- 作者: 北上次郎
- 出版社/メーカー: 本の雑誌社
- 発売日: 2019/07/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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それがなんであれ40年続いたら凄いもんだが書評が続くってのは、凄いわな。金銭的な実入りの大きい仕事ではないし、小説家だなんだと比べてなにか世間的な評価がもらえるわけでもない。まったく評価されないわけではないが、本を読んでそれについて書いているだけともいえるのだから、まあそんなもんという側面もある。
僕もこの書評的なブログを10年以上書いているけれど、10年続いたと言うだけで凄いと言うか、自分でもよく続いたもんだなとびっくりしてしまう。これを4回、それもブログみたいに適当に書き飛ばしたって誰にも文句を言われないものとは違って、きちんと雑誌や文庫や新聞といった媒体に責任ある文章を発表し続けて40年というわけだから、凄い、問答無用に凄いことであるということは繰り返しておかねばなるまい。無論、北上氏も別に書評だけ書いて40年生きてきたわけではないが。
本書のほとんどはミステリマガジンに載っていた原稿をまとめたものになるが、ミステリ〜に載っていた時から好きで、毎度毎度ワクワクしながら読んでいた。大森望さんやら日下三蔵さんやら、僕の知っている人の多くの名前と昔話がおもしろいし(会ったことはなく、本やら何やらで知っているというだけだが)、書評をどう書くのか、文庫解説をどう書くのか、という面は僕も書評を書くので、個人的にも参考になる。たとえば、北上氏はゲラをほとんど直さないという。北上氏はそれを鏡明氏に教わったといい、なんでも『「だって書いちゃったものは仕方ないじゃん」』ということらしい。なるほどと僕も感銘を受けた。書いちゃったものだから仕方ないんだ!
北上氏の文体ってスラスラと流れる水のようで、文章の途中でお、そういえばいまあれを読んでいて思い出したんだけど……と突然それまでとは別の話がはじまったり、目の前で喋っているように展開するので友だちのような感覚を覚えてしまうのだが、本書の内容には昔話が多数含まれることもあって、その傾向が強く、淀みない。
淀みがないというか、自然体の文章(がなんなのか、というのも難しいが)だからこそなんだろうな。本書の中では、北上氏の文庫解説では、著者のAという作品についての解説なのにいきなり冒頭から著者のBが凄い! と別の(気に入っている)作品を褒めてしまう話なども綴られているのだけれども、それも「そう書くのが書き手にとって自然だから」受け入れられているものなのだろう、と気付きがあった。
同業者の話がおもしろい
同業者についての話は、僕が近縁にいるということもあるがおもしろい。大森望との出会い、最初の依頼の話から続けて、大森氏が「小説奇想天外」ではじめた連載「海外SF相談室」で『駆け出しSFライターが目立つには喧嘩を売るのが一番だろうと考えて、いろんな人にかたっぱしから喧嘩を売っている』と語っていて、(北上氏が)大森望を「喫茶店でふんぞりかえる生意気キャラ」と最初みていたとか。
加えて、作家と会ってしまうと批判が書きにくくなってしまうから会いたくない、と語る北上氏と対象的に大森望は批判した作家と平気な顔で会える図太い神経がすごい、と褒めている。たしかにすごいが、図太い神経があり、気にしてないわけじゃあないんじゃないかなあ笑 他にも日下三蔵氏のイカれエピソードであったり、長い付き合いのある編集者らについての話、友だちになってしまった作家谷恒生にぽろっと「あんな仕事、おれに振るなよ」(つまらない作品の解説を振るなよ、ということ)と言ってしまったエピソードなど、笑えるものからしんみりものまで幅広い。
特に最後のやつは、大森氏がつまらない小説の文庫解説依頼がくるとどうやっておもしろく見せようかとファイトが湧いてくるというが、自分(北上)は技術がないので無理だ、と語るエピソードとも繋がっていてぐっとくるんだよなあ。
書評家の三分類
だらだらと内容を要約してもしょうがないので最後にひとつだけ。書評家を大きく分けるとまず三つにわけられる、という話があり、これがなかなかおもしろい。
たとえば、杉江松恋と川出正樹は明らかに書評家というよりも評論家だろう。それが彼らの特質だろう。新保博久と日下三蔵は、書斎派型の研究家。私、霜月蒼、村上貴史は「煽り書評」を書く煽動家。この三タイプがまずある。大森望は何だろう。書評家でも評論家でも研究家でもなく、本質は編集者だ。だから全体のバランスを見るのがうまい。そうか、池上冬樹を忘れていた。
さて、自分は──と考えたくなるが、僕はそもそも分類するような段階にも到達していないだろう。正直大きく三つに分けるのは難しくない? と思わないでもないがまあ、それがどうあれ人がこんなふうにつらつらと分類・分析しているのをみるのはおもしろく、何より書評家語りなんてめったに存在しないのだから、珍しいしね。
おわりに
中盤頃に書かれる中間小説についての歴史語りは、媒体も違うので全体のトーンからすると浮いているが、北上氏の書評稼業と密接に関わっているのでそれはそれ。よその雑誌の対談や座談会に出席する時は何ページを予定しているかを聞き、そのページを埋めるネタだけは提供することにつとめる(それが最低限の礼儀だろうう、として)など、「え、そうだった(最低限の礼儀)のか!! そんなことまったく考えたこともなかったわ!!」と反省するなど、個人的に参考になる部分が多かった。