基本読書

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二〇一〇年代最注目のSF作家による、未来の海上都市を舞台にした〈分断〉と〈結合〉の物語──『黒魚都市』

この『黒魚都市』は、2010年代にその頭角を現してきた、新時代のアメリカSF作家であるサム・J・ミラーによる二作目の長篇小説である。

チャイナ・ミエヴィルの『都市と都市』『言語都市』、クリフォード・D・シマック『都市』、グレッグ・イーガンの『順列都市』、アーサー・C・クラーク『都市と星』──SF作品で題名に「都市」が入っているとそれだけでワクワクが止まらなくなってくる。それはやはり、SFがシンプルにストーリーを語るだけでなく、その世界観を魅せつけるものであり、SF作品で書名に「都市」を入れることは、この作品は「未来の都市、未来の世界をたっぷりと描写するぞ!」という宣言となっているからだろう。というわけでこの『黒魚都市』だが、期待にたがわぬ都市SFだった。

世界観など

物語の時代は、気候変動によって多くの都市が水没した世界。政府の力が衰え、暴動や勢力間の抗争が抑えられなくなった結果国歌の崩壊が起こっていて、アメリカ合衆国もその例外ではない。ニューヨークの難民らは行き場所を海上の巨大建造物に求めており、物語の舞台となるクアナークもそのひとつだ。深海熱水噴出孔の上に作られたクアナークは街の熱と電力の大半を地熱でまかない、廃棄物をメタンに変えることで夜間の街を照らし出すなど、エコ・システムが構築された都市になっている。

この世界に至る前に〈シス戦争〉と呼ばれる文明崩壊のイベントが起こっている。制御不能のマルウェアと寄生虫と感染媒介物を次から次へと生み出し、感染が広まったこの戦争をきっかけとして、ワールド・ワイド・ウェブを含むネットワークが崩壊。世界は度重なる分断工作による〈大分断〉と呼ばれる分断にも見舞われており、人々はクアナークのようなクローズドネットワークの中で生きるようになっている。

この都市には共通の言語はなく(一番多くてもスウェーデン語の37%)、全面的な報道の自由、最小限の官僚制度、都市の管理のほとんどはソフトウェアがこなしていて、市長など権力を持ったものはほぼ存在しない。その役割を一部担うのはアームと呼ばれる地区を管理する8人の管理官だが、権力は限定されている。自由でそのエネルギー循環に関しても先進的な都市であり、さぞかしここで暮らす人々は満たされているのだろう、と思いそうになるが、実態としては数多くの問題が起こっている。

問題の一つは、ブレイクスと呼ばれる死に至る感染症だ。主にセックス経由で感染し、感染すると精神に症状が出る。関係を持った相手の記憶が自分の中に流れ込んでくるようになり、症状が進行することで頻度が頻繁になり、やがて死に至るのだ。高度なAIが都市を管理しているにも拘らず、いつまで経ってもこの病気に関してはその発生原因も、感染方法も、対処法もわかっていない。それと関連しているのか、都市はAIによって平等に管理されているのは建前で、実際にはこの都市建設にあたって金を出した株主がプログラムの操作を握っているという問題もある。

感染症の蔓延、分断された世界、AIによる一見したところ平等な政治と、実態としてはその実験を握っている権力者がいるという構図、気候変動とそれに対抗するためのエコ・システムを備えた都市と、都市の機能からその中の政治機能まで、昨今の問題がぎっしりと詰め込まれているといってもいいだろう。

キャラクターたち

で、そんな都市を生きる、社会階層も違えば性別や性的嗜好もそれぞれ異なる5人の登場人物を語り手として物語は進行していく。ひとりは、この街を牛耳る大富豪である人物の孫息子にしてゲイのフィル。8人しかいない政治家の側近として働き、選挙のために調査・市民への対応任務を各地で行っている女性のアンキット。

街で裏の権力を持つ、犯罪結社のボスであるゴーの元彼氏にして、格闘技で八百長を繰り返しているカエフ。ジェンダーを気軽に変えながら街を駆け情報を届けるメッセンジャーで、自分自身を三人称単数形の「they」で呼べというソク。都市にホッキョクグマとシャチを連れてやってきた、オルカ使いと呼ばれる異質な女性の5人だ。

本の表紙にもいるけどホッキョクグマとシャチって何? と思うかもしれないが、この世界にはナノマシンを自分と動物の血中に入れることで、動物と緊密なネットワークを築くことに成功したナノボンダーと呼ばれる人々がいる。かつては大勢いたナノボンダーだったが、人間が動物と対等な絆を築くことに反発する原理主義者らの執拗な攻撃・虐殺を受け(この時にはアメリカ合衆国はもう国家としての力を失っており、それを止めることはできなかった)、すでに一人も残っていないとみられていた。しかし、ナノボンダーはまだ存在していて、クアナークにやってきたのだ。

犯罪組織のボスであるゴーはクアナークが自分自身の権力争いをかき乱す未知の変数になるとし、手下のソクに調査を命じる。アンキットは自分自身の母親を〈療養所〉と呼ばれる、出ることの出来ない謎の精神病院から助け出そうと奮闘する過程でこのオルカ使いと遭遇し──と4人それぞれの経緯でオルカ使いと関わり、〈療養所〉からある人物を助け出すために、都市の権力者と対峙することになっていく。

〈分断〉と〈結合〉

徹底的に分断が描かれてきたこの都市と世界だが、物語として紡がれていくのは結合を取り戻していく過程である。たとえば、ブレイクスという奇病、ナノボンダーたちが用いる動物との精神結合技術はどちらも人々の感情や記憶を結びつけることを結果・目的としている。ブレイクスによって不可避的に結びついてしまった人々は、自分とまったく異なる階層に属する相手に自分とはまた違う苦しみがあることを知る。

さらには、物語の過程で登場人物の多くに知られざる血縁関係が発覚し、家族としての関係性を取り戻していくことになる。彼らはみな、立場的にも、階級的にも断絶の中にあるが、次第にその差が埋まり、さらにはこの世界そのものと相互作用して、関係性が一つの絵のように浮かび上がってくるのが、本作の実に魅力的なところだ。分断と再度の結合は、小島秀夫監督が2019年のゲーム『デス・ストランディング』で描いたテーマの一つでもあるが、現代的なテーマであるといえるだろう。

おわりに

ホッキョクグマやシャチが大暴れするアクションパートもなかなかの読み応え。この記事では世界やキャラクタの話をかなりわかりやすくしてしまったが、実際にはパズルのピースが徐々にうまるようにしていろいろな情報が展開していくので、じっくりと腰を据えて付き合ってもらいたい一冊だ。たいへんおもしろかった。