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宇宙を支配する帝国の宮邸で繰り広げられる陰謀劇、ポリティカル・サスペンスが堪能できるSF長篇──『帝国という名の記憶』

この『帝国という名の記憶』は、アーカディ・マーティーンの長篇デビュー作。デビュー作にも関わらずヒューゴー賞を受賞、その他のSF賞にもバンバンノミネートされた注目の作品だが、その中心的なテーマ・題材になっているのは、宇宙をまたにかける銀河帝国と、その宮廷で繰り広げられる陰謀劇──ポリティカル・サスペンスだ。

舞台になっているのは遠い未来。宇宙は帝国とそれ以外、世界と世界でないものに分かれると言われるほどの巨大帝国テイクスカラアンが主な舞台になっている。銀河帝国、あるいは銀河連邦物といえばSFでもその性質上けっこうな大作が並び、つい先日は銀河連邦・帝国物のみを集めたアンソロジー『銀河連邦SF傑作選 不死身の戦艦』までも邦訳刊行されたぐらいの一大トピックスである。

そうはいっても、銀河帝国があるとはいえ特に練り込みも何もなくただ覇権国家程度の扱いであることも多いのだが、やはり個人的にはSFならではのポイント──エイリアンだのトランスヒューマンだの、多様な種が共存していたり敵対していたりといった多様性。現実にはありえないような帝国ならではの特殊な文化・概念の書き込み──あたりが密に描きこまれているかが気になるところである。

そういう意味で言えば、本書はそうした僕の興味・関心にわりとストレートに入ってきた作品だ。帝国には独自の言語や命名の文化があり、特に詩が重視される文化で、会話の端々には詩の引用が挟まれる。古臭い権力階層があるが、クローンなどの技術によって皇位継承者も面倒くさいことになっており(子がいなくともクローンがいる)──など。著者は大学でビザンツ帝国史の博士号、また別の大学で都市計画の修士をとっているが、まさにそうした専門知識が存分に活かされた作品になっている。

冒頭のあらすじ

物語は、帝国テイクスカラアンに辺境のルスエル・ステーションから一人の新任大使マヒート・ドズマーレが派遣されてくる場面から幕をあける。前任の大使イスカンダーが何らかの理由でその役目を果たさなくなったので、次弾として成績優秀で帝国の言語にも明るい彼女(マヒート)がおくられることになったのだが、着任早々に前任者は何らかのアナフィラキシーによる窒息によって死亡したことが明かされてしまう。

前任者はその地で何十年も過ごした人物であり、普通に考えたら突発的なアナフィラキシーで死ぬとは考えづらい。明らかにそこには何者かの意図による介入があり、後任のマヒートはその死の原因を突き止めるために、宮邸の奥深くにまで入り込んでいく。その過程で、帝国の暗部、皇帝と皇位継承候補者たちとの闘争に巻き込まれ、命を狙われ──と宇宙を舞台にした宮邸劇が繰り広げられることになるの。

文体、バディ物、文化、詩

いくつか素晴らしいポイントがあるのだが、まず取り上げておきたいのはデビュー作にも関わらず、そうと感じさせないほど絢爛豪華な描写力である。たとえばマヒートが最初にテイクスカラアンの大都市であるシティに降り立つ冒頭はこんなかんじ。

 インフォフィッシュでもホログラフでもイマゴ記憶でもなく、初めて自分の目で見たシティは、真っ白な炎に包まれ、果てしなくきらめく海のように輝いていた。惑星全体がまるで宮殿のようなひとつの世界都市と化しているのだ。その暗部──まだ金属をまとっていない古めの大都市、朽ちかけた都会の荒廃部、利用され尽くした湖の残骸──ですら人が住んでいるように見えた。海だけは手つかずのままだったが、それもまた燦爛たるターコイズブルーに輝いていた。

また、マヒートの属するルスエル・ステーションは「ステーション」と名がついているように軌道上で暮らす人々であり、人口が多くない(拡大できない)。そのため、彼らは独自にイマゴマシンと呼ばれるある時点での記憶の継承装置を生み出しており、これを後任の人間に引き継いでいくことで、知識を増大させている。

マヒートも今回帝国に派遣されるにあたって、前任大使のイスカンダー(ただしイスカンダーはずっとルスエルに戻ってこなかったので、十年以上前の記憶だが)をインプラントしており、口うるさい脳内相棒の声との対話で進行していくバディ物としての側面も持っている。この技術は帝国には存在しないのだが、こうした実質的な「不死」関連技術は、皇帝のような絶対的な権力者の存在する帝国ではひときわ重要性が高く──これを使えば何しろ皇帝はずっと皇帝でいられるわけだから──、マヒートとイスカンダー、そしてイマゴマシンの存在が宮邸劇に組み込まれていくのもうまい。

バディ役としては、現地の案内役でテイクスカラアン人のスリー・シーグラスも存在する。この二人が、立場も育ってきた環境も異なりながら危機を乗り越えていくうちに強固な信頼と愛情を築き上げていくのがまた尊いところなのだが、それは置くとして……名前に「スリー」と数詞が入っているのはテイクスカラアン人の一般的な命名ルールである。たとえば、皇帝の名前はシックス・ダイレクションで、その側近はナインティーン・アッズ。登場人物みんなナインティーンとかサーティーンとかなうえに、重複ありなので、エイトだけで3人もいて難儀したのだが、こうした細やかな「帝国独自の文化」が開陳されていくのがこの手の銀河帝国物のおもしろさでもある。

他にも、スリー・シーグラスがシティを案内するときにシティの建築物を描いた『ザ・ビルディング』という1万7千行の詩をところどころアレンジしながら暗唱する場面があったり、文書は詩的な符牒をベースにして暗号化されているのが普通で、詩に関する知識が必要とされるなど、詩が重要視される文化である。こうした設定が練り込まれていることで、「一つの別個の世界」が立ち上がってくるのを感じる。

 これがシティなのだ。世界の宝石、帝国の中心地。叙述と目に見えるものとのあいだに食い違いがあると、スリー・シーグラスは建物の変化に合わせて標準の『ザ・ビルディング』に臨機応変に調整を加えていた。しばらくして、マヒートはイスカンダーがスリー・シーグラスといっしょに暗唱していることに気づいた。頭の奥で響くそのぼんやりとしたささやき声は、なぜかマヒートに安心感をもたらした。彼はこの詩を知っていたので、彼女も必要があればこの詩を知ることになる。結局のところ、イマゴラインはそのためにあるのだ──役に立つ記憶を世代を超えて確実に受け継いでいくために。

おわりに

エイリアンとの宇宙戦争も艦隊戦も存在せず、特に大立ち回りがあるわけではないのでSFっぽいSFを期待して読むと肩透かしにあう作品ではある。が、イマゴマシンとそれをめぐる陰謀劇。辺境の存在で帝国の侵略をなんとかして防ぎたいルスエル側の意志と、皇帝の野望。そして幾人もいる皇位継承候補に皇帝簒奪を目論む勢力、さらにそれらの背後に渦巻くより大きな宇宙情勢を一変させる動きなど、無数の思惑が入り乱れ展開していく物語は、(著者がファンだと語る)ジョン・ル・カレに見事にSF要素──特に「記憶」のテーマ──を加えた読み味・おもしろさがある。

ちなみにこの本、装幀イラストも素晴らしい(原著のものをそのまま使っていて、担当のJaime Jones氏はマジック・ザ・ギャザリングなどで活躍している凄腕)