基本読書

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「能動的に行動する能力」はいかにして生まれ、進化してきたのか──『行為主体性の進化:生物はいかに「意思」を獲得したのか』

この『行為主体性の進化』は、認知科学が専門のマイケル・トマセロによる、「行為主体性」について書かれた本だ。霊長類や他の哺乳類はアリやハチといった昆虫と比べると「知的」であるようにみえる。しかしその知的さをどのようにはかるべきだろうか。もちろん、これについては行動の複雑さなど無数の尺度が考えられるだろうが、本書ではその知的さの違いを「行動の制御」に見出していく一冊だ。

たとえば、アリやミツバチの行動は、それがどれほど複雑であっても個体がすべてをコントロールしているようにはみえない。彼らの行動を主に制御しているのは個体の判断ではなく生物学的機制(バイオロジー)である。一方の霊長類や他の哺乳類は、ある程度は自分のコントロールにおいて、情報に基づく決定を能動的に下しているようにみえる。これに関連して出てくるのが本書で最も重要なワードの「行為主体性」という概念で、具体的には「自分で主体的、能動的に行動する能力」のことをさす。

たとえば、地球上に出現した最初の生物は行為主体性を持っていなかったといえる。彼らは口を開いて単純に動き回る単細胞生物で、お腹が満ち足りたから動作を停止するといった行動はとれなかった。自己の行動と結果を結びつけ、それが成功したかどうかを判断することもできない。ただ刺激に駆り立てられ、漂うのみである。

アリやハチのような昆虫と、哺乳類、人間では、明らかに後者の方が行為主体性のレベルが上がっている。では、いったいそれらの間で行為主体性についてどのような違いがありえるのか。行為主体性はいかなる経緯で進化し、人間が持つような高度な行為主体性にどうやって至ったのかを問うのが、本書のメインテーマになっている。

とりわけ人間の行為主体性を最終的に解明するためには──それが私の望みである──、高度に制約されたわずかな決定を行うだけの生物から、何をすべきかを常に独力で決定する生物に至る、行為主体的な行動組織の進化の段階を跡づけていくことが必要になる。p10

生物が生息する環境は、新しい種が出てくることもあるし、隕石などが降ってくることもあるしで、時間的にも空間的にも大きく変化し、予測不可能なものになりうる。ゆえに、著者の仮説によれば、そうした予測不可能な状況にぶちあたっても自分で臨機応変に環境を評価し、次になすべき行動を独力で決定できるものが、ある生態的ニッチでは生き残り、子孫を残すことができた。人間の意思決定を下す能力や、非合理的なバイアスは、そうした進化的な適応の結果である可能性がある。

4つの主要なタイプの心理的行為主体

著者によると、そうした人間の意思決定や行動制御の起源を解き明かすような系統的な試みはこれまでまったくされてこなかったのだという。そこで本書ではまず、「人間の心理的行為主体性が進化した道筋を再構築すること」に焦点をあて、人類に至るまでの重要と思われる四つの主要な行為主体の段階──太古の爬虫類、哺乳類、大型類人猿、初期人類──に絞って、それぞれがどう異なるのかのを論じていく。

目標指向的行為主体

時系列順に進んでいくので、最初に取り上げられるのは目標指向的行為主体と呼ばれる太古の爬虫類たち。先に地球上に出現した最初の単細胞生物の話を出したが、彼らは行為主体性を持っておらず、目的も何もない。それでも生きていけるので、何も問題ないわけだ。しかしその後神経系を備えた生物が生まれ、徐々に複雑な行動をとるようになる。特に5億年前にカンブリア爆発がおきて、四肢、歯、爪などの付属器官をもった「複雑な能動的身体」を持つ生物が登場すると、状況は変わる。

生物が全般的に複雑になると、捕食にしろ防御にせよ予測不能な状況が起こり得る。著者によれば、そのために必要とされたのが爪などの武器だけでなく、自己の行動を制御するための効率的な手段だ。『そこで登場したのが、フィードバック制御組織を備えた生物であり、少なくとも特定の行動領域に関するいくつかのコンポーネントを実装していたという点で、それが最初の真に行為主体的な生物になったのである』

で、太古の爬虫類がその「最初の真に行為主体的な生物」なわけだが、彼らは単に刺激に駆り立てるのではなく、目標を指向し、個体の決定によって行動をコントロールすることができた。飢えていれば餌となる昆虫を探し、見つけたら殺して食べ、飢えが満たされたら行動を停止する。その過程で「襲われる」などのイレギュラーがあれば、太古の爬虫類(や実験対象となっている現代のトカゲたち)は行動を止める。

