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意識から意識へ飛び移り数百年を生きる”ゴースト”たち──『接触』

接触 (角川文庫)

接触 (角川文庫)

『ハリー・オーガスト、15回目の人生』で”ループ物”の新境地を切り開いてみせたクレア・ノースによる第二作目のSFサスペンスである。今回もまたよくあるアイディアを抜群にうまく新しい形で調理している。本作の場合でいえば、よくあるアイディアにあたるのは「触れることで他者の意識を乗っ取る」ゴーストの存在である。
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「よくあるアイディア」ってたとえばどんな作品で使われているのかといえば、鏡明さんによる解説でも触れられているが(しかし一作目のハリー・オーガストの解説が大森望で、二作目が鏡明って凄い布陣だよね)グレッグ・イーガンの『貸金庫』は毎日目が覚めると違う男性になっている状況を描いた短篇だし、最近で言えばゲームSFアンソロジー『スタートボタンを押してください』の桜坂洋「リスポーン」が死んだ後その近くにいる別の誰かに意識が乗り移ってしまう存在を描いた短篇である。
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接触におけるゴーストの話

この世界で”ゴースト”と呼ばれる存在は、他人の皮膚に触れることで相手の意識を乗っ取ることができる。乗っ取りに時間制限はないので、そのまま死ぬまでその肉体を自分のものにし続けることも可能だ。意識を乗っ取ることはできても、記憶は乗っ取ることができないので、不用意に相手に乗り移ると痛い目にあうこともある。パソコンのパスワードもわからなければ交友関係もわからないので右往左往したり。

本作の魅力の一つは、そうした存在がもし大量に存在したら、彼らはどのように生活を送るだろうか──というディティールを突き詰めていくところにある。たとえば、主人公であるケプラーと呼ばれるゴーストは、ゴーストたちに向けての”不動産屋”──新たな宿主を探しているゴーストに向けて、こんな人間があなたの条件にあっていますよと物件である人間を見つけてくる仕事をしていた過去がある。

 不動産エージェントの仕事は主にふたつある。
 長期投資用物件の調達がまずひとつ、女性か男性か。年齢は若いほうがいいのか、それとも年配が好みか。宿主の社会的地位や犯罪歴や病歴を知らずに、長期の予定で引っ越すわけにはいかない。私が知っているだけでも、喘息や狭心症や糖尿病で緊急搬送された同類は七人いる。いずれも事前にリサーチをしていれば、避けられた事態だ。うちふたりは容態が急変し、救命士の腕をつかむ余裕もなく死んでしまった。その片方は宿主が上着の内ポケットにつねにアドレナリン注射薬を携帯していることさえ知っていれば、死なずに済んだのだ。自分が着る服に対する無知が、命取りとなった。
 ふたつめの仕事は、短期賃貸物件の徹底調査だ。
 たとえばこんな感じの。

「マリリン・モンローになりたい」

ゴーストらは乗っ取りを繰り返すことで事実上の不死を達成できるが(ケプラーも最古のゴーストの一人として、数百年の時を生きている)、引用部にあるように突然の心臓発作などで誰にも触ることもできぬまま死んでしまい消滅する危険性があるので、病気のない安定した宿主を探すのは重要事項なのだ。私数日だけマリリン・モンローになりたいからお膳立てしてくれと依頼してくる無茶な客もいるのだが、そういうところも含めて”ああ、いそうだなあ”と深く頷いてしまう箇所が多くある。

簡単なあらすじ

ハリー・オーガスト〜の時もループ能力者が何人もいて組織になっていることが物語の規模を増しおもしろさに繋がっていたけれども、その構造自体は本作も同じ。だが、ループ能力者らはいるだけでは他人に迷惑をかけないが、ゴーストたちは他者の身体を乗っ取り意識を奪うのでその迷惑さは段違いで、ゴーストを”狩る”ための組織もまた存在する。この物語は、そんな組織の殺し屋の一人に、ケプラーが意識をのっとっていたジョセフィン・セブラが殺されてしまうことから始まるのだ。

ろくでなしの多いゴーストたちだが、ケプラーはわりと良識派で、長期にわたる賃貸を行う場合は対象に素性を打ち明け、契約を行ったり(滞在させてもらう代わりに、生活を調える、金を貯める、病気を治す)、契約を行わないにしても無茶をしないように(死にかけで放り出すとか)気をつけている。そんなケプラーにとって、ジョセフィン・セブラは単なる寄生先ではなくて、強い信頼関係を結ぶ愛する相手だった。

なぜジョセフィンは殺されなければならなかったのか? 何者の思惑で? といったことをケプラーは人から人へと乗り移って追い始める。あらたな事実が判明するたびに数百年間に渡るケプラーとゴーストたちの歴史もまた語られていき、その先で、ゴーストハントな組織の存在と、ゴーストが誕生するきっかけ、さらにはケプラーと因縁のあるまた別のゴーストが関わっていることが明らかとなるのであった──。

文体、演出がおもしろい

といったところが大雑把なあらすじになる。ケプラーは組織に対抗するため、また自分が追いつめられた時に逃げるように次々と乗り移る人間を乗り換え、性別や年齢に応じて話し方を大きく変えていくのだが、翻訳の巧みさか原文のうまさなのか(たぶんその両方か)あまり混乱することなくケプラーの存在を追い続けることができる。

ケプラーがかつて出会った、妻が何者かに乗っ取られていることに一瞬で気づいた聡い男とのラブロマンス。またある時代では、公爵から誰を愛しているのかと問われ、『どんな人生でも自由に選んで入り込めるのが、私の特権。ならば好き好んで冷たい妻の夫になるでしょうか。(………)私は私がなるすべての人を愛します。愛せないなら、その人にはなりません。』と答え、ある時代では乗っ取りをかけられた愛するものの姿で敵に追い詰められ、殺すべきか殺されるべきかという葛藤に苛まれるなどなど、扱われる歴史が長いこともあってぐっとくるエピソードだらけなのだが、とりわけ強く印象に残ったのは次々と意識が切り替わっていく際の文体的な演出だ。

 腹が減り、
 減ったかと思うと満腹で、
 電車の窓際で必至に尿意を我慢し、
 ドアの脇の席でポテトチップを食べる。
 シルクをまとう。
 ナイロンをまとう。
 ネクタイを緩める。
 革靴のサイズが合わなくて痛い。
 宿主を動かさずに、身体から身体へと流れるようにジャンプする。
 ラッシュアワーの電車ではさっとひと触れするだけで、
 誰にでもなれる。
 誰でもない誰かになれる。

これはそのうちの一例だが、具体的に誰に乗り移ったかを一切書かずに次々と人から人へと乗り移っていることが一瞬で理解できる、かっこいい演出ではないか。細かい改行で意識の切り替わりを示していくのは『スカイ・クロラ』とか『ヴォイド・シェイパ』を思い出させる。この演出がまためちゃくちゃかっこよく決まるのは最終盤のシーンなのだが、まあそれはさすがに読んでからのお楽しみということで……。

おわりに

と、そんな感じですごくおもしろいんだけど600ページもある。途中さすがにちっとだれるところもあるんだけど、緊迫と驚きが絶えないので読みたいと思う気持ちが萎えるほどではない。SFファンは(もちろんSFファン以外も)要チェックだ。

ハリー・オーガスト、15回目の人生 (角川文庫)

ハリー・オーガスト、15回目の人生 (角川文庫)