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テクノロジー信仰への解毒剤──『テクノロジーは貧困を救わない』

テクノロジーは貧困を救わない

テクノロジーは貧困を救わない

外山健太郎さんという、日本人名の方が著者だったので最初日本語の本と思い読み始めたのだが、文章に違和感を覚え表紙をよくみたら翻訳本だった。だからどうだという話ではないのだが、本書はマイクロソフト・リサーチ社でインドを筆頭とした貧困地域のためにテクノロジーを活用する仕事を行っていた著者による、体験記である。

インドはITの超大国とは言われるものの、その能力を持っているのは僅かな人々に過ぎず多くの人(8億人)は1日2ドル未満で暮らしている。能力格差、収入の格差、だいぶ前に廃止されたはずのカースト制度の影響も依然として残っている。IT技術の習得による、就職先も国内に存在している。著者を含むプロジェクトチームは、教育の現場にITを導入すれば状況を一変させられるのではないかと考えた──。

一つのパソコンに対して複数人がマウスで操作をできるマルチポイントなど新たな技術開発まで行って、早速導入するが、実際には教育の改善の足がかりとなることはできなかった。教師はITにうとく一度壊れたりおかしな動作をしたら直せないうえに、子供たちが実際にやりたいのはパソコンでの学習ではなくただただゲームだった。ノートパソコンを与えてみる実験でも、ゲームやSNSの娯楽が中心であり、出席率、成績、単位などあらゆる教育的効果になんの影響も与えなかった……。

元から貧困の下に生まれついた子供たちは、一時的にパソコンを使ったとしても10をいくつも超えればもう働きに出るか結婚してしまう。下手にIT知識なんかをつけると嫁の貰い手がなくなるとあえて勉強をさせない家庭もある。結局のところ、貧困層のところへとズカズカとテクノロジー信者が乗り込んでいって、上から道具を貸し与えたところでなんの意味もない。テクノロジーはそれ単体では貧困を救わないのだ。

……というところまで読んで、マイクロソフト・リサーチ社ってバカの集まりなのかなと思ってしまった。なぜそんな貧困支援の本を10冊程度読めば嫌でもわかることが、実際にやってみなければわからなかったんだろう。金を渡す、物を渡すといった形で支援をするのは簡単だが、それを持続的なものにするのは困難なのだ。もとからの文化も慣習も思い込みもある。どれだけそれが命を救い、生活をよくするとしてもただ与えるだけでは無理なことが多い。乗り越えるためには文化を少しずつ変えていくことがどうしても必要で、つまるところ銀の弾丸は存在しない。

とはいえ、実際には頭の良い人達の集まりであるはずのMR社の人間が、そんな当たり前のことを"やってみないとわからなかった"というのがこの問題の根っこにあるのだろうと思うのであった。ただテクノロジーを与えるより先に文化を変えねば無駄なように、頭の良い人達の文化/信仰にも言葉では変革できない部分があるのだろう。

テクノロジーが学習を向上させるという証拠はほとんどないというのに、アメリカは支援の大合唱にあおられ、教育向けテクノロジーの大盤振る舞いの真っ最中だ。二〇一三年には、ロサンゼルス統合学区が全生徒にiPadを配布する一〇億ドルのプログラムを発表した。インドの人気俳優サルマン・カーンの声をバックに、録画された黒板の指導が流れるオンラインの「カーン・アカデミー」には、篤志家たちが寄付をしようと群がる。そしてハーヴァードやMIT、スタンフォードなどの大学が提供するMOOC(大規模公開オンライン講座)は、世界中で何百万人もが無料の講座を受講していると自慢する。

そのひとつが、この引用部にあるように"テクノロジーは社会を無条件に良い方向へと変える"と信じている人、テクノロジー信仰といえるだろう。日本でもこの手の論を語る人(オンラインに講座を公開すれば誰もが学習のチャンスが与えられるようになる!)がいるけれども、本書はそうした信仰者への解毒剤足り得る一冊ではある。

本書の後半では実際に著者らがそれに気がついた後、地道な教育プログラムの改善に取り組んだり、実地で子供たちを相手に奮闘したり、今更マズローを持ち出して語ってみたりするがそこまで真新しい話ではないので、総評としてはそこそこかな。