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「いま・ここ」にいる人たちに読んで欲しい、東京に核が持ち込まれた状況を描き出す、藤井太洋による緊迫の現代スリラー──『ワン・モア・ヌーク』

ワン・モア・ヌーク (新潮文庫)

ワン・モア・ヌーク (新潮文庫)

  • 作者:藤井 太洋
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: 文庫
この『ワン・モア・ヌーク』は、近未来サスペンス・SFの書き手として知られる藤井太洋の最新作。2020年の3月11日。日本人にとっては忘れることのできない東日本大震災が起こったその日に、核兵器を東京の中心部で爆発させるというテロを宣告したテロリスト側と、それを阻止しようとする日本政府関係者らの視点を軸にした、核兵器をめぐる現代スリラーである。one more nukeとは、核をもう一度の意味だ。

僕は藤井さんの作品を統計的に正確な至近未来の日本の描写、IT周りの描写の確かさなどいくつもの側面からとても好んでいるが、この『ワン・モア・ヌーク』はその中でもピカ一の出来だ。その理由はいくつかある。まずひとつめは、藤井さんは小説を書き始めるきっかけとして、東日本大震災と原子力発電所の事故における放射能に対する報道やデマが蔓延した状況への違和感、科学技術に拒否反応が増えていくことへの反発があったと語っているが、本書は真正面から「震災」と、「正しい情報を伝えること」自体がテーマになっていく、いわば原点へと立ち返った作品であること

東京にどのように核を持ち込むのか、どのように持ち込まれた核の爆発を阻止するのかといった科学・技術的な描写が緻密であること。また、技術的な攻防がそのまま物語の結末へと直結していくこと(このへんは藤井作品のいつもの魅力だが)。2011年から9年が経過し、福島から遠く離れて暮らしつつある人にとっては風化しつつある「震災」と、そして「オリンピック」が間近に迫った今だからこその物語であるということも重なりあって、いま・ここにいる人たちにこそ読んでもらいたいと思う。

ざっとしたあらすじ

物語の舞台になっているのは2020年の03月05日〜03月11日の6日間だ。かつてフセイン政権下のイラクで、原子力発電所の開発に従事していた核物理学者サイード・イブラヒムが、3月6日に成田空港に降り立つ。彼は20キロの金属の荷物を持っていて、単なる無用な塊にしかみえないそれは、検査は受けるものの呆気なく通過する。

が、それはただの金属ではない。これはイブラヒムがイスラム国にもぐりこみ、アサド政権が買い付けたロシア製のプルトニウム分離・濃縮プラントとウラン燃料を手に入れ、一年半に渡り濃度70%にまで育て上げたプルトニウム239であり、外側が直径47センチ、中心が9.2センチの、長崎に落とされた核爆弾の中心核と同設計の金属球だ。無論、金属球はそれだけでは爆発しない。頑丈なケースに入れて、隙間を爆薬で埋め、さらにその爆風が完全に中央に向かうようにして圧力を加える必要がある。

その精度を出すには高度な金属加工&電子技術が必要とされるため、通は不可能だ。だが、イブラヒムは「それをわざわざ危険を犯して日本に持ち込んだ」のである。であればこそ、それを可能にする何かが日本にあるのかもしれない──と、国際原子力機関、IAEAの技官である舘埜の元に、CIAのシアリーから、イブラヒムが核を持ち込んだ可能性があること、またその調査を手伝ってくれないかという依頼が入る。そんな事は無理だと、最初は本気にしない舘埜だが、仔細に情報を検討していくうちにその可能性がありえることに戦慄していくことになる。

シン・ゴジラ的な検討パート

舘埜らのパートではこの後、イブラヒムに対抗する専門分野が異なる特別チームが組まれ、「どのような型であればテロリストが技術的に核爆弾を作れる可能性があるのか?」を無数のパターンに渡って検討していくのだけれど、この辺はシン・ゴジラの作戦検討パート感があって大変盛り上がる場面だ。広島に落ちたガンバレル型は? と問われれば、98%を超える濃度のウラン235かプルトニウム239が必要で、想定されているイブラヒムが持ち込んだ濃度20%のプルトニウムでは不可能なはず。

では、長崎の爆縮型だ、というのだがこちらも簡単ではない。プルトニウム239濃度20%では、『「プルトニウム239濃度20パーセント、ウラン235が72パーセント、残りがガリウムのα相合金でプルトニウム原子が進行型臨界──超臨界を起こすためには、一〇三二万気圧必要なことが分かりました。反応の許容時間は2・8522マイクロセカンド、およそ三十五万分の一秒です。」』になり──と検討が続く。

テロリスト側

そうした前人未到の核爆弾・テロを阻止しようとする人々とは別に、テロリスト側からしても決死の作戦なのは変わらない。イブラヒムも当然一人ですべてを行うわけではなく、特にプルトニウム239の核爆弾化に関しては日本人技術者の協力者がいる。一体彼らはなぜ「核をもう一度」を合言葉とし、何を目的としているのか。

原子力の使用を抑制させ、「東京の街へ大きな空隙を作る」ことを目的とするものもいれば、爆発させることそれ自体を目的に邁進するもの、「東京を取り戻す」ために行動するものもいて──と、その動機・思想が、東日本大震災での経験と、この日本という国と核についての意識に関連して描かれていくことになる。こちらはこちらで、テロリスト内の攻防は技術的なものに終始していて、テクニカルである。

おわりに

テロの予告が動画で日本国民に向かってなされてから、予想される核爆弾の影響範囲の算出、都民をどこまで避難させればよいのか。どのようにして日本政府は説明責任を果たすのかなどの政府の対応と、後半はよりスケールがアップし高速で展開していくので、ぜひ中盤頃まで読んだら最後まで一気に突っ走ってもらいたい。

テロが成功する/失敗するという軸以外にも、本作で展開する核爆弾生成に関する技術的なブレークスルーによってこの世界情勢における「核」の意味合いが決定的に変質してしまうことなど、日本・東京の枠を超えた展望をみせてくれる一冊だ。