いくつか読んだが、中でもイスラエルの民主主義を達成させるためのNGO、「新イスラエル基金」のCEOの著者ダニエル・ソカッチによる『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』は今年(2023年)の2月に刊行されたばかりのノンフィクションで、現在の事態をフラットに、かといって事実を列挙するだけではない形でイスラエルーパレスチナ間の問題を説明していて、特におすすめの一冊だったので紹介したい。
著者は本書を、ある特定の観点──歴史家のペニー・モリスが「正義の犠牲者」と名付けた者同士の闘争──から記述を進めていくと語る。パレスチナとイスラエルの両者はどちらも土地にたいする正当なつながりと権利を有していて、両者ともに外部の世界の「犠牲」になってきた二つの民族であるという前提を置いて語っていくのだ。
それは土地をめぐる紛争であり、記憶と正統性をめぐる紛争でもある。生存権をめぐる紛争であり、自己決定権をめぐる紛争でもある。生き延びることに関する紛争であり、正義に関する紛争でもある。それは、その信奉者が完全に「正しい」と見なす相容れない語りをめぐる紛争である。これらの語りは、実体験のみならず、物語や宗教的伝統、家族やメディア消費や政治的信念によって──また故意かどうかは別にして、さまざまな程度の無知によって──支えられている。イスラエル人とパレスチナ人の紛争を解決することの最大の障害は、政治的想像力の欠如ではなく、政治的意志の欠如だと思う。
本書は二部構成になっていて、第一部ではイスラエルとパレスチナが現状に至った歴史的な経緯を語り、続く第二部では「イスラエルについて話すのがこれほど難しいのはなぜか?」と題して、イスラエル周りの諸問題がなぜこんなに複雑なことになっているかの、その理由がいくつかの観点から語られる。著者はアメリカのリベラルなユダヤ人コミュニティの出身者で完全に中立の立場ではないが、その記述には(素人の僕からみてだけど)それなりに客観性があるように思う。イスラエルは正しい、あるいは間違っている、どちらの立場にも立たず、「グレーである」としてすべては進む。
何が起こったのか?──聖書や歴史的正当性についての話
イスラエルの概念上のはじまりはヘブライ語聖書にある。神はアブラハムに「わたしが示す地に行きなさい」というが、それが約束の地カナンであり、のちにイスラエルとして知られるようになる土地である。ヘブライ語聖書はユダヤ人とユダヤ教の起源を示す物語であり、ここでユダヤ人とイスラエルのつながりが生まれた。
さて、そんな聖地というなら最初からそこで国を作ればいいじゃないかと思うところだが、実際ユダヤ教を信じる者たちの王国は現在のイスラエルとヨルダン川西岸にあたる地域で盛衰を繰り返していた。だが、紀元前63年にはローマ帝国に属国とされ、紀元70年にはユダヤ人の反乱が失敗して帝国によりエルサレムが破壊される。そこからしばらく後、ローマ帝国はユダヤ人の独立意識を押しつぶそうと多くのユダヤ人をその地から追放。彼らが帰還できるのは、そこからほぼ2000年後のことになる。
後に続く論争で難しいのは聖書の記述や歴史的経緯が曖昧なことも関係している。散り散りとなったユダヤ人は移住先で差別や迫害にあい、特に19世紀頃からはイスラエルの地に戻ることを渇望しはじめるわけだが、その土地にはアラブ人、今で言うパレスチナ人が住んでいるわけだ。そして、一説によれば現代のパレスチナ人は聖書時代のカナン人やペリシテ人の直径の子孫とされ、そうなればパレスチナ人はユダヤ人より長くその地に住んでいることになり、歴史的正当性を持っていることになる。
聖書によればユダヤ人はカナン人を侵略して征服したとされているから、パレスチナ人の方が歴史的には古くなる。しかしパレスチナの信奉者側にもこの自分たちに都合の良さそうな説を否定するものもいる。それは、これを認めるとユダヤ人が聖書の時代からこの地と関わりを持っていることも認めることになるからで──と、歴史的正当性をめぐる議論ひとつとっても意見が入り乱れ決着がついていない状況である。
何が起こったのか?──イスラエル建国とアラブ人の怒り
で、その後イギリスの三枚舌外交(アラブ人にはアラブの独立を支援するといい、ユダヤ人にはユダヤ人の民族的強度を建設する目的の達成を促すべく最大の努力を払うといい、都合の良いことをいって支援を要請した)による状況の混乱があった後、第二次世界大戦とホロコーストが発生する。ヨーロッパのユダヤ人がほぼ全滅したことが明らかになると世界の同情はユダヤ人の生存者に向けられ、シオニスト(ユダヤ人の祖国を再建することを目指す人達)の計画を世界規模で支持する機運が高まった。
