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我々は今後土をどう扱っていけばいいのか──『土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話』

土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話

土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話

『銃・病原菌・鉄』みたいな書名だが中身は土と農業の話である。著者のデイビッド・モンゴメリーは、『土の文明史』で文明の寿命と土壌の豊穣さが密接に関係していることを提示し、続く『土と内臓』では、微生物の存在が土の豊穣さと関係している事実を、腸内細菌が人間の体調を左右する昨今定説化してきた見方の類似点を通して語り、土三部作の完結篇である本書では、ついに”これから我々の文明は土をどう扱っていけばいいのか”を語ることで、結論篇といえる一冊に仕上がっている。

問題提起と結論について

その問題提起と結論はシンプルなものだ。我々は土を耕す化学肥料をバシバシ使う慣行農法によって土壌は年々少しずつ劣化しつつある。『二〇一五年、国連食糧農業機関は全世界の化学者集団が作成した報告書を公表した。それは、土壌の劣化により世界の作物生産能力は毎年約〇・五パーセント低下していると試算していた。』というように土壌が劣化することで当然ながら作物は実りにくくなり、食糧危機などのさまざまな問題に直面しかねないので、文明の土台をゆるがす事態に繋がってしまう。

だが──近年、革新的な農家と現代の技術、伝統農法のミックスによって、土の肥沃度を回復させながら作物を育てる、有機農業への道が開けてきた。我々が目指すべきなのは、土壌生物を重視し、なるべく化学肥料を用いない環境保全型の有機農業である。本書は、著者が世界各地をまわりながら農民に会い、彼らがどのように肥沃な土を作っているのかを知り、それを科学的な言葉で語り直していく物語である。

 さまざまな社会、環境、経済条件にある農家が、予想外の速度で土地を癒やし改良するのを見て、私はこの本を書こうと思った。先の旅で私は、これはアグリビジネスと持続可能な社会の提唱者のいずれに耳を傾けるか、あるいは現代の技術を取るか産業革命以前の農業へ戻るかという問題ではないということを学んだ。それは単純化しすぎだし、誤解のもとだ。土壌肥沃度を回復させる上でもっとも有望な前途は、農業技術とアグロエコロジーを調和させることにあるからだ。昔の人の知恵と現代科学を融合することが、農業を持続させながら、それを生かして気候変動を遅らせる道であると、私は信じている。

結論自体はシンプルなので、あとは各地の農家にいって最初の結論の正しさを「ここでも正しかった!」と確認していくだけの本といえば本なのではあるけれども、アフリカのような極端な気候の土地にまでいって確認しているので、説得力は凄い。

論の中身を少し紹介する

慣行農法の問題が本書の中ではいくつか述べられていくが、そのうちの一つは耕すことだ。もともとエドワード・フォークナーが『農夫の愚行』の中で、耕すことは土壌を破壊するだけで何の益もない行為だと書き論争を引き起こしたわけだが、実際には耕すことで土壌有機物の分解は促進され、一時的には土壌は豊かになる。しかし、その後養分が補充されないと、結局は土に養分が戻らないので、肥沃度は低下する。

そもそもなぜ耕すのかといえば、土が肥沃になる他に雑草の根絶や病気の予防に効果があると見られているからだ。だが、実際は耕したからといって雑草がなくなるわけではなく、地面をかき乱さないほうがむしろ処理すべき雑草は減るという。それよりもさらにいい雑草の抑制方法は、雑草が生える機会を奪うことであり、地面を覆うように生える被覆作物を植え輪作を行うことだ。そうすることによって、被覆作物は窒素を固定することで土壌をさらに肥沃にし、雑草を抑制し、被覆作物が死ぬときにはそれ自体が土壌生物の餌となって土の肥沃度に貢献する。除草剤や殺虫剤を一切使わなくていいということではないが、耕さずとも雑草を減らすことはでき、除草剤の使用も旧来の農法から減らしつつ、土壌の有機度を回復させられるのだ。

さらに利点について述べると、耕す必要もなく雑草を取ることもあまりないので、農作業にかかる時間が少なくなり、土の有機度が減り続けることもないので化学肥料に頼らなくてもよくなる。化学肥料は有機物が少ない劣化した土壌でこそ収穫高を増大させるが、逆にいうと肥沃な土壌に対して用いてもその収穫高はあまり上がらない。どちらでも収穫高があまり変わらないのであれば、化学肥料を使ってもいいじゃないかと思うところだが化学肥料の生成には大量のエネルギィが必要で、その大量使用には土壌を酸性にし、土壌微生物群集を変えるなどいくつかの副作用がある。

そんなに素晴らしいならなぜ普及しないのか

著者は「環境保全型農業」という言葉を使うが、それは次の3つの原則すべてに従った農法を意味するものとしている。『①最低限の土壌撹乱、②被覆作物(マメ科植物を含む)の取り入れ、③多様な輪作。』そのどれもが、特に資本も必要とせず、明日から取り入れられるものだ。なので、説明を聞いていると、なぜそんな素晴らしいことばかりの環境保全型の有機農業にみんな切り替えないんだと疑問が湧いてくる。

各地で環境保全型農業、あるいは環境保全型農業の定義に沿わない不耕起栽培を行っている農家を著者が回るうちに、その理由も無数に存在することが明らかになっていく。たとえば、作物保険のような補助金付きの政府のプログラムがこれらの農法に適用されないこと。土地による問題もある。アフリカでは気候にあった被覆作物がそもそも手に入りづらいのだ。環境保全型農業が立脚するのは化学とこれまであまり顧みられなかった土壌生物学だが、生物は化学とは違って多くの物事が影響し、同じようにやっても同じ結果が出ないこともあるのも理解されづらいポイントのようだ。

全農家が有機農業に転換したら、食糧生産が足りないのではないかという批判もある。たとえば、有機栽培の作物と慣行栽培の収量は、有機農産物の方が平均して19パーセント少ないのである(『英国王立協会紀要』に掲載されたメタ分析)。つまり総転換によって、世界の食料の総量が20パーセント近く減ってもおかしくはない。ただ、著者らはこの点についても反論しており、著者らが行った被覆作物と輪作を組み込んだ有機作物と慣行農法を比較すると差は8〜9パーセントに縮まるのだという。

おわりに

多くの人間が有機農業に転向すれば技術や研究も進展するし、そんなにやりはじめるのも難しくないし、いけるっしょ! と著者は最初から一貫して未来の農業に対して楽観的な態度を崩さない。実際、多少収量が落ちようが(著者はほぼ落ちないと主張しているが)土地がやせ衰えていく絶望的な状況なのであって、そこまで難しくない手段で回復させられることがすでにわかっているというのは心強い事実である。

また、ここで語られていくようなことは日本人からすると感覚的には当たり前で、受け入れやすいことでもある。なにしろ、日本人は昔から自分たちの排泄物を肥溜めにため、畑に豊富な栄養源として戻す循環農業を取り入れていたのだから。マメ科食物を輪作に組み込むこともすでに行っていたのである。ある意味、昔の知恵を引っ張り出して、現代の土壌生物学と組み合わせてさらに洗練させていくだけでいいのだ。