ある実験で、トカゲは不透明の管に入ったエサを、管の端の開口部まで回り込んで入手できることを学習した。その後、透明の管にはいったエサの前にトカゲをおく。被験個体が生得的な傾向に従うのであれば、まっすぐ見えているエサに向かうはずだが、トカゲの中にはその「生得的な傾向を抑制」して、不透明な管で学習したように、管の端まで回り込んで入ることができた個体もいた。この「生得的な自分の行動を中止できる」ことが意思決定者として大きな意味を持っているわけだが、それでも人や哺乳類と比べると単純な意思決定機構しか持っていないことにかわりはない。

意図的行為主体

続いて紹介されるのが、意図的行為主体とされる太古の哺乳類だ。彼らは意図的に自己の行動を目標に向けて導く。実際に行動を起こす前に、行動計画をシミュレートし(たとえばリスが自分がいる枝からとなりの枝に飛び移ろうとして、落ちるリスクを考えるみたいに)、失敗しそうだなあと思ったら別の道を模索する能力を持っている。

そんな能力なら便利だし爬虫類だって持っていたっていいのでは、と疑問に思う(もちろん高度な行為主体性にはより大きな脳が必要になるのでその使用コストはあるのだが)。著者によれば、哺乳類だけが高度なスキルを発達させたのは、彼らが社会集団を形成して仲間と暮らすことが多いことに起因するという。

爬虫類は、おもに捕食者と餌の他の生物とせいぜい天敵と相互作用しているだけで、そこで生じる不確実な出来事に対しては目標指向行為主体が持つ程度のスキルで十分に対処できる。一方の哺乳類は群れを作ることが多いので、そうすると目標となる餌を外敵だけでなく仲間と奪い合う必要がでてくる。仲間との競争という高度な社会性を必要とするに、複雑な認知スキルが必要になったというのだ。続いて出てくるのが、同じ哺乳類の中でも太古の類人猿で、こちらは合理的行為主体と呼称される存在だが、これについて深く紹介していると長くなりすぎるので割愛させてもらおう。

社会規範的行為主体である太古の人類

そして最後の行為主体の段階として現れるのが社会規範的行為主体である人間だ。重要になってくるのは個体の枠を超えた「社会規範」である。人間は幼少期の頃から「規範」を持ち「協働」を行う。たとえばチンパンジーはそばにいる適当なやつと一緒に狩りをはじめるのだが、狩りの最中にパートナーが抜けていなくなり、狩りが終わった後戻ってきておこぼれをもらったとしても抗議をしない。

一方の人間は、三歳児の時点ですでに協働に際して、自分の役割を果たそうとしないパートナーがいた場合抗議を行う。一緒に作業し始めたパートナーが謝りもせずに協働から抜けたり、余分に分け前をもらおうとしても抗議する。それも、しなければならない、する義務があるといった規範的な言葉で抗議を表明するのだ。人間は個体の行為主体だけでなく、その上位の「われわれ」による社会規範による目標を追求する主体でもあるといえる(だから社会規範的行為主体と呼ばれるのだ)。

環境には数多くの不確実性が存在し、それに応じてここで述べてきたような行為主体性が生み出されてきた。人間が今ほどの高度な心理的能力を持っている理由は、人間が対応する不確実性が捕食対象だけでなく協働のパートナーにあったからで、他者との複雑な連携を可能にするためにはそれまでの類人猿にもなかった様々な社会的・認知的スキル、社会的な意思決定や自己調節能力が必要とされたのだといえる。

 人間が他の動物と大きく異なる点を考えると、人類が新たに獲得した組織がいささか質素であることには驚きを感じるかもしれない。しかし、その点こそがまさに奇跡なのである。見かけは質素な変化が、あらゆる種類の偉業を可能にする新たな形態の行為主体をもたらしたのだから。p210

おわりに

こうした各生物における行為主体の変化は、彼らが世界をどのように経験しているのかにも関わってくる。行為主体という枠組みを通して生物について考えていくと、行動プロセスとそうした心理プロセスの両方を一気に説明することができるので、その応用範囲はシンプルさに似合わず(だからこそ、ともいえるが)驚くほど広い。本文200ページちょっとと短めだが、中身はぎゅっと詰まった一冊だ。