと朝鮮人」も収録。こちらはそのバカバカしい発想・スタート地点からは想像できないほどにしっとりとサリンジャーの個性と人生を描き出していて、めちゃくちゃおもしろかった。すげえやつがいるな中国には、と思わずにはいられない。

宝樹「金色昔日」

『三体』三部作の二次創作作家としてデビューした宝樹による「金色昔日」は、時間と中国についての物語だ。謝宝生と名付けられた語り手は、アラブの春が起きて世界金融危機が起きた時代に生まれ(現実:2010年頃)、次に中国でオリンピックが開催され(現実:2008年)、鄧小平が頭角を現し始め……と我々の知る歴史を逆行しながら成長していく様が描かれていく(この語り手だけでなく、世界全体が逆行していく)。

謝宝生が大人になるにつれて前はあった携帯電話もインターネットも消えていき、手紙でしかやりとりができなくなり、政治情勢は荒れに荒れ、天安門事件を経て──と逆向きにみていくだけでこんなにも中国は凄惨になっていくのかと新鮮な驚きがあるだけでなく、世界に翻弄される二人の男女の恋愛譚としても素晴らしい出来。

劉慈欣「月の光」

三体

三体

  • 作者:劉 慈欣
  • 発売日: 2019/07/04
  • メディア: Kindle版
日本でも売れに売れまくって今絶賛セール中(Kindleなら半額!)の『三体』の劉慈欣も本書表題作の「月の光」で参戦。余談だが、このアンソロジー・シリーズでは編者ケン・リュウによる著者ごとの紹介が作品の前についていて、これが簡潔な作家紹介・作家評になっていてとてもいいんだよね。たとえば劉慈欣でいえば次のように。

劉はアーサー・C・クラークのような「ハードSF」作家の伝統に連なる作品を書いている。そうした理由から彼を「古典的」な作家と呼ぶ者もいるが、一方で彼の物語はロマンスや科学の壮大さ、自然の秘密を解き明かす人類の奮闘を強調している。

「月の光」はまさにそうした特徴を備えた作品だ。語り手のもとに未来からの危機を伝える電話(温暖化による崩壊)がかかってきて、それに対抗するための技術を与えられるのだが、それを実行すると今度はそのせいでまた別の危機が地球に訪れ──と危機の連鎖がハードな科学描写と共に簡潔壮大に描かれていく。

始皇帝、陳楸帆

馬伯庸「始皇帝の休日」は、中国最初の皇帝である始皇帝が実はゲーム・マニアだったら……という前提からはじまるバカ…SF? ゲームってボドゲか? と疑問に思って読み始めたが『シヴィライゼーション』を始皇帝を選んでプレイしたり(ゲーム序盤で好戦的すぎてあらゆる文明から敵認定されて滅んだ)、『ザ・シムズ』をやらせればなぜ穴を掘ってプールを作るのに資金不足と表示されるのかとブチギレてやめるなど「おまえゲーム向いてないよ……」というほかない始皇帝の休日が描かれていく。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
劉慈欣が「近未来SFの頂点」とまで言った長篇『荒潮』の著者陳楸帆からは「開光」と「未来病史」の2篇が収録。前者は現代のSNS系のベンチャーを中心にしたドタバタ喜劇。人々が社会に求めているのは心理的な安心感であり、そのために適当な名僧高僧に頼んで開眼法要をしてもらって、写真をとってもらった時にありがたい光がさすようなアプリを作って大ヒットするなど、バカバカしい発想から世界の運用法則が決定的に変質していくような巨大なスケールを描き出してみせる。

「未来病史」は未来における様々な病についてのべられていく一篇。そのくだらなさとリアリティのバランス感覚が凄い。自閉症的な傾向を示すiPad症候群(『彼らの病的なiPad愛は、八分の一の確率で次世代に遺伝するのだ。』のくだならさが最高)。インターネット上では誰もが軽度の多重人格症であるといえるが、22世紀には意識を自由に切り替えられるようになり──と、意図的な多重人格化&それを狙ったテロ組織のウィルス感染の蔓延といったありそうな歴史が紡がれる。

陳楸帆はGoogleや百度での勤務経験があり、テクノロジーの最先端の様相をふんだんにとりいれている。が、彼の場合凄いのはそこで留まらずに、「未来病史」では新生児の言語中枢にファイヤウォールを設置することで起こった言語についての変化を描き出していたり、枠にとどまらない自由さを感じさせるところだ。

おわりに

と、いいたいことは大体書いたのでもうないが、「中国SFとしておもしろい」わけではなくて、純粋にSFとして、小説として破壊的におもしろい作品ばかりなので、ぜひ「おもしろい小説が読みたい人」に手にとってもらいたい。今年ベスト級だろう。