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本邦初訳作品が多数収録された、人類補完機構全短篇──『三惑星の探求』

三惑星の探求 (人類補完機構全短篇3)

三惑星の探求 (人類補完機構全短篇3)

コードウェイナー・スミスによる全短篇を収録する〈人類補完機構全短篇〉が、第三巻となる本書『三惑星の探求』でついに完結。コードウェイナー・スミスは僕にとっては特別な作家であり、特にその短篇群はこの世に存在する全ての短篇集の中でも一番好きだというぐらいに入れ込んでいる──が、僕にはその凄さが依然としてうまく言語化できずにいて、いつかうまく言語化したいと執着する作品でもある。

おもしろい短篇、美しい短篇、うまい短篇、この世には色々な素晴らしい短篇があるが、コードウェイナー・スミスが作り上げる短篇はただただ"凄まじい"。SFでありながら神話であり、同時にそのどちらでもないような作品であり、セリフは一言一言がとてつもなく美しく迫真で、キャラクタの愛らしさは現代において尚最強、人類補完機構の存在する未来史ほど魅力的で、そこの知れない架空史が紡がれることが今後あるのだろうか──とついつい心配になってしまうぐらいの傑作群である。

さあ、それぐらいに惚れ込んでいた短篇集で、完結を待ち望んでいたのだけど、本書についてはもう一つ強く望んでいた理由がある。本邦初訳が三篇含まれているのである。まず、キャッシャー・オニールという男が母星を救うために各惑星を放浪する〈キャッシャー・オニール〉シリーズから二篇と、スミス亡き後に夫人が書いた「太陽なき海に沈む」が一篇。後者には期待していなかったんだけど(スミス書いてないし)そのエッセンスは確かに存在しており、読めてよかったなと思う一篇であった。

そして何より未訳作品が揃って全体像が見えた、〈キャッシャー・オニール〉シリーズ全四作が本当におもしろい! 未来史の味がよく出つつ、この世界の最先端が綴られ、もっとも神話的であり、荘厳な雰囲気と美しい文体で彩られた作品だ。というわけで〈キャッシャー・オニール〉シリーズを中心に紹介してみよう。本書には他にも〈人類補完機構〉には属さないとされる短篇群で、かつて『第81Q戦争』に収録された作品が存在するが、おもしろいのは当たり前なので本記事では割愛する。

宝石の惑星

まずは既訳の作品から。〈キャッシャー・オニール〉シリーズ最初の作品でもある。リゾート惑星であったミッザーという惑星は、独裁者ウェッダー大佐による文化大改造によって悲惨な状況下にある。かつてその関係者であったキャッシャーは、当時を悔い、星から星を巡りながら、ウェッダーを滅ぼす武器を探しているところである。

時代は〈人類補完機構〉による保護が終わり、人類が冒険を取り戻した〈人間の再発見〉の第二世紀。舞台となるのは宝石で溢れた惑星ポントッピダンだ。キャッシャーがそこに辿り着くと、その惑星の誰もみたことがない馬がおり(何しろこの惑星には土もないので)、住人はみなその事に困惑している。なんの動物なのか? なんでここにいるのか? この世界では動物の姿かたちをしたものも、下級民としてみな言葉を喋るのが当たり前なので"ウィヒヒーン"としか言わない馬が理解できない。

そのやりとり自体がコミカルでおもしろいが、馬の気持ちを犬女のテレパスが探り、その処遇をめぐって(肉にするとか)評議会が議論を重ねていくうちに、"文明化するとはどういうことか"というこの世界の根幹の問題にまでつながってみせる。ほぼ不死化され、土もほとんどない宝石の惑星に取り残され、願うことは「足元に土があって、湿った空気があって、背中に人間を乗せたい」という最初は馬鹿げているとしか思えない馬の悲哀と願いに、読み終えると痛切に響いて感じ入ってしまう。

嵐の惑星

本邦初訳。嵐の惑星ヘンリアダを訪れたキャッシャーは、強襲巡航艦がほしけりゃ明日の朝二時七十五分にとある娘をナイフで殺せと指示される。なぜただの娘をキャッシャーが殺さなければならないのか? 過去には80回以上にもわたって失敗しているそうだが、その理由もわからない。キャッシャーは何もわからぬまま、竜巻や大きく変容した鯱などを抜け、ト・ルースと名乗る愛らしい少女に出会う──。

トゥルースを思わせる名前を持つ少女は、、異常な存在であった。子どもであるにも関わらず、9万年近い寿命を持ち、今は千に近い齢だという。下級民であるが、一個の惑星全体を支配している。知能は誰よりも高く、愛そのものであると自称するト・ルースの魅力は半端ないが、何よりもその決然とした態度とセリフがたまらない。

「わたしについては、自分がなすべきことは、このヘンリアダにあるわ。あなたについては、あなたのすべきことは、母星ミッザーで自分の運命と向きあうこと。生きるというのは、そういうものでしょう? おたがい、なすべき最優先の務めを行うのよ。なすべきことが見つかったわたしたちはしあわせ者だわ。あなたは、キャッシャー、もう心の準備ができている。わたしはあなたに、爆弾も強襲巡航艦もレーザー砲も爆弾も、すべておもちゃにしか見えなくなる兵器を与えるつもり」

題材的には補完機構がその蔓延を快く思わない「宗教」が真正面に据えられている点がおもしろく、元より神話的、宗教画的であったこの〈人類補完機構〉シリーズの中でもとりわけその色が濃い一作になっている。それは次の「砂の惑星」も同様。

砂の惑星

同じく本邦初訳。圧倒的な武器を手に入れたキャッシャーは母星へと戻り、ウェッダーと対決することになる。スミスの作品ではよくあることだが、決定的な瞬間はさらっと流され、復讐を果たし、母と出会い、自身の娘と出会い、全てを達成してしまった男の"その後"を描いていく。『(さて……こんどはどこへいこう? しなければならないことをすべてしてしまったいま、どこへいけばいい? 愛したい者はすべて愛し、そうならなければならないもののすべてになってしまったいま、どこへ?)』

三人、約束の星へ

キャッシャーの物語は一段落つき、これはその後の物語。人類に対して激しい憎悪を抱いている種族を、テレパシーによって感知したキャッシャーがその事実を補完機構に伝え、三人の改造人間が赴くことになる。改造人間といっても手から釘が射出されるとかそういうレベルではなく、一人は完全に宇宙船になってしまっているし、一人は恒星をまるごと消し去る機械装置が詰め込まれた各辺50メートルの正立方体だし、一人は一応人間型だが鋼鉄製で、何より身の丈200メートルある怪物だ。

中学生が考えたような面子だが『きみたちは、決して、決して、どのような状況であれ、帰ってきてはならない。』と厳命を受け、「ガツガツ、コッコッ! 食エ、食エ! 人間」と無茶苦茶な応答信号を返してくる相手を制圧する危険で孤独な旅の仲間である。コミカルかつ、お互いの傷を癒やし合うようなシリアスなやりとり、その旅の果てにある心温まる光景など、いろいろな面で楽しませてくれる短篇だ。

おわりに

〈キャッシャー・オニール〉シリーズでは、〈人類補完機構〉という組織は物語上あまり前景化せず、キャッシャー・オニールの神話的な冒険譚として単体でよくまとまっているので、気になった方は本書から読んでもいいぐらいである。ま、もちろんちゃんと1から読んでもらいたいところではあるけれども。

スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)

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アルファ・ラルファ大通り (人類補完機構全短篇2)

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