- 作者:エレン クレイジャズ,ハンヌ ライアニエミ,ダリル グレゴリイ,劉 慈欣,コリイ ドクトロウ,チャールズ ストロス,N・K ジェミシン,グレッグ イーガン,アレステア レナルズ
- 発売日: 2020/11/19
- メディア: 文庫
これまで刊行されてきた80年代、90年代海外SF傑作選はどちらも上・下巻だったのだが、今回は単巻。そのため、収録短篇数的には9篇と時代をまとめるには心細い数だが、2000年代という時代を切り取りながら、同時に終末系、脳科学系、宇宙SF、クトゥルフ✕SFと題材的にも広く、SFの醍醐味を十全に味わえる大満足な一冊に仕上がっている。多くはSFマガジンで一度訳出されているものだが、未訳の物も『三体』の劉慈欣「地火」を筆頭に3篇あり、それらもすべて素晴らしい出来だった。
2000年代というと、最大20年も前である。思えば遠くまできてしまったもので、今読むと時代性を感じさせる描写もあるが、むしろそれがおもしろい。冷戦のパロディだったり、インターネットに今よりも夢を持っていたり、9.11直後でテロへの恐怖がまだ色濃く残っていたり。そうした時代性を感じられるのも、年代別傑作選の醍醐味のひとつだろう。というわけで、全9篇について軽く紹介をいれていく。
ミセス・ゼノンのパラドックス
トップは初訳作のエレン・クレイジャズ「ミセス・ゼノンのパラドックス」。あまり邦訳のない作家でどんなもんかと読み始めてみれば、カフェで仕事や彼氏の他愛もない話をする二人の女性が、甘いブラウニーをどこまでも細かく分割していく日常と非日常が隣り合ったSFファンタジーの小品でトップにふさわしい軽やかさ。
懐かしき主人の声
続くのは、意識をテクノロジーによってエミュレートできるようになったポストヒューマン世界を描き出す長篇『量子怪盗』のハンヌ・ライアニエミによる「懐かしき主人の声」。遺伝的アルゴリズムを使って一万人の自分の複製を作り出したシモダ・タケシだったが、複製の一人の通報によって(複製違反の罪で)逮捕されてしまう。
だが、シモダには彼を慕う犬と猫の二匹の忠実なペットがいて、彼らは奪われたご主人さまを取り戻すために行動を開始する。犬と猫は人工太陽に照らされたポストヒューマン達の都市である倍速都市を訪れ、後にご主人さまを救い出すための遠大な計画の第一段階として、トップ・アーティストを目指してミュージックをやるのだ。きらめくような未来都市の描写に、不釣り合いな犬と猫と音楽が合わさった、ライアニエミらしい文章の豪華さと意味わからなさに満ちた作品である。
第二人称現在形
ダリル・グレゴリイ「第二人称現在形」は意識を扱った一篇。人間の意識は行動を起こそうと思った後に発生する、つまり意識は自分で決定したと思いこんでいるだけの置き物にすぎないことを示す実験がある。本作に出てくるドラッグ”ゼン”は、その意識の知覚を遅らせ、行動しているのに、本人の意識をトバせる薬だ。
物語は、そのドラッグを過剰に摂取し元あった意識を完全に消し飛ばしてしまった後に存在するわたしの語りで進行する。”わたし”があるのかを考えている”わたし”は一体なんなのかという自己に関する問いかけを、仏教も取り入れながら考えつつ、家族はその少女に対してどのように向き合うかが描かれていく。大好きな一篇だ。
地火
続く「地火」は『三体』劉慈欣による短篇。本書が初訳ではじめて読んだんだけどこれがめちゃくちゃおもしろい! 炭鉱での労働の果てに肺を患って亡くなった父親を持つ劉欣(リウ・シン)が、父のような死を炭鉱労働者にもたらさないために、テクノロジーを武器に立ち上がる。下層にある石炭を地下で可燃ガスに変え、これを天然ガスのように取り出すことで、圧倒的に効率化・坑道が不要になり、肺を悪くする労働者もいなくなるという画期的な技術を構築・提案するのだ。その技術的な詳細が劉慈欣らしい手付きで語られながら、同時に新しい技術がもたらす悲劇も描かれていく。
