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数学はやり続けるに値する暇つぶしなのか──『青の数学』

青の数学 (新潮文庫nex)

青の数学 (新潮文庫nex)

『天盆』でファンタジーを、『マレ・サカチのたったひとつの贈物』ではSFを描いてきた王城夕紀さんの三作目は、前二作につづいてこれはまた難しそうなところに放り込んできたな、と一読して思わせられる「数学バトル青春小説」である。

「数学バトルってなんじゃい」と思うかもしれないが、現実にも「数学オリンピック」といって難問に対して何点とれたかを競い合う数学競技がある。加えて、本書にはフィクション要素としてそれ以外に夜の数学者と呼ばれる日本人がつくりあげたネット上の数学コミュニティサイト「E2」が存在している。そこにはとても解けきれないほどの問題が用意されており、参加者らは決闘という形で同じ問題群に取り組み、さまざまなルールで勝敗を決することができるのだ。

主人公の栢山くんは、少年時代に原初的な数学の楽しさを教えてくれた柊先生の「やり続けていれば、いつか着く」という言葉を胸に高校へと入学しても数学に邁進し続けている。高校入学前のある日、数学オリンピックの予選へと向かう道の途中で栢山くんは数学オリンピックを2年連続で金メダルで制している女性、京香凛と出会う。

数学は単なる暇つぶしだ、という彼女に対して彼の中には何かが沸き起こってきて、『「数学が、やり続けるに値する暇つぶしか、そうでないか」』を賭けることになるが──、ここから栢山くんと数学をめぐる状況はめまぐるしく動き出していく。

なぜ、という問いは人を惑わせる

作中で何度も繰り返されるのは「なぜ」という問いかけだ。「なぜ、数学を続けようとするのか」「夜の数学者はE2になぜ決闘なんていう仕組みをつくったのか」「なぜ、黄金比とフィボナッチ数列は、自然界のあらゆる場所に見られるのか」、などなど。こうした問いかけの中には、明確な答えが与えられるものもある。たとえば、E2に存在する決闘の存在理由なんかは、つくった当人に聞けばそれで済む話だ。

しかし、なぜ黄金比とフィボナッチ数列が自然界へ無数に現れるのか。これなんかは答えがあるかどうかもわからず、そもそも問い自体が間違っている可能性もある。答えが出ることのない間違った問いに向かい続けた数学者は、その人生の全盛期を虚無へと投入してしまう危険性もある。『なぜ、という問いは人を惑わせる』とは主人公の述懐だが、本作では、「どのように問えばいいのか」「なぜ、問わねばならないのか」など無数に連なる「なぜ」を描きながら、数学の魅力を描き出していく。

数式は頻出するが自力で解かねば楽しめぬものではない(作中人物が解いてくれるから安心だ)ので、数学好きでなくとも──というよりかは、数学に抵抗感を持っている人こそ、数学へと熱中する登場人物たちをいったん通すことによって、その魅力はより伝わるようにも思う(マイナスからプラスに転じた方が上昇率が良い理論)

数学バトル

栢山くんは高校でE2の存在を知り、より深く数学の世界にのめり込んでいくが、ここのプロットは完全に数学バトル物と化していておもしろい。数学オリンピック金メダリストの京に目を付けられた彼は一躍有名人となり、私立のトップ偕成高校の数学研究会であるオイラー倶楽部のメンバーと72時間の死闘を繰り広げたり、合宿で無数の人間と数学バトルロワイヤルに挑んだりノリが完全にバトル物だ。

「難しいところに放り込んできたな」と最初に書いたのは単純に題材の難易度が高いからだ。「強者」を出すには難問を解いてもらう必要があるが、読者にその難度がわかるように説明するのが難しい。バトルは結局問題をできるかぎり早く解いていくだけだから地味で、逆転や拮抗の場面を描きづらい。数学オリンピックのノンフィクションはおもしろいがそれはノンフィクションとしての割り切りがあるからで、フィクションで、フィクションならではの数学バトルを描くのはやはり難しいだろう。

本作は確かにそうした演出的な難度の高い部分について、地味になってしまっている部分がある。全体的に淡々と進んでいくし、いまいち盛り上がらない。

それでも、栢山くんが72時間数学のことばかりを考えてボルテージが上がっていく心情や、多くの学生が数学へと熱中する文化祭前夜のような熱気ときらめき。難問に対して問題を単純化し、拡張し、置き換えてみせと頭の中で無数にこねくりまわしていくうちに一筋の活路が見えてくるという数学ならではの抽象化された展開がお馴染みのスピーディで切り替わりの速い文体で描かれていき、描写としては淡々としていながらも数学のおもしろさ──その興奮が、よく伝わってくる。

特異な会話劇

加えて、E2というコミュニティが生まれたせいなのかなんなのか、無数の数学キチ高校生がいる世界観ならではの会話劇が魅力的だ。

たとえば「好きな数字は?」と栢山くんが聞かれて「1729」と答えるとすぐに相手から「ラマヌジャン数か」と的確に返ってくる。「あたし、その人を好きな数字と一緒に覚えるんだ」と言われ、相手の好きな数字を聞き返せば『「1から8までを一度ずつ使う八桁の平方数のうち、一番小さいのは?」』と問題形式で回答が返ってくる。異常といえば異常、面倒くせえやつらだといえば面倒くせえやつらだが、テンポよく数学会話が積み重ねられていくのはたまらなくおもしろい。

『すべてがFになる』の序盤で真賀田四季と西之園萌絵がやっているようなやりとりが全編に渡り続けられているような感じ(一部にしか伝わらないたとえだなこれ)。

おわりに

果たして栢山くんは「やり続けていれば、いつか着く」といわれた場所に、たどり着くことはできるのか。京と栢山くんとの縁はどのような決着を見せるのか。仄かな恋の行方は──(そんな展開があるかは読んで確かめてもらいたいが)、などなどが「続巻をまて!」という感じで終わっているので、2巻以後に期待したい。

というか、ここで描かれているのは、本作の中でも念押しされているがあくまでも「数学の手習い」にすぎない。問題をいくら解いたところで、それは誰かが考えた、すでに解の出ている問いに答えているだけだ。本物の数学はその先、「誰も答えを出したことのない問題に答えを出すこと、あるいは誰も考えたことがない問題を自ら考えだすこと」にある。青春小説なんだから手習いでいいだろう──という見方もあるだろうが、ぜひ「その先の風景」もみせてもらいたいものだ。

王城さんは『天盆』も『マレ・サカチのたった一つの贈り物』も共に傑作なのでおすすめですよ!
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
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