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人類の生存圏を脅かす"新しい時空との対決"を描くイーガン最新刊──『シルトの梯子』

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

イーガンの新刊、文庫である。ただし原書の刊行は2002年。それはつまり15年間時をあけての邦訳刊行になるわけだ。無名の作家ならともかく、あのイーガンがここまで翻訳されていないということは、それはつまり単純につまらないからなのではないか?? と疑っていたのだけれども、読んでみたらこれが抜群におもしろい。

本書の刊行は時期的にいえば『ディアスポラ』のあと、『白熱光』のまえといったタイミングで、イーガンが異なる物理法則に支配された新宇宙の創造、ハードな世界構築の方へと傾倒していく序章のような立ち位置につけている。データ化された人間たち、死の概念の変化とアイデンティティの同一性への不安、どこまでもハードに行われる"新時空の理論的な構築"がミキシングされ、実験によって生まれてしまった、人類の生存圏を脅かす"新たな時空との対決"を一冊でまとめた、スマートな傑作だ。

物語の舞台とか

物語の舞台となるのは2万年後の遠未来。相対論と量子論を統合する存在として現在ようやく一般向けの本なども出だして注目を集めるループ量子重力理論を発想のネタ元とした、架空の「量子グラフ理論」に基づく実験の途中で、本来なら6兆分の1秒で崩壊するはずの新時空が崩壊せずに"成長し続けてしまう"状況から物語は始まる。

後に実験地の名をとって〈ミモサ〉真空と呼ばれるようになったそれは膨張を続け、わずか600年で2000以上の人類居住星系を飲み込んでいく。人類はとっくに自身らのデータ化を可能にしているので、光速で送信されることで脱出は容易ではあるものの、脱出した先の植民世界も最終的には消滅してしまう。

新真空を破壊するか、順応するか

それでは人類はいずれくる消滅をただ待つだけなのか(どちらにせよ惑星は拡散し、宇宙は寿命を迎えるが、その時間が極端に早くなってもよいのか)。数千年毎に星系が奪われ、流浪の民であることを受け入れざるをえないのだろうか? といえば、

 だが、境界面が前触れなしに加速して、そんなシナリオを丸ごと薔薇色のおとぎ話に変えてしまうことはない。という水も漏らさぬ証明を前提にしてさえ、流浪という運命はあっさり受け入れられるものではなかった。もし新真空を後退させることが物理的に可能だったら──〈ミモサ〉の人々が新真空を創造するための種子をまいたように、それを破壊するための種子があるなら──だれよりもそれを実現させる最大の鍵となるのが、この実体化したチカヤの知人だ。

というように、新真空が人類圏を侵食するなら、それを破壊すればいいじゃない! といって破壊するための実験を行う"防御派"と呼ばれる人々がいる。一方で、引用部にも名前が出てきた本書の主人公チカヤが属する"譲渡派"と呼ばれる人々もおり、こちらは新真空を破壊するのではなく、そこを調査し、価値を認め〈ミモサ真空〉で彼らが順応できるように整えればいいのではないかとウルトラCの解決案を主張する。

二つの勢力がいるわけだが、現代の人々のようにお互いを罵り合ったりして議論するわけではない。双方、純粋かつ理論的に議論と実験を重ねており、結局のところ、まだ破壊する方法も順応する方法も見つかっていない。『「双方の主張は、純粋に理論的なもののままだ」(……)ぼくたちの側が〈ミモサ〉真空に順応する準備ができていないのと同様、防御派もそれを消し去る準備はできていない。だが、ブランクワームに取り組んでいる防御派のチームが新参者の一群を勧誘したばかりで、休みなしに実験を行なっている。結局は技術開発競争ということになれば、接戦は確実だ。』

物語の大きなストーリィラインは、こうした「新真空に対して、人類はどのような態度をとるべきなのか」を中心として、新真空の理論的な内容や、"その中で何が起こっているのか"を後期イーガンらしく詳述していくものになる。果たして、人類は新真空を破壊、あるいは順応することができるのか。加えて、チカヤと、防御派にして幼馴染のマリアマの恋や旅についての議論とか、やたらと心温まる内容でイーガン作品としては珍しく、キャラクタも含めて大好きになれた一冊である。

二万年後の人類の価値観

といったメインのストーリィはシンプルで、それでいてイーガン以外には書き得ない詳細かつ壮大さがおもしろいんだけど、同時に素晴らしいのが描きこまれていく無数の枝話や特異な感情のディティールだ。自身の無数のコピーの死をどう捉えればよいのだろうか? 自身のデータ化が容易な人々が持つ故郷への心情、新真空からの脱出のための「地球移動作戦」などなど、サラッと語られる話題の密度がやたらと濃い。

地球の移動についての議論とか、半ページほどの分量しかないのに情報がぎゅっと詰まっていて、凄い速度でネタを(イーガンからしたら小ネタなんだろうけど)使い潰していくよなと戦慄するもんな……(作中で解説されている方法としては、白色矮星を太陽系に押し込んで、シリウスBまで地球を運び去らせる作戦。白色矮星に物質を落下させると、潮汐圧縮加熱を受け著しい量の物質がジェットになって噴出する)。

もうひとつ好きな設定を紹介しておくと、この世界には古代宇宙飛行士と呼ばれる1万4千年前に極低温仮死状態で地球を旅立った人たちがいる。で、彼らは将来的にテクノロジーに追い越され、赴く先には安定した社会が築かれるであろうことを承知していて、他惑星に立ち寄るたびに、未来の人類に対して質問をぶつけるんだけど──そこには、データ時代の人類と一つの肉体しか持たない人類の、"埋めようがない世代間の断絶"がしっかりと描かれていて、残酷ながらも魅力的な挿話なのであった。

変化について

2万年後の人類の価値観の描き方でも比重が大きいのは、何物であっても容易に変化できる手段と、終わりなき寿命を持つとき、その人間のアイデンティティはどうやって維持されるのか? という問いかけだ。最初の〈ミモサ〉真空を生み出した実験者であるキャスは『自分自身の境界線を引くこと』、そしてその境界線を正しい場所に引いたかどうかを問い続ける衝動を持つことだと語り、チカヤは少しずつ変っていく存在が一万年経った時に"何者かと入れ替わっている"ことへの恐怖を父に語る。

チカヤに対する父のメタファーとしての返答が、本書の書名でもあるシルトの梯子と関わってくる。どれだけ変化を重ねても、同じ方向を見続けることはできる、そしてそれは他のだれとも同じになることはないのだと。この変化とシルトの梯子の話は、物語の中では旅、記憶、アイデンティティなど様々なモチーフを繋ぎ合わせる役目を担っていて、無数の枝話が統合され本書全体の印象がより引き締まって感じられる。読み終えてみれば、見事なタイトルであり構成だと拍手せざるを得ない。

おわりに

とまあ、最近イーガンは〈直交〉三部作が完結したばかりだけど、三作も読みきれんわいという方はとりあえずこっちを読んだらどうだろうか(当たり前のように三部作を読んだ人間は当然こっちも読んでいるだろう)。ま、科学方面の難しさはまったく遜色ないレベルなんだけど。本職の物理学者前野昌広さんの解説も楽しもう。
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