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世界的なファンタジィ・サーガの傑作五部作、ついに完結──《ウィッチャー》

ウィッチャーI エルフの血脈 (ハヤカワ文庫FT)

ウィッチャーI エルフの血脈 (ハヤカワ文庫FT)

ウィッチャーV 湖の貴婦人 (ハヤカワ文庫FT)

ウィッチャーV 湖の貴婦人 (ハヤカワ文庫FT)

ついに《ウィッチャー》サーガ全五部作が、先月出た第五巻「湖の貴婦人」で完結! 第一巻の邦訳版が2010年に出たあと長らく続篇の刊行は止まっていたが、ゲームウィッチャー3の世界的な大ヒット(シリーズ累計3300万本超えというから凄まじい)、数々の派生ゲーム化、漫画化、さらにはNetflixでのドラマ・シリーズ化まで決定し、一巻から刊行され直したのが2017年のこと(一巻には僕が解説を書いた)。

小説はゲームの前日譚を描いており、ゲームプレイヤーからすれば過去の事件や戦争、登場人物たちの来歴を知れ、何よりあのプレイヤーがゲラルト(主人公)となって駆け回ったあの世界の人々が生き生きとしている世界を堪能できるだが、強調しておきたいのは本作は人気ゲームの原作〝であるのと同時に〟超ド級の傑作ファンタジィ・サーガであり、単体の作品としてめちゃくちゃおもしろいのである!

混沌とした世界設定

著者のアンドレイ・サプコフスキはポーランドの作家で、作品にはスラヴ神話がベースとなって取り込まれている点がファンタジィ的にはおもしろいポイントだが、同時にこのサーガの大きな魅力といえるのは、そこにとどまらない圧倒的なごった煮感である。無数の神話が混交し、ドワーフやエルフといった馴染みの面々に加え、超能力者、吸血鬼、魔法使い、魔法使いらとは異なる力を操る女司祭に、霊薬によって身体を変化させた変異体である魔法剣士(ウィッチャー)たちに、果ては地球のアーサー王伝説まで絡んできて──と出てくるものたちの種族だけでもカオス化している。

実はそこには設定・世界観的な根拠もあって、この《ウィッチャー》世界には主人公であるウィッチャーのゲラルトらが旅をする世界以外にも無数の世界があり、世界間を渡り歩く能力を持った者もいるんだよね。で、そうした場合によっては「世界を渡ることができる」という設定は、この世界の雑多な生物たちの来歴にも関わっていて──と、世界設計の段階からカオス化することを見越して作られているのである。

「覚えておいて──魔法は混沌であり、芸術であり、科学である。呪いであり、恵みであり、進歩である。それは誰が魔法を使うか、どう使うか、なんのために使うかで違ってくる。そして魔法はいたるところにある。わたしたちのまわりのどこにでも。簡単に触れられる。手を伸ばしさえすればいいの。いい? やってみるわよ」

シリーズ最初の短篇は1986年の発表で新しい作品というわけではないんだけれども、交通整理がうまく、魔法周りの設定の作り込みとか、魔法使い結社らの存在とか、設定がゲーム的で(無秩序に人をどこかへと飛ばすポータルがあり、それを起動できるのは通常レベル4以上の魔法使いのみとかの設定があったりする)、ジェンダー的にも女魔法使いの力が圧倒的で、女性陣の多くはみな主体的に力強く自分の人生の方向を決定づけていくなど、今の読者にもするっと受け入れやすい面が多い。

ひとりの女魔法使い(トリス・メリゴールド)が一巻で語る『「世界が崩壊しつつあるわ。何もせず、傍観することもできる。でも、あらがうこともできる」』のくだりとか、無論主人公であるゲラルトもカッコいいんだけど、読んでいて俄然応援したくなるのはその脇を固める女性キャラクターたちなんだよなあ。

