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語り合いたくなる映画──『シン・ゴジラ』

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

『シン・ゴジラ』は実に語りたくなる映画だ。セリフは聞き取れないほど早く展開し、それを別の誰かが全ての人間がわかるように解説したりしないから情報量が多いし、1カット1カットにおもしろさと意味不明な部分が込められていてあれはなんだったんだ? あれはめちゃくちゃおもしろかった! と誰かと分かち合いたくなる。

予想を遥かに超えてきた映画でもあった。予想とはいっても、事前情報が絞られていたので予告篇ぐらいしかその材料はなかったのだが。予告篇を見る限りでは、CGゴジラには微妙に違和感があるし、会議のシーンばかりできちんと映画として成り立つのか不安に思う。それ以前の問題として、「邦画の予算規模」という絶対的な限界があり、どうしても観る前に「これぐらいかな」と自分の中で壁を設けてしまうのだ。

観始めてすぐに、そうした心配は杞憂であり、予算の限界はあるのだろうが、その限界内で「最大限できること」を愚直に、尖らせてやっていることがわかる。無能は出るけれどもそこで長々と停滞することはない会議シーン。限られた時間内で、「民間人の命の消耗をどこまで許容するのか」「避難が完了していない都内で武器の使用はどこまでが認められるのか」というリスクとベネフィットをはかりにかけた難しい決断を幾度も迫られることになるのでただの会話に凄まじい緊張感がみなぎっていく。

ゴジラを攻撃するにしても法律に則って許諾を得ねばならぬ場面が随所にはさまれ、3回も4回も連絡の中継をはさんでいく状況も、あくまでも誰もが必死に、バカバカしいと思いながらもやらねばならぬのだと描くことで臨場感に転換されていく。指向されているのは明らかに「できるかぎりリアルな対ゴジラシュミレーション」だが、それを達成するために、ゴジラの生物学的な分析も随所で行われ、リアリティを保ってゴジラという「虚構」を東京のド真ん中に現出させようと力が尽くされている。

日本の対ゴジラシュミレーションを描くとなったら当然そこには米軍や安保もからんでくるわけである。「ゴジラをめぐる日米の対処方法の違い」が、「ゴジラという作品を今、現代で日本でやり直すことの意味」に重なっているのも実にメタ的でおもしろいところだ。それどころか各所のオタク/はぐれものが対策メンバーとして集められる場面など、作品のあらゆるセリフ・行動が自己言及的で、庵野秀明作品だなあと思うところでもある。徹底してリアルかといえばそういうわけでもなく、最終版に至っては「そこまでやるか!!」というほどにリフト・オフしていくが、その分それに見合った圧巻の興奮/絵面をもたらしてくれるのも見どころである。

ゴジラが東京に上陸し、都心で働いていたり遊んでいたりする身としては見慣れた景色が無残にも破壊されていく/ゴジラが東京の中で佇んでいるシーンが楽しくて/美しくて仕方がない。現実ではない、映画/虚構の中だからこそ派手に東京を壊滅させてほしい、人間を無残にも、あっけなくぶち殺してもらいたい。変にお涙ちょうだいで感動の音楽を流して一人や二人の死を悼んでいる場合じゃねえ! もっとガンガン虫みたいに死んでくれや!! という欲望を完全に満たしてくれた映画でもある。

なので人が限定されるけど、都心の景色に馴染みがある/恨みがある人にはぜひオススメしたい映画でもある。見慣れた景色に圧倒的な「虚構」が屹立しているという、その風景だけでも素晴らしいのだから。そして一言で言えば「好きにやってやったぜ」という映画であった。本当に楽しそうにゴジラが画面に映されているのだ。

というわけで以下は完全にネタバレ箇条書きで書いていきまっせ。

  • アメリカ(ハリウッド)が核でやっちまって同情集めて復興すりゃあええじゃろうがそれが安全確実間違いなしやで、っていうところで日本が「でもここはわいらの国なんじゃからわいらがなんとか核以外の方法でやらんとあかんやろマジで……」といって提案する核以外の策が「無人在来線爆弾」や「無人新幹線爆弾」や「重機凍結作戦」とかいう無茶苦茶な使えるものは手当たり次第に何もかも使ってやるぜ的なごった煮手段なのが笑う。
  • ↑これもまた自己言及的で「これがわいらが好きにやった結果の、ゴジラじゃい!!!!(やれることはなんでもやる)」っていう感じでよかったですね。もう凍結作戦が開始してからは笑って良いのか泣いて良いのかわからんかったよ。
  • テロップ芸は最初の方「ダサいしやる意味あんのかなあ」と思っていたけど「無人在来線爆弾」までたどり着くと「文字が出ただけで笑いが止まらん」となるので圧倒的に強い。お、お前らー!! 真面目な顔して会議しているかと思ったら「新幹線を使って……」「在来線に爆弾をつけて全部突っ込ませて……」とかを作戦立ててたんかい! 無人在来線爆弾とかいう強すぎるワードとその結果としての絵面は日々満員電車に殺意を抱いている人間はみな喝采を挙げたであろう。
  • 中盤、ゴジラがいったん止まった後で薄暗い中ゴジラが橋かなんかの向こう側にどっしりと佇んでいる短い時間のカットが無茶苦茶感動的であのシーンだけでもこの映画をみて本当によかったなと思った(伝われ)。
  • CGの粗さをごまかそうとして夜のシーンに逃げずに、粗さが顕になろうがなんだろうが徹底的に昼のシーンでゴジラを映すことにこだわったのは良かった。
  • 石原さんと長谷川さんが外で話していてカメラが空に引いていって線路が見えるシーンは「な、なんで引いたんだ……?? この線路に何の意味が……?? 線路はかっこいいか……?」と思った。あれはなんなんだ。俺たちはこれから無人在来線爆弾とか無人新幹線爆弾をやるからなっていう意思表示だったのか。
  • 「スプラップ・アンド・ビルドでこの国はのし上がってきた」というセリフもよいし、トップが軒並み死亡してもすぐに代わりが決まって物事が前に進んでいく(しかも次のトップはのらりくらりとしているが何気に決めるべきところは決める、前任とは違うタイプの日本型指導者)のも、それはそれで日本の強さであるという描き方がよい。
  • トップが無能というか、圧倒的に非効率な組織体制で、決断がくだされるのが遅いけれども下にはけっこう有能な人間が揃っていていざっていう時は下の層がなんとかする/できるように流れができる感じもたまにうまくいったケースの日本組織(いつもうまくいくわけではない)って感じでよかったですね。
  • ラストでゴジラを海に戻さず、東京にドシンと鎮座させて我々はこのゴジラ/虚構と共に生きていかねばならぬというのがよかった。
  • 仕事で嫌な思い出のある浜松町が壊滅してうれしかった(子供か)