結果として国連の初期の仕事としてパレスチナの地をユダヤ人とアラブ人の二国に分割する決議が採択されるのだが、これはそこにもとから住んでいたアラブ人からすれば受け入れがたい話だった。イスラエルが建国される前年の1947年、パレスチナの人口は約180万人で、3分の1がユダヤ人、3分の2がアラブ人だった。アラブ人は自分たちが住んでいた土地なのに、なぜ半々で分け合わねばならぬのか? と反発する。
イスラエルの建国後すぐに周辺のアラブ諸国がイスラエルに攻め込み、国連の分割案が実行される前に、第一次中東戦争が始まることになる。当時、その不合理性(アラブ人から土地を奪う)をイスラエル側の一部の人達もちゃんと認識していた。イスラエル建国の父であるダヴィド・ベン=グリオンは、かつてこう語っている。
「たしかに、神はわれわれにその地を約束してくれたが、彼らにしてみればそれが何だというのだろう? 反ユダヤ主義、ナチス、ヒトラー、アウシュヴィッツなどが現れたが、それは彼らのせいだったのだろうか? 彼らが目にしているのはただ一つ。われわれがこの地にやってきて、彼らの国を奪ったということだ」。
何が起こったのか?──イスラエルのナショナル・アイデンティティ
第一次中東戦争が休戦しても火種は消えていないのでその後何度も戦争が起こる。
その中から一つ重大な転換点をあげるなら、1967年6月に起こった、イスラエル側の奇襲によるたった6日間でエジプトのシナイ半島、ガザ地区、ゴラン高原、ヨルダン川西岸、エルサレムなどこれまで認められてきた以上の土地を支配することになった第三次中東戦争/六日間戦争になるだろう。常に消滅の恐怖と戦ってきたイスラエル人からすればこの第三次中東戦争で危機が転じて大きな領土を得たので歓喜の瞬間、そして勝利といえるのだが、喜ばしいことばかりでもない。
戦争に勝利し新しい土地を手に入れたとして、そこを占領したままでいると、イスラエルのナショナル・アイデンティティを捨てることになると忠告したものがいたのだ。それは先にも名前をあげたベン=グリオンその人である。どういうことか。
彼によれば、まずイスラエルはユダヤ人が多数を占める国家である。次に、イスラエルは民主主義国家である。最後に、イスラエルはこの新しい占領地をすべて保有する。イスラエルはこのうち二つを選ぶことはできるが、三つ全部選ぶことはできない。なぜならイスラエルが占領地を併合したら、大量のパレスチナ人も同時に併合されるのでユダヤ人の多数派という地位は脅かされる。また、イスラエルが占領地を統合し、パレスチナ人に市民権を与えなければ、民主主義国家ではなくなってしまう。
『ベン=グリオンに言わせれば、唯一にして第三の選択肢は、民主主義国家でありユダヤ人国家であり続けることだ。そのための唯一の方法が、占領地を手放すことだった。』今読んでも卓見に思えるが、勝利に沸く1967年のイスラエルで、御老体呼ばわりされていたベン=グリオンの言葉に耳を貸すものはおらず、その数カ月後には占領したヨルダン西海岸に最初の入植地が建設されている。もちろん国際社会はそれを許さなかったが、イスラエルもそう簡単には占領地を手放さない──。
何が起こったのか?──和平
そうして、今に続く終わりなき戦争状態が継続するわけだが、一時期和平が成立しそうになったこともあった。たとえばイスラエルのラビン首相はヨルダンおよびエジプトと和平を結び、パレスチナとの和平の調整も進行中だった(1994年頃)。
しかし、和平に合意されてしまうと困る人たちも大勢いたのだ。イスラエルのリクードの保守派指導者たちは占領地のどの部分からの撤退にも反対し、パレスチナの強行派は逆にパレスチナ側の譲歩に反対した。『双方の過激主義者は、いずれもこの紛争を、解決できないだけでなく解決すべきでないゼロサムゲームと見ていた。勝負がつくまで続けるべき闘いであり、いずれの側も勝利を確信していた。』
結局、ラビン首相はパレスチナ人に対するいかなる譲歩にも反対だった右翼の過激主義者の銃撃を受け暗殺され、成立するかにみえた和平も頓挫することになる。
おわりに
これはイスラエルの短いようで長い歴史のほんの一部で、本書では他にもイスラエル内部に存在する対立(ユダヤ人同士の出自の違いによる対立もあるし、イスラエルでのアラブ人に対する苛烈な差別もある)や、アメリカのユダヤ人コミュニティがイスラエルについてどのように考えているのかについてなど、幅広く語られている。
入り組んではいるが、順々におっていけば理解するのはそう難しい話ではない。現在の状況を知ったうえで本書を読むともはや和平など無理なのではないかと思ってしまいそうだが、今なお和平を望む人々の声と活動も本書の最後では取り上げられている。たとえどんな状況になっても、ベン=グリオンやラビンのように和平への意志を示す人はいる。あとはそれをどう実現するのかだが──。