大まかなあらすじ

世界は混乱の中にある。世界には無数の国家があるが、北方に存在する四王国と皇帝エムヒルによって統治されるニルフガード帝国が激しい戦争に突入しようとしており、人間とエルフの戦い、世界のバランサーたる巨大な力を持った魔法使い勢力の内紛、さらには魔法こそを世界の王位につけようとする過激な運動まで起こり──と世界はそれぞれの勢力の思惑が交錯しながら、急速に崩壊に向かって進みつつある。

魔法剣士ウィッチャーらは本来、どの勢力にも与さず中立を良しとし、怪物退治を専門とする凄腕の狩人集団で、主人公ゲラルトもその思想の例外ではない。例外ではないが、彼が関わることになった滅ぼされた国の王女シリはこの世界を支配できるほどの巨大な力を持っており、彼女を守るために諸国を放浪し、各国・各勢力の揉め事に首を突っ込むことになる。ゲラルト個人では当然各国と渡り合うには力不足だが、旅を続けるうちに怪しい吸血鬼、何の役にも立たない詩人、弓の名手のなど無数の仲間が増えていく点も(ゲラルトの意志に反して入ってくる)RPGっぽい。

運命と物語論

物語全体を通して流れているテーマに、運命にいかにして向き合うのか、がある。世界を支配する力を与えられたシリの持つ血、この世界には未来を予測する能力もあり、未来は決定づけられているように見える。作中何度も、シリもゲラルトも「お前が何かを変えることができたとしても、悪い方に変えるだけだ」と宣言される。だが──と、定められたものに対して、みなそれぞれのやり方で対峙してみせるのだ。

ゲラルトは予言なんか信じないと言って行動し、イェネファーは「運命はいかにも解釈できる」といい、行動する。『わたしは自分ひとりでやる。わたしだけのやり方で。それも能動的に、クラフ、能動的に。両手で頭を抱え、座りこんで鳴いているのは性に合わない。わたしはみずから行動するつもりよ!』。吸血鬼のレジスは、運命とは一見なんの関係もなさそうな事実やできごとや事象の結果だと語る。『人生は、マダム・ヴィゴ、夢かもしれず、夢として終わるかもしれない……。だが、それは能動的に見る夢だ。だから、マダム・ヴィゴ、道はわれらを待っている。』

この運命論の部分は、五巻まで読むと物語論的に読むこともできる。我々が物語を読む時、登場人物たちがどのような事態を迎えるのかは決定されてしまっている。五巻では(というより一巻からなんだけど)、シリとゲラルトの物語が半ば伝説として伝えられており、その研究者らの語りのパートが結構な比重を持っているのだけれども、そこで問われるのが、「伝説はどう終わるのか」なんだよね。無論、みなが知っている伝説の終わりはある。でも──それを受け入れなきゃいけないってことはない。

ありえたかもしれない結末、伝説の終わりを探るため、夢を何度もみながらシリの伝説上空白の期間を追うこの研究者の語りパートは、物語に夢見ることを忘れられない我々読者の物語でもあって、「異世界を渡りあるくことができる」という設定とあいまった、この世界ならではのラストシーンにはグッとくるんだよなあ……。

おわりに

物語は第五部で重層構造が最高レベルに達し、無数の世界、無数の時間軸からゲラルトとシリらの物語が語られ、「運命に立ち向かう者たち」のサーガは、いったん完結することになる。五部の冒頭でシリが、「この物語はますます始まりがないものに思えてくる。自分でも終わったのかどうかわからない。」と語るけれど、これは読了時の感想そのものだ。それは、このサーガがすっきり終わっていないということではなくて、誰かを倒す、何かの問題が一見落着する、といったぐらいのことでは“この世界は終わらないし、閉じない”ということであり、世界はどこまでも開かれている。

正直、よくここまで巨大な世界・設定をここまでまとめたな、と思うのと同時に、まだまだ魅力的な設定・世界観が大量に残っていて(このあとゲームで存分に語られるんだけれども、それでも)語られ足りないなあと思わずにはいられない。実はまだ未刊行の短篇集が三冊あり、ぜひゲーム好きのみならずファンタジィ好きのファンにも買って応援してもらいたいところだ。ドラマも楽しみだなあ!
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