- 作者: ミシェル・ウエルベック,スティーヴン・キング,星埜守之
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2017/11/24
- メディア: 単行本
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その勢いは現代においてなお増しているのではないかとさえ思えるほどだ。本書なそんなラヴクラフトの人生を伝記的に語りながら作品について評論していく一冊なのだけれども、そうした題材と同等に重要だと思われるのがこれが『服従』などで知られるミシェル・ウエルベックのデビュー作という点だろう。現実の科学や政治を中心に据え、予言的小説として評価される作品を多数書いてきたウエルベックだから、正直言ってラヴクラフト的なイメージはぜんぜんない(本人自身も『それらはわたしに、わたしの他の文学趣味とは矛盾する、なにか不思議な引力を及ぼし続けた』)。
ところが、読んでみれば見事なもんで、ウエルベックが早口でラヴクラフトがいかに凄いのかをまくし立てていくイメージが湧いてきて、「ウエルベックって案外ボンクラだよな……」と思うこと然りであった。その語りはまるで小説を書いているようで、ウエルベックの小説のファンも手を伸ばしてみるといいだろう。『振り返ってみると、わたしはこの本をある種の処女小説として書いたように思える。ただひとりの主人公(H・P・ラヴクラフトその人)が出て来る小説。伝えられる事実のすべて、引用される文章のすべてが正確でなければならないという制約を与えられた小説。』
ラヴクラフトとは何なのか
ラヴクラフトについて何も知らない人に対してゼロから説明しておくと、宇宙的恐怖と呼ばれる壮大なホラーを中心とした、その後も多くの人々に利用・借用されることになるクトゥルフ神話を生み出した人物。いわば大衆的神話の創造者である。今でこそ名声も売上も世界的にとどまるところを知らないが、生きている間はろくに本を出すこともできず、売れるために自分の物語の方向性を変えることもしなかった。
ラヴクラフトの作品は、未曾有の規模と生産性を備えた、ひとつの夢見の機械に比することができる。彼の文学のなかには、平穏なもの、控え目なものは何もない。読者の意識へ与える衝撃は、残忍でぞっとするような激しさを帯びている。しかもそれは、危険な傲慢さでしか解消されることはない。再読を試みても、そのことはとりたてて変わりはしない。せいぜい、「彼はどんなふうにやっているのだろう」と自問するに至るくらいなのだ。
一般的にホラーを書く、となった場合には、侵食され、一度壊される「日常」というものを描写するものだ。なんでもない昼下がり、何らかの異物の挿入。だが、ラヴクラフトの作品にはそうした溜めがなく、『クトゥルフの呼び声』の書き出しなどは『「思うに、天がわれわれに与えた最大の恩寵は、人間精神が、自らが内包するすべてのものを相関させることができない、ということである(……)』というようにいきなり天と人間精神の話からはじまってみせる。『自分自身の論理に忠実に、HPLは驚くほどのエネルギーを込めて、大規模攻撃とでも呼べるようなものを実践する。』
怪物に対する解剖的な所見の語り口、言語学、考古学に数学物理学など無数の学問分野を用いて客観的な恐怖を目指すその技術など、ウエルベックは、三部構成のうちの一部をラヴクラフトが行う読者への「攻撃」の技術にまるっと割いて、それがどのような性質のもので、実際に読者に対してどんな効果をあげるのか、逐一取り上げてみせる。その際には基本的に該当部分も長めに引用されるので、ラヴクラフトをたとえ読んだことがなくとも、本書から読み始めて⇛引用された中から気になったラヴクラフトの作品に移動、というルートでも楽しめるだろうな、と読みながら思った。
世界と人生に抗って
さて、それはともかくとして本書の中心的な命題は書名にもあるように「ラヴクラフトは世界と人生に抗った作家だ」ということである。『世界全般への絶対的な憎悪、さらにそれを募らせる、現代社会への個別的な嫌悪。これが、ラヴクラフトの態度を端的に述べている。』HPLは極貧に陥ることこそなかったが、生涯大金を手にすることもなく、ずっと金に困っていた。それでいて出版社への原稿を送る際にも、「商業的な」文章に求められているものについては、わたくしはまったく気にしてはいないのですと早々に宣言し、仮に送った文章を刊行することになったとしても一文字でも削除を求められるようなら掲載拒否を喜んでお受けするとまであらかじめ宣言する。
常に金に困っていて、評価が欲しくないわけでもなかろうに、決して「自分を売らなかった」のは極端な高潔さ故なのか。もちろんそれもあるだろうが、ウエルベックは、ラヴクラフトに強烈な人種主義傾向があり、自由主義、経済効率性、自由性愛を嫌悪していた憎悪の性質を取り上げ、そのうえ彼(ラヴクラフト)が途中で考え直したりはしない過激派であり、『世界は邪悪である、内在的に邪悪である、本質からして邪悪である、そういう結論も、彼を困惑させることは金輪際ない。』と結論づける。ラブクラフトは憎悪の側についた作家であるとウエルベックはいう。
『彼は人生への嫌悪を実効的な敵意に変容させることに成功したのである。』怪奇幻想譚によって、この現実ではありえない、極端に違った可能性をラヴクラフトは提示してみせる。本書にはスティーヴン・キングによる「ラヴクラフトの枕」という序文も収録されているが、キングもまた、『想像力が大きいほど、また、書き手と読者とのつながりが強いほど、否はより明確で説得力を持つようになる。』と語っている。
ラヴクラフトがとてつもなく強大な神話を生み出すに至ったパワーの源、そして生み出した世界を支える描写から文体までの多彩なテクニック/決して自分を売らぬ覚悟の強さといったものが、本書の中で存分に描きこまれていく。まあ、わりと全体的に独断と偏見が強く、客観的な評論というよりかは最初にウエルベックが述べたように、引用などはあくまでも事実に立脚した、"ラヴクラフトを主人公にしたウエルベックの熱いヲタ語り/二次創作小説"のようなものであると思う。
ウエルベックの他の小説のように、おもしろいのはたしかだ。