- 作者:デイヴィッド・スローン・ウィルソン
- 出版社/メーカー: 亜紀書房
- 発売日: 2020/01/24
- メディア: 単行本
進化の仕組みが我々を現状の機能と特徴を持つ個体にしたのはそうだろうけど、現代の問題を解決するためにその知識が必要だというのはなんか違くない? と思うかもしれない。が、実はそこには深い繋がりがあり、進化論を無視して問題を解決しようとしてもうまくいかないのだ──ということが一冊かけて訴えかけられていくのだ。
本書の課題は、政策立案が生物学の一分野であることを示す点にある。政策の標準的な定義は、「政府や集団や個人によって提案、採用される行動の指針や原理」というものである。(……)政策を生物学の一部門として見ることは、すべしとされる行動が、深く進化に依拠したものでなければならないことを意味する。世界のどこで暮らしていても、私たちは、制度、政治イデオロギー、聖典、個人の哲学を参考にするのと少なくとも同程度に、進化論を参考にすべきである。
スパルタ教育を信じる人は子どもには厳しくしつけるべしとする政策を採用しようとするだろうし、宗教は「自分がしてほしいことを他者にすべし」と道徳と政策を問うだろうが、少なくともそうした聖典や個人の哲学、右や左などの政治的なイデオロギーと同等に生物学的な観点からの知識が必要とされる──と補足で説明を入れたが、それだけではいまいちイメージが沸かないと思うので、いくつか具体例を挙げよう。
政策立案には生物学的な観点が必要である
たとえば、日本でも問題の近視は環境によって引き起こされる症状だ。近視の有病率はネパールでは3%未満、中国の広州では69%以上と開きが出ているが、これには人間が作り出した環境や読書やゲームなどの人間の活動様式が関係している。
ただ、問題は近くをみすぎることではなく、屋内で過ごす時間、遠くを見る時間に関係しているとする説もある。既存のすべての研究を概観するメタ研究では、1週につき1時間余分に屋外で過ごすと、近視になる率が2%低下すると見積もられている。近視を減らすための政策的な勧告をするには(近くのものを注視するのがまずいのか、外で過ごさないのがまずいのか、その両者が何%ずつの配合なのかはまだわからないとはいえ)明らかにこうした生物学的な知識にのっとって行われる必要がある。
もうひとつ、数年前から日本でも盛り上がっている人間の体の免疫系、マイクロバイオームが破壊されることによる、アレルギー症状やうつ病、糖尿病、不安障害などが発生する問題も政策立案に生物学的な観点が必要とされる領域だ。抗生物質の摂取がマイクロバイオームを破壊し、アレルギー性疾患の発症率を高めるなどの知識がなければ、(不必要な抗生物質を飲んだりし)余計なリスクを背負い込みかねない。
幼児期の教育についても何が効果があって、何がむしろ逆効果なのかについての研究成果も集まっている。たとえば、テレビなどの映像メディアを見ることで乳幼児のさまざまな能力の発達を阻害するようだ『生後九か月の乳児を長時間メディアにさらすと、怒りっぽさ、注意散漫、性急さ、注意をある課題から別の課題に移すことの困難につながることが示されている。』。これは(乳児向けの)教育用の映像であっても変わりがないようである。良かれと思って金をかけてやっていることにもかかわらず、生物学的な知識を欠くために、子どもに危害を加えている可能性があるのだ。
道徳はどこからきたのか
本書のテーマ上もう一つ重要な観点が、「個体がグループから進化し得る」という考え方である。それを示す格好の材料がニワトリで行われた実験にある。その実験では、メンドリの産卵率をあげるために、各メンドリが産んだ卵の数を追跡して、5〜9匹ずつ押し込まれている各檻の中で多くの卵を産んだメンドリを繁殖に回した。
そのメンドリは檻のなかでもっとも繁殖率が高いわけだから、その血筋だけを残したら卵がウハウハになりそうなものだが、実際にはメンドリが産む卵の数は少なくなっていった。それは単純に檻に入ったメンドリが殺し合っていたからだが、そんな残忍な結果が出てしまったのは、元の檻で産卵率が高かったメンドリは「他のメンドリを攻撃することでその地位を確保していた」からであった。そして、そうしたメンドリが残された結果、攻撃的な性向を有するメンドリたちが産まれてきたのである。
それとは別に、産卵率を檻ごとに集計し、優秀だった檻をまるごと繁殖用に回した実験では、5世代が経過してメンドリは全て無事で(個体を選別した方は5世代目には9匹が殺し合って6匹が死んでいた)、産卵率は160%上昇したという。いっけん成果をだしている有能な個体を選別し、繁殖させ続ければよりよい社会が築かれるという優生学的な考えは、(少なくともこの実験からは)間違っていることがわかる。
ここで重要なのは、利己的で攻撃的な個体はグループ内の競争では有利に働くが、グループ間の競争で後者の協調性の高い平和的なグループが勝った場合は、利他的で平和的な特徴が選好されることになることだ。その結果『非常に協調的なグループが進化し、それ自体が高次のレベルの有機体へと変容を遂げていくのだ。』といい、我々人間の道徳真理もまた、進化の帰結としてもたらされた社会的構築物なのであるとする見解を示している。無論そうした進化の圧力を受けるのは道徳だけではなくて──、と、ハチを研究する時に個体ではなくてコロニー全体を群体として研究するように、人間をグループとして捉えた多数の研究を概観していくことになる。
おわりに
と、ここからいよいよ「進化生物学の観点からこの世界を捉え直していく」この本のおもしろいところに入っていくわけだが、ここから先は読んで確かめてもらいたい。グループが繁栄するための条件はなんなのか。組織やチームへの帰属意識を高めることや、周囲の人々とのふれあいが個人のパフォーマンスをいかに高めるか。有機的に変化できる組織を作るために、進化の仕組みを取り入れることはできるのか。
また、『人類は、新たなプロセスを代表しているのだろうか? 意識の進化という概念は正当化できるのか? スーパーオーガニズムは存在するのか? 地球全体を包摂するべくスーパーオーガニズムの境界を拡大することが理論的に可能なのか?』など、グループの規模を拡大させ、国家、また地球人類そのものがより繁栄するために必要な仕組みは──と、最終的には非常に大きな視点にまで到達してみせる。