技術が社会を良い方向に変化させていく前向きさと、それが時には災厄をもたらすという、新しいテクノロジーの恐怖。その両面を描きながら、美しい明日をつかむために、代価を払ってでも前に進むんだという希望が描かれていく作品で、凄まじい勢いでテクノロジーによる変化を遂げていった中国と重ね合わせずにはいられない。
シスアドが世界を支配するとき
コリイ・ドクトロウの「シスアドが世界を支配するとき」は題名どおりにプログラマSF。世界各国で同時多発的にサイバーテロ、バイオテロ、核テロが勃発し一瞬で破滅状態になった世界で、攻撃の被害をほとんど無傷でやりすごしたサイバースペース分散共和国に集まってきた自由を愛し奮闘するシスアドたちの姿を描き出していく。
インターネットへの希望やGoogleへの信頼が描かれていて、正直本書の中で最も時代性を感じた。今書いたらこんな希望に満ち溢れた話にはならないだろうな。
コールダー・ウォー
チャールズ・ストロスの『コールダー・ウォー』は、米ソの冷戦に、もし次元を超えるような得体のしれない”なにか”が関与してきたとしたら──というSFホラー。
マッハ3で敵の領土上空を飛び回りながら、メガトン級の水爆を落とし、爆弾がなくなったら敵の頭上まで移動して、プルトニウムをぶちまけて最後まで損害を与える、こんなめちゃくちゃな兵器は一体何の為に必要なのか、何を殺すために生み出されたのか。徐々にこの世界の異質さが明らかになっていく過程がたまらない短篇だ。
可能性はゼロじゃない
三年連続でヒューゴー賞を受賞したバケモノ級の破滅SF三部作を生み出したN・K・ジェミシンによる「可能性はゼロじゃない」は、突如としてニューヨークで確率の低い事象──”奇跡”──が起こるようになった世界を描き出す、可能性SF。
奇跡の連発は事故が多発するような悪い側面もあるが、宝くじが当たりまくったり(即刻廃止された)、癌が寛解したり、エイズが治ったりと良い側面もある。癌患者が大挙してニューヨークへ押し寄せ、輸送車が入れなくなって自給自足の生活に近くなったりといった生活と社会の変化が丁寧に描かれていくのがおもしろい。
暗黒整数
グレッグ・イーガン「暗黒整数」は、90年代傑作選にも収録されているイーガンの「ルミナス」の続篇。もちろん単体で読める。この世界では、我々が暮らす宇宙とは別の数学体系を持つ世界が存在し、揺れ動く数学定理の証明を行うことによって別の世界を認識したり影響を与えるられる。これまでに一つの別の世界が観測されていて、サムと呼ばれる人物と通信も行えていたのだが、こちらの情報だけとられて向こうの世界の情報が何も教えてもらえない。その非対称性に危険を抱いたこちら側の世界は、相手に原理を知られていない計算兵器を有することにするのだが──という感じで、数学戦争とでもいうべき大規模な戦争が描かれていくことになる。
二つの世界の干渉は、通常の戦争のような形をとらない。基本的に計算資源による攻撃で、時に世界の数論自体が崩壊してしまう。相手の攻撃によって金融システムがおかしくなり、テレビやインターネット、固定電話が次々死に、世界中でジェット機が墜落する。この、「何がなんだかわからんが世界がめちゃくちゃになっていく」、そして「こっちも何がなんだかわからないがとにかく敵世界を攻撃していく」という情景がめちゃくちゃ凄くて、本作はイーガンの短篇の中でも特に好きなものだ。
ジーマ・ブルー
ラストは、Netflixの短篇SFドラマシリーズ『ラブ、デス&ロボット』で映像化もされたアレステア・レナルズ「ジーマ・ブルー」。惑星規模のでかいアート作品で評価されてきた芸術家ジーマ。彼が使う独特な青色はジーマ・ブルーと呼ばれて広く使われていたが、ある時ジャーナリストのキャリーは彼の邸宅に招かれ、貴重なインタビューをする機会を得る。身体を改造し宇宙空間でも活動でき、何百年もの間生きてきた芸術家による語りは、未来の芸術論的にもおもしろく、それがそのまま”ジーマ・ブルー”がなぜ生まれたのかという、ジーマの出生の秘密にも繋がっていく。
色鮮やかで美しい、ラストにふさわしい一篇だ。