基本読書

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なぜ経済学者は信用されないのか?──『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』

2019年にノーベル経済学賞を受賞したバナジー・アビジット・Vとデュフロ・エステルによって書かれた「現代の経済学の信頼性を回復」させようとするノンフィクションである。先日発表されたビル・ゲイツによる「この夏おすすめの5冊」にも選ばれていた一冊でもあり、読んでみたのだけれども、これが非常におもしろい。

今の経済学というのは市民に対する信頼性を欠いていて、市民は経済学者のことなど信じていない、という問題設定のところからして「たしかに」と笑いながら納得してしまう。実際、イギリスのEU離脱に伴う国民投票において、イギリスの経済学者たちはこれがいかに不利益をもたらすかを説明し続けたが、ほとんどの人はいうことに耳を貸さなかった。2017年に行われた世論調査では、「以下の職業の人達が自分の専門分野についての意見を述べた場合、あなたは誰の意見をいちばん信用するか」と問うたが、最下位は政治家(5%)で、経済学者は下から二番目だった(25%)。

なぜ経済学者の意見は受け入れられないのか?

では、なぜ経済学者はこれほどまでに信用されていないのか? ひとつには、経済学者の一致した意見が、一般の人々の意見とかけ離れていることが原因だという。

たとえば、アメリカが鉄鋼とアルミに追加関税を課せばアメリカ人の生活は向上すると思いますかという質問に、経済学者は全員がノーと答えたが、一般回答者でノーと答えたのは3分の1を上回る程度だった。しかも、経済に関する問いに答える前に、経済学者の見方を知らされても、自分の見方を変えないことを示す研究もある。

経済学者が信用されない理由の二つ目は、「エコノミスト」を自称する経済学者でもなんでもないがそれに類するものとみなされる人間が、適当なことをいうということだ。自称エコノミストは多くは会社に所属していて、自社の経済的利益を代表して発言しているから、不都合なエビデンスは無視してもよいと考えがちだ。たとえば飲食店経営に関わっているのであれば、自粛ムードに最もらしい理屈を掲げて反対するのは当然で、しかもそれを押し通すために過度に楽観的になる傾向がある。

経済学者に対する不信の三つ目の原因は、経済学者側にある。『アカデミックな経済学者は、断定を避けあれこれ含みを残した結論を出すうえに、その結論にいたった複雑な過程を説明する時間を惜しむことにある。』『最良の経済学は多くの場合に非常に控えめだと私たちは感じている。世界はすでに複雑で不確実すぎる。』

著者らが本書で試みていくのは、そうした複雑な経済について、貿易の未来はどうなるのか。貿易は不平等にどのような影響をもたらすのか。市場から見捨てられた人々を社会はどうやって救うのか。AIの台頭は歓迎すべきなのか。そうした、多くの市民がきになっている・誤解している件について、その面倒くさい過程をしっかりと説明し、わかっていないこととわかっていることの仕分けを行うことである。

移民の問題

最初に取り上げられるのは移民の問題だ。移民は多くの国で重大な政治問題となっている。移民を嫌う人は大勢いる。低スキルの移民が入ってくることで仕事がなくなり、犯罪が増える、国には分断がおきるなど。だが、それはどこまでが本当か?

イタリアでは、移民が総人口に占める比率は10%だが、調査に答えた人々の平均は26%だった。2017年のフランスの大統領選挙で、ルペンは「移民の99%が成人男性であり」「フランスに定住する移民の95%は働かずに国に世話をしてもらう」といったが、どちらも誤りである。前者は58%、後者は55%がちゃんと働いている。

なぜこんな嘘がまかりとおるのかといえば、それが多くの人の「イメージ」に合致するからなのだろう。事実を知れば意見を変えるでしょう? と思うかもしれないが、間違った主張を繰り返し聞かされた被験者は、事実誤認を聞かされても意見を変えないことがわかっている。これには、先に書いたような「自分たちの賃金水準が大きく低下する」という、ある意味では合理的な推測が関連しているのかもしれない。

だけど、実際にはそれは違うんですよ、というのが丁寧に説明していく部分だ。たとえば、どれだけ国内の経済状況が悪化したり紛争が起こっても人は移動しないことがわかっている。ギリシャでは、経済危機が深刻化した2010〜15年に35万人が移住したと推定されている。すごく大きいようにみえるが、総人口の3%にすぎず、13年と14年の失業率は27%にも達しており、EU加盟国であるがゆえにEU域内を自由に移動して働くことができる状態で35万と考えると、少ないといえるのではないか。

また、移民流入によって教育水準の低い層の賃金と雇用の変化を比較した研究では、いずれも低技能移民の流入が受入国の既存労働者の賃金と雇用を押し下げることはない、と結論が出ている。現在、特にアメリカでは怒りが移民に向かうことが多いが、そうした断絶が「移民はあなたの仕事を奪うわけではないし、そもそも移民はたくさんはやってこない」ことを伝えることで解消されるかもしれない。

たとえば、多くの企業がアイダホ州のボイシから撤退して繁栄するシアトルに拠点をうつした時、多くの労働者は移動しなかった。物価の高いシアトルにすぐに移れるわけでもないし、故郷や友人たち、愛着の湧いた土地から移動したいと思っていない。だから彼らはボイシにとどまったが、仕事はなくなっていく。この選択はまちがいだったと気づいた時、この人達は絶望をするか、怒りをどこか別の場所にぶつける。

『経済成長が止まってしまうとか、成長しても平均的な人間には利益が回ってこないという状況では、スケープゴートが必要になる。』これが、世界に二極化を招いている。

こうした現象が、東ドイツでも、フランスの大都市圏周辺でも、ブレグジット賛成派の多いイングランド中心部でも起きているし、アメリカのレッド・ステートでも、ブラジルやメキシコの多くの地域でも起きているのである。富裕で才能に恵まれた人たちはあっという間に経済的成功の階段を駆け上がるが、それ以外の大勢の人々は取り残されたままだ。アメリカ大統領にドナルド・トランプを、ブラジル大統領にジャイル・ボルソナロを、イギリスにEU離脱を選んだのはこうした世界であり、いま何も手を打たなければ、もっと多くの災厄を生むことになるだろう。

おわりに

移民の周りの話しか紹介できなかったが、他にもベーシック・インカムについての議論であったり(肯定的に紹介されている)自由貿易は本当に善か? という話であったり、現代の経済学で話題に上がるが一通り網羅されているので、現代経済学を概観したい人にもおすすめだ。個人的に何より重要なのは、「世界がいかに不平等なのか」という話の先の、「こぼれおちてしまった市民の尊厳を、いかに尊重した政策を設計するのか」という、「個人の尊厳」を重視して経済を語っているところだと思う。

今日のような不安と不安定の時代における社会政策は、人々の生活を脅かす要因をできるだけ緩和しつつ、生活困難に陥った人々の尊厳を守ることを目標としなければならない。だが残念ながら、現在の社会政策はそうはなっていない。

人がなかなか生まれ持った土地を移動しないことも、自身が貧困に転落して怒りや絶望(アメリカでは白人の寿命が近年、年々短くなっている)をつのらせることも、移民や貿易に対する悪意がむきだしになることも、経済合理性ではなく一人の人間としてみることで理由がみえてくる。そうした層を支援する際に、落ちぶれたものとして見下す視線ではなく、敬意を払い、受け取る側が負い目を感じないですむ方法もあるはずだ。「誰もが希望を持てるような状況をつくること」、それを実現するための経済学の活用方法とはなにか、が本書では模索されているのである。