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サイエンス・フィクションとしておもしろい──『全脳エミュレーションの時代:人工超知能EMが支配する世界の全貌』

全脳エミュレーションの時代(上):人工超知能EMが支配する世界の全貌

全脳エミュレーションの時代(上):人工超知能EMが支配する世界の全貌

全脳エミュレーションの時代(下):人工超知能EMが支配する世界の全貌

全脳エミュレーションの時代(下):人工超知能EMが支配する世界の全貌

特定の人間の脳をスキャンしてから、脳細胞の特徴や結合をそのまんまコンピュータモデルとして構築・再現した存在のことを本書では全脳エミュレーションと呼んでいる。そうしたコンピュータ・モデルとなった元・人であるエム(──本書では一貫してエムと呼ばれる)は、いったいどのような社会を築き上げ、どのようなルールや制約に縛られることになるだろうか──。いってしまえばそれだけのことを上下巻に渡って執拗に追い続けた狂気の一冊が本書である。いやほんと、よく書いたもんだよ。

現実問題として全脳エミュレーション&マインドアップロードができるの? 再現されたエムは意識を持つの? と無数の疑問が湧いてくるのだけれども、本書ではその辺の面倒くさい問いかけをスキップし、その次の疑問に答えようとしている。電子体であるのでエムらは自分のコピーを資源の許す限りいくらでも作ることができる。活動スピードも(コストが許す限り)自由自在に変えることができる。そんな未来で、友人関係は、生殖活動は、存在の基盤となるハードウェアはどう管理されているのだろうか──そういった細かいことを全30章にわたって語り尽くしていくのだ。

著者自身は『本書の推測は十分な根拠に基づいたもので、単なる憶測レベルとはかけ離れている。』と自画自賛しているが、その予測に妥当性があるのかといえば、かなり怪しいという感想が最初にくる。本書では全脳エミュレーションの成功を100年後に置いているが、その時点で無数に進展しているはずの他の科学技術の進展がかなりの部分考慮外に置かれていることや、現代の社会科学の理屈をエムに当てはめて予測の根拠としているのもちと厳しい。だが、そもそもそんな先を予測してどうすんだとか、そうした当たり前のように出る批判点については、重々承知のようだ。

最終章の方にも、試読してもらってたくさん批判をもらったけどでも一歩先の未来を考えるのは無駄じゃないんだいと弁明のように書いてあるし、実際本書で行われている一つ一つの要素の背景には多大な労力が透けてみえる。すべての予測が荒唐無稽というわけでもないし、読んでいるとサイエンス・フィクションを読むようなおもしろさも沸き起こってくる。なので、サイエンス・ノンフィクションというよりかは3:7で7がフィクションの本として読むのがいいのではと思う。全脳エミュレーション的存在が出て来るSFを書きたい人にとっては、参考になるところも多いだろう。

ちなみに著者のロビン・ハンソンは、失礼ながらトンデモな人かと思いきや経歴は結構凄い。ジョージメイソン大学経済学准教授、オックスフォード大学人類未来研究所研究員。ロッキードとNASAで9年間人工知能研究に従事。その他修士と博士多数。

ざっと内容を紹介する。

全体像としてはそんな感じなので、あとはざっと内容を紹介してみよう。

まず重要な点は、エムは別に自由で幸せなだけの存在ではないというところだろう。なぜならハードウェア、エネルギィ、冷却装置、不動産、通信回線といったサポートにかかる費用を支払わねばその存在を維持することはできないから、自分自身で働いてそれを払うか、誰かにそうした資材を提供してもらって働かねばならない。本書では、起きている時間の半分ほどを仕事に費やさねばいけないとしている。*1

SF的なイメージだとマインドアップロード後は自由に不死的な生命を甘受できるようになるが、少なくとも本書の中ではそうしたインフラを整え続けるために(また自分の主観スピードを高速化するためにはニューロンの発火を演算する電子回路などが必要で、そのためにさらなる費用が必要になる)長時間にわたって働き続けなければならない状態が予測されるのだ。主観スピードの違いは階級にも反映され、多くの思考や行動を起こすことが出来るため速いほうが地位や政治的重要度が高くなる。この辺のエムの主観スピードの違いとそのコストの話はめっぽうおもしろいところだ。

 人間の脳がニューロンを発火させて信号を送るスピードは、毎秒〇・五メートルから一二〇メートルの範囲にわたる。対照的に、今日の電子回路基板が同じ作業をこなすスピードは、概して光速のおよそ半分に匹敵する。エムの脳の信号がこれと同じスピードで処理されるとすれば、その速さはニューロンの伝達スピードの一〇〇万倍から三億倍の範囲におさまるだろう。信号の遅延がエムの脳のスピードの制限要因になるとして、エムの脳のサイズが人間と同じだと仮定した場合、いま述べた数字からスピードアップの上限を見積もることができる。エムの脳のサイズを小さくできれば、それに比例してさらなるスピードアップが可能だ。

そこから続けて、そうやって高速化した主観スピードを持つエムが物理的肉体を動かす時に話が及ぶ。物理的肉体といっても普通に人と同じサイズのアンドロイドを使うだけじゃないの? と思っていたのだが、本書ではこれは違うと説明している。現実の人体の中で意識的に制御できる部分のほとんどは固有振動周期が10分の1秒を上回る速度で、人間の脳の反応時間もそれに合わせて10分の1秒に設定されている。

反応時間を短縮するにはコストがかかるので、物理的な体を制御するエムの場合も人間の例にのっとり、エムの体の大きさは心の反応時間と反比例となることが導かれるとする。客観時間の90分で1日を経験する普通の人間の16倍のスピードで動くエムの心は、人間の16分の1(10センチぐらい)の体を用意することで居心地の良さを感じるだろうとしている。無論コストをかけて反応時間をあげてもいいし、主観時間を一時的に落としてもいいわけだが、このあたりの話は思考実験的でおもしろく感じる。

実はシンギュラリタリアンではない

あと、著者は当然シンギュラリタリアンなんだろうなあと思いながら読んでいたのだが、人工知能の節などを読むと違うことがわかる。たとえば、読んでいる人の中には全脳エミュレーションって何? そんなのより人以上の知能を持った汎用AIができるんじゃないの、と疑問に思う人もいるだろうが、著者はその見方に否定的である。

その理屈として、今日の私達の経済は15年ごとに倍増しているが、人工知能の専門家はこの20年間で5〜10%(AIが)人間に近づいたと評価している。つまりエムが登場する100年後には人間と同レベルのAIという目標は、半分も達成されないのだ──ということらしい。雑すぎじゃね? 予測ってそんなんでもいいのかよ? と正直思うのだけれども、なんとなくそう思っただけで何の理屈もないよりかはマシか。

おわりに

他にも、こうしたエムたちが増えた世界で都市設計はどうなるのか。エムの時代において生身の人間はどうなっているのか。政治はどのような体制になるのだろうか。宗教は、法律は、交流はどのように行われるのかといったことが事細かく論じられていくが、取り上げきれるはずもないのでこんなところでおわりにしておこう。トンデモに近い内容だと思うけれども、底知れない熱意で持って描かれた、魅力的な一冊だ。

ちなみに脳の機械化については近著ではこの本がおもしろかった。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

*1:え、そもそもなんでエムは寝る必要があるの? とかいろいろ疑問はあるのだが、その辺はいちおう本書で全部説明されている。納得するかどうかは別だが。