たとえば、配信者がゲームのマッチングを開始したのにタイミングを合わせてマッチング開始し、配信者とマッチングしたらその試合で通常ありえないえないゲームプレイをして負けに導いたり、挑発行為を繰り返したり、Apexのようなバトロワなら配信を見て位置を把握し集中攻撃をかけたりが行われるのである。
そうした悪意あるプレイヤーが、なぜ、自分にとってたいして利益があるようにも思えない悪意ある行動をとるのか理解できないなと長年疑問に思っていた。しかし、今回本書『悪意の科学』を読んだことで、疑問にたいして、すべてではないもののある程度解答が与えられることになった。
世の中には悪意を持つ人間が一定数いて、彼らは時に、積極的にコストを支払ってでも嫌がらせを行う。そして、そうした行動に(嫌がらせ実行者の)利益が見えなくても、実際には利益が存在するケースが多いのである。本書では数多の実験を通して、人間の悪意が発露されるのはどんな時なのか。遺伝子が関係している面はあるのか。セロトニンと悪意の関係など、科学の様々な観点から悪意を解き明かしてみせる。
今回はゲームの話を枕に持ってきたが、人間の悪意は政治にも関係してくるし、SNSやこうしたWeb記事にも関わってくる。インターネットはとりわけ悪意が発露しやすい場所だが、われわれはどうやったらこれを乗り越えることができるのか? 200ページちょっとの中に、そうした話題と知見が詰め込まれている。
たとえ自分が損をしても嫌がらせを行う人たち
悪意や嫌がらせに関する研究で最も有名なのは「最後通牒ゲーム」だろう。このゲームは、隣接する部屋にいる二人の人間で構成される。片方の人間は10ドルなどいくらかのお金を与えられ、もう片方の人間と好きに分け合うように提案される。
9:1で配分してもよいし、5:5でもいい。代わりに提案を受けた側は、二人の取り分をゼロにする「拒否権」が与えられる。9(分配する側):1で配分された場合でも、1の利益が出るので経済合理性の観点からいえば拒否する理由はない。しかし、実際には約半数の人が10ドル中2ドル以下の提案は拒否するのである。
アメリカのような一部の国だけではないのか? という話もある。実際、アマゾンの盆地に暮らす先住民のマチゲンガ族では、低額のオファーを拒否する人はほとんどいなかったなど、文化によって提案を蹴るかどうかに差が出ることがわかっている。文化によって異なるとはいえ、西洋以外の少数部族でも2ドル以下のオファーを跳ね除けるケースがみられることから、悪意のある行動は普遍的に存在するといえそうだ。
しかし、なぜそうした経済合理性に反した選択が起こり得るのだろう? 理由のひとつとして挙げられるのは、この悪意ある拒否が結果的に公平性に繋がるからだ。10ドル渡されて8:2で分配したのであれば、そこに公平感は存在しない。そこで、拒否者は不公平な扱いへの反発に加えて、次に公平な行動を促すための相手への「罰」として拒否を実行するのだ。悪意はこのように、正義のために用いたり、創造性の助けにすることができる──というのが、本書で展開していく主張のひとつである。
公平性以外の理由から相手に嫌がらせを行う人たち
最後通牒ゲームの他に、人間と悪意についての別側面を明らかにする「独裁者ゲーム」も存在する。こちらでは相手に何割を分け与えるのかを決める提案者に、相手のプレイヤーはオファーを断ることはできないと説明される。
拒否できないので、独裁者の選択は自分の内なる道徳的基準にのみ影響を受けるが、「最後通牒ゲーム」で不公平な取引を提案され、「拒否」を選択した人たちにこのゲームをやらせると、興味深い事実が判明する。お金を公平に分ける人と、不公平に分ける人に二極化するのだ。最後通牒ゲームの先の説明で言えば、不公平な取引を拒否する人は自分がコストを払ってでも相手を罰する「公平性重視の人」である。このタイプの人が独裁者になった時、5:5で公平に分け与えるのは不思議な話ではない。
だが、最後通牒ゲームで「拒否」し、同時に独裁者ゲームでは相手にごくわずかな額のオファーを行う、公平感から拒否しているわけではない人々も存在することが近年わかってきた。いったい、彼らは何を目的にしているのか──といえば、次のように説明される。『こうしたプレイヤーは支配に反抗しているだけでなく、自分たちが支配したいのだ。彼らは他者が自分たちよりも得することに対する嫌悪感から行動しているだけではない。彼らは他者よりも得するのが好きだからそうするのだ。』
本書ではホモ・リヴァリスといわれるこのタイプの人間は、最後通牒ゲームで10ドル中2ドルのオファーを断る場合、自分は2ドルを失うが相手は8ドルを失うので、相対的に得をすると考える。罰を与えるタイプのゲーム(自分が1ドル失って相手が3ドルを失うなど)で実験したところ、自分が1ドル払うごとに相手も1ドル払うようなゲームでは、ホモ・リヴァリスは罰を与えない(2%だけはそれでも罰を行使した)。
冒頭に述べたものもそうだが、一見不可解な嫌がらせ行為を行う人たちのうちのいくらかはこうしたホモ・リヴァリスに属する人間である可能性はあるのだろう(本書では他にも「善人ぶるものへの蔑視」としての悪意の発露など、別の角度から説明がつきそうな事例も紹介されている)。
悪意と政治
本書を読んでいてもうひとつおもしろかったのが、悪意と政治の関係。トランプが勝利した歴史的なアメリカの大統領選で、世論調査によればトランプに投票した人のうち53%が、トランプを支持しているのではなくクリントンを勝たせたくなかったからだと答えている。これは、先の例でいえば「コストのかかる罰」だ。
また、「トランプが当選したら嫌な気持ちになる」と答えた人々のうち13%、「トランプが勝ったら心配だ」と答えた人たちの3分の1がトランプに投票している。普通心配や嫌な気持ちになるのなら投票しないように思えるが、それをしている理由のひとつが、クリントンへの悪意(クリントンは民主党の予備選挙で不当に指名を獲得したと悪印象が持たれていた)なのだ。他にも「トランプが大統領になったら(たとえそれがナチスのようになることだとしても)何が起こるのか見てみたかった」であったり、サンダース支持者でありながら「すべてを焼き尽くして、また新しいスタートを切りたい」からトランプに投票したとコメントしている人もいる。
こうした世界を焼き尽くしたいという欲求を持っている人はどれぐらい存在するのだろう。「外国で自然災害が起きると快感を覚える」などの項目が揃った、カオスの要求に関するアンケートでは、「社会は焼失すべき」という意見に賛成した人が10%、社会制度を解体してやり直すべきという意見に賛成した人は20%にも上った。
おわりに
アンケートに単に答えるのと実際に行動に起こすことは別問題なのはそうなのだが、自分がマイナスになる可能性があってもカオスや混乱を要求する心情というのは、そう珍しいものではないのかもしれない。われわれはこの社会を生きていく上で、こうした人間が絶対的に存在することを意識する必要がありそうだ。
本書では他にも、セロトニンや遺伝子と悪意の発露の関係やインターネットで行われる嫌がらせ行為にどうやって対抗していくのかなどのトピックが取り上げられている。本稿で触れたのはごく一部にすぎず、ここで挙げた以上のたくさんのデータと研究が紹介されているので、ぜひ読んで確かめてみてね。