その行動は破天荒ながらもある意味では一貫している。とにかく金を稼ごうとする強欲さ、圧倒的に自分を「大きく見せようとする」強烈な自己顕示欲。その自己顕示欲がくるくるくるくると回り続け肥大化することで、採算がとれるはずもない、ただただ見栄だけではじめた事業に手を出して破産したり、思いつきで金を浪費したり、今回のように大統領選で派手なパフォーマンスを繰り返してみせたりもする。
純資産は事実よりも大きいものを世間に公表しているが、それについて聞かれても「純資産は俺自身の感覚で変動する」などわけのわからないことをいう。挑戦、挑戦、挑戦の人生で失敗もそれに比例して多いが、決して失敗を失敗と認めないし、失言も多いがたいして気にしているようにも見えない。嘘も平気でつきまくる。
本書を読めば「こいつだけはアメリカ大統領にしちゃいけねえ」と誰もが思うだろうが、それは別に本を読まなくとも普段の言動・行動をみているだけでも到れる結論である。一方で、現実に起こっているのはそうした否定的な気持ちを裏切るトランプ支持だ。対抗馬が残念で──という消去法的な事情もあるけれども、それだけではなく、トランプにはたしかに卓越性も存在しているからである。本書は別にトランプを賞賛する本ではないが(けなしもしないが)その卓越性もきちんと捉えている。
なぜトランプを支持するのか
トランプ支持者の言葉もたくさん本書には出て来るが、「はっきりものを言ってくれる」「わかりやすい言葉で話している」あたりはみな共通している。『アメリカン・ドリームをかつてないほど偉大で、素晴らしく、確実なものにする。かつてないほどだ。はるかに偉大で、はるかに素晴らしくて、はるかに確実なものにする』のように、強くてシンプルな言葉を繰り返して、アメリカは衰退しているんじゃないか、弱くなっているんじゃないかという国民の負の感情を打ち消すように鼓舞していく。
親友も友人もろくにおらず、選挙チームを構成するのはこれまで大統領選に関わった経験がない人々で、最も頼りにしているアドバイザーは自分の子供たちと配偶者。政治的に正しい言い方なんてものはクソ食らえで差別感情を丸出しにして語りだし、スピーチも原稿なんて用意せずにいくつかのトピックだけを元に印象的な言葉を羅列する。とある集会では、撤退した対立候補を×で消していき、『「この国はこうするべきなんだ。楯突くものは一人残らずぶっ潰す」』と強く主張してみせる。
集会にやってくる支持者は、すでに聞いたことがある話をもう一度聞かされようが、いっこうに気にしない。たとえば、フォードがメキシコに大きな工場を建てていることや、トランプが大統領になれば、その仕事をアメリカ人が取り戻すといった話だ。
「その話を聞きたいか?」
「聞きたい!」と支援者は応じる。
「もう一度、聞きたいのか?」
「聞きたい! 聞きたい!」と支援者は叫ぶ。
と、まあこういう感じで支持されているわけだ。トランプの支援者を情動的に煽り立てられ、乗せられた愚かな人たちだ、と言い切るのは簡単だけれども、一方である意味ではこれまで政治的言質が「わかりにくい言葉」「政治的に正しい言葉」「理性的にみえる綺麗事」となって、下層民にまで届かなかったという面もあるのだろう。
実際にトランプが大統領になったらという暗い未来をみないようにすれば、現状はトランプがこれまで築き上げられてきた「大統領選のやり方」「政治家の正しいあり方」をまったく別方向から破壊しにかかっているようにも見え、それ自体についてはおもしろいともいえる。実際、『トランプは何をするかわからず、「体制側を慌てさせている。ある意味で、そこが良い」』と語るわりと無責任な支援者もいる。
さて、実際にそんなトランプがどんな人物なのか──が本書の肝だけれども、「漫画のキャラクタでもこんなやつはいねえよ」みたいなエピソードが多すぎなので読んで確かめてもらいたい。マライア・キャリーやダイアナ妃とやりたいとラジオで公言したり、自分が共和党員なのはよくわからないといったり(硬直化した党の持つ限界性を率直に述べているとも言えるが)、自身の代理プロレスラーを億万長者同士が戦わせる(負けたら自慢の髪を剃り落とす)プロレスに参戦したりとやりたい放題である。
20人以上の記者を投入し、トランプの子供たちへのインタビューも充実している。たとえば息子の一人は、父親は競争心があまりに強く、10歳の自分にスキーで勝とうとして押しのけたと語っていて「そんな子供っぽいやつがいるかよ」と笑ってしまった。今読めばアメリカ大統領戦をよりいっそう、「こんなヤバイ奴になったらどうなってしまうんだ!?」とはらはらどきどきしながら待つことができるだろう。