基本読書

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ツイッターから解放されるために──『デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する』

この『デジタル・ミニマリスト』は、端的にいうと「TwitterやFacebookみたいなSNSは人間の注意・関心をハックしてくる存在であって、時間の無駄だから、やめられるならやめたほうがいい」という本である。最初に具体的に「どのようにそうしたSNSが我々の注意と時間を奪っているのか」を述べ、その後に実践編として「じゃあ、どうすれば我々はSNSから離脱できるのか」を紹介していく流れになっている。

「まさに自分が求めていた本だ!」と思う人も多いのではないかと思う。何しろ、僕がまさにそうだったからだ。

ツイッターをやめようと奮闘する日々

というのも僕は特にTwitterに関して、この2年は利益よりも害が多くなってしまったように感じていて、なんとかやめられないかと試行錯誤していたからだ。

嫌気がさした理由の一つは、信号の待ち時間、本を読んでいる時、ドリップ式の自販機でコーヒーが入るのを待つほんの僅かな時間につい確認して注意力が細切れになるのが本当に嫌になってきたこと。また、真偽不明なデマが多すぎることと、多くの人がその真偽不明のデマを真実だと思いこんでリツイートすることもそうだ。

また、たとえそれが正当な理由であっても怒っている人の発言が目につくようになって、自分に無関係な事柄への感情的な揺れ動きに巻き込まれすぎているように感じていた。人の注目を集めたいと思ったら感情に訴えかけるのが一番だから、それが良いことにしろ悪いことにしろ「感情」をターゲットにした言葉こそが広まりやすく、目にも入ってくる。だが、そこに巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。

 さらには、人はもともと感情的になると暴言を吐いてしまいがちだが、二〇一六年の大統領選とその余波に端的に表れたように、ネット越しの論争はその傾向をいっそう加速するようだ。これについて、テクノロジー哲学者ジャロン・ラニアーは次のような説得力ある分析をしている──「怒りや言葉の暴力がインターネット上にはびこるのは、ある意味、インターネットという媒体の性質と切っても切り離せない現象といえる。誰もが自由に参加して他人の関心を奪い合う場では、前向きで建設的な意見よりも、負の感情のほうが注目を集めやすい」

「見ないようにしよう」と決めても、投稿をしてiPhoneの公式アプリにとぅるんとぅるんと通知がきたらどうしても観に行ってしまう。たとえ通知がこなくても、なんか通知きてないかな、と気になって観に行ってしまう、というのを一年ぐらい繰り返していたのだが、2ヶ月ほど前からもう少し強硬手段に出ることにした。スマホからTwitterアプリを削除し(ついでにFBも消した)、お気に入りから毎日開いていたTweetDeckを消した。そして四六時中確認していたListを削除した。

ここまでやるとiPhoneでTwitterを確認するにはSafariを立ち上げるしかないし、WebのTwitterページは実用的ではないので観ることもない。WebではTweetDeckは開けるが、お気に入りにないからわざわざURLを打ち込まないといけないし、開いてもリストは消したので雑然とした流れしか見えず、自然と見る頻度が減った。投稿自体はちょこちょこ続けているが、僕にとって重要なのは「注意力を奪われず、感情を揺さぶられない」ことだったからこれぐらいの離れ方がちょうどいい。

はたして効果はあったのか? といえば、単なる実感レベルになるが、とてもあった。ドリップ式自販機がコーヒーを淹れる20秒とか、信号待ちをしている数十秒、本を数ページ読むごとにスマホを取り出さずにいられるのは本当に快適だ。

なぜそんなに中毒性があるのか

そもそもなぜそんなにTwitter(やFacebook)には中毒性があるのだろう。一つ確実に言えるのは、そうなるようにデザインされているからだ。人の脳は”間歇強化”と”承認欲求”の二つからの影響を受けやすい。間歇強化とはなにかといえば、人間は決まったパターンで報酬を与えられるよりも予期せぬパターンで与えられたほうが喜びが大きくなる(神経伝達物質であるドーパミンの分泌量が多くなる)ことをさしている。

我々がある投稿を行った時、それがだれに、どのタイミングで「いいね」されるかは当然予測できない。まさにお手本のような間歇強化であり、投稿してはチェックする、という行動がたまらなく魅力に思えるのはまさにこれが理由だ。もうひとつの承認欲求については説明する必要もないだろうが、TwitterやFacebookはいいねやシェア、リツイートの形でまさにこの承認欲求を満たしてくれる。とはいえ、いくらたくさんいいねされようがこの欲求が完全に満たされることはない。ただ渇望が激しくなっていくどころか、いきすぎればクソリプが次々ととんでくるようになるだけだ。

どうやってやめたらいいのか

著者は何もSNSが全面的に悪であるといっているわけでもなく、効用があることも認めている。ただ、重要なのは我々の生活の中の注意力をすべて明け渡す必要はない、ということだ。必要な注意力は、取り戻さねばならぬ。『私たちの主体性を侵害しているテクノロジーは、人間の脳の奥深くにある弱点をピンポイントで攻撃するスキルを着々と磨いてきた。一方の私たちは、ここに至ってもまだ自分たちはテックの神々が与えたもうた楽しい贈り物で遊んでいるだけのことと無邪気に思い込んでいる。』

というわけである意味そこからが本書の本題で、じゃあどうやって「デジタル・ミニマリズム」を実践するのか、という部分に入っていくわけだけれども、そこについては──実際に読んで確かめてもらいたい。TwitterやFacebookを仕事に活用している人も多いだろうしはい、すべてをやめろとばっさりいってもしょうがない。

デジタル・ミニマリズムは、まず「必須」なものと「便利」なものに仕分けして、適切な距離のとり方はどこにあるのかを探るところからはじまる。著者はこのデジタル断捨離とでもいうべき実験を1600名以上のボランティアと共にやっており、「どうすれば本当にやめられるのか」という知見はかなりのものだ。