- 作者: メアリー・セットガスト,山本貴光,吉川浩満
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2018/04/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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惚れ惚れするようにあやしい
で、読んでみたのだが、これが惚れ惚れするようにあやしい本だ。何しろ、内容的にはプラトンの著作の中でも主に『ティマイオス』と『クリティアス』を取り上げている。『ティマイオス』とは、アトランティス伝説についての対話篇であり『クリティアス』はその続篇なのである。アトランティスはプラトンによれば、ジブラルタル海峡の向こう側にあった、大陸ほどの大きさの島とそこで繁栄した王国のことをさす。
プラトンによればアトランティス大陸は地震と洪水によって水没してしまったらしいが、そんな痕跡はどこにも残っていない。なので普通に考えればそれはプラトンの神話的創作か、あるいはそうした伝聞を受けたプラトンが、事実だと思いこんで書いただけだろう。特におかしなところはない。だがしかし、と著者はそこで踏ん張ってみせる。ソクラテスはそれが作り話ではなく本当にあった歴史だと語るし、七賢者の中でも随一の賢者であるソロンも本当のことだと請け合っている。さらに、プラトンが自身の評判を危険にさらそうとしたとは思えないとダメ押ししていく。
いや、今からすりゃそうかもしれないけど当時の賢者がみんなそう信じていたんなら別に評判は危険にならないんじゃないの……と思えてならないところはあるが、著者はそうした前提に立って、とはいえもプラトンの言っていることがすべて真実なのだというつもりは毛頭なく、「プラトンが『ティマイオス』と『クリティアス』の中で語っていく神話的物語の中にも、実際に起こっていた真実は含まれているんじゃないの? 彼が語った神話の中で、何がありえたことで、何がありえないのかを、現代の考古学で洗い直していくことは有効なのではないの?」と問いかけているのである。
で、実際それは言うとおりだよなと思うところはある。プラトンは『ティマイオス』の中でギリシアが一度地震と洪水によって荒廃し尽くしたと述べているが、たしかにギリシアは前1万3千年から7千年のあいだに海水面が90メートルも上昇しており、ギリシアの海岸に近い平野の大部分は水没してしている。また、神話といっても元ネタがあると考えられ、たとえばアトランティス大陸自体は存在しなかったとしても、アテナイ人が起こしたという戦争は本当に起こったものかもしれないし、文明的に進んでいたが滅びてしまったアテナイ人に相当する種族も実際にいるのかもしれない。
たとえばプラトンが描いたアテナイでは、「よく統治され、組織され、防衛がほどこされた」先進的な共同体があったというが、プラトンが語る旧石器時代後期(1万年ぐらい前)では、人類はまだ洞窟や岩窟に住んで狩猟採集生活を送っていたと考えられていた。しかし、エリコの城壁都市が前9千年紀半ばのものであるという指摘が近年なされていたり、旧石器時代後期のギリシャの遺物が乏しく文明レベルの適切な推測ができていないことなどを理由に当時の文明レベルって通常捉えられているよりもずっと先進的だった可能性があるんじゃないの? と推測を重ねていく。
つまり、さしあたり、アトランティス問題を脇に置こうと申しあげたい。プラトンによる地中海の先史時代、海峡内の先史時代についての記述は基本的に正確なものだという仮説を検証するための材料は十分にある。もしこうした仮説が、私たちの知っていることに照らしてみて、実りのあるものだと判明すれば、いまだ知られていないことを見つけたり探したりするためにも使えるはずである。
多くの人が遊牧や半遊牧、狩猟採集をメインとする旧石器時代の後に定住集落を基礎とする新石器時代がきたという単線的連続性を元に発展を考えているが、実際には動植物の飼育・栽培は旧石器時代にすでに達成されていたことがほぼ確実視されるようになったこともあって、荒唐無稽な神話にすぎなかった古代に残された文書や神話も、現代の考古学的な観点から捉え直すことで、真実を写し取っている面があぶり出されたとしてもおかしくはない。そういう点では、本書は実に興味深い内容である。
おわりに
とはいえ──こじつけめいたプラトン擁護や解釈、「少なくともプラトンの記述と矛盾してないよね?(矛盾してないだけ)」的な物言いが連続するのでドン引きはするのだけど、それはそれとして非常に緻密にそのための証拠を集め、前8500年の戦争について、サハラやシチリアの神話的芸術について、宗教の変遷、文化や文明がどのような継承を受けてきたのかの追求など、プラトンどうこう、アトランティスどうこう以前に「紀元前1万年ー五千年」の神話と考古学の本としておもしろい一冊だ。
最初に書いたようにあやしい、実にあやしいが、かといって荒唐無稽というわけでもない線をきちんと資料と調査をもとに積み重ねていて、その危ういバランス感覚が魅力的でもある。それはそれとして、ま、強くは薦めないけれども……。