基本読書

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寿命が短くなっていく国アメリカで何が起きているのか──『絶望死のアメリカ――資本主義がめざすべきもの』

アメリカでは今、絶望死が増えている。絶望死とは、アルコールや薬物依存による死亡、自殺の死因をまとめたもので、45歳から54歳の白人男女による絶望死は、90年には10万人中30人だったのが、17年には10万人中92人まで増えた。自殺率も、アルコール性疾患による死亡率も、薬物の過剰摂取による死亡率も増加している。

20世紀から21世紀にかけて、食糧事情も改善し医療の発展があったこともあって、死亡率は改善されてきた。アメリカでも、45〜54歳の白人が心臓病で死ぬリスクは、80年代までは年平均4%で落ちていた──が、90年代には2%に鈍化、00年代には1%にまで落ちて、10年代からは逆に上がり始めた。ここでは中年の白人に限定しているが、若年層の絶望死も増えており、さらには(死者の数が明確に増えているのが白人というだけで)、アメリカ人自体の平均寿命が3年連続で低下している(絶望死が増えている理由とは間接的な関係だが、20年は新型コロナの影響で40万人近くが死亡し、1年以上平均寿命が減るとみられている。現在の総死亡者数は47万)。

絶望死の内訳を細かくみていくと、死者が増えているのは4年制の大学に行っていない層であることがわかる。学士号を持たない層では、95年から15年の間に絶望死が10万人あたり37人から137人へと増えているが、学士号を持つ層では、そのリスクはほとんど変わらなかった。45〜54歳の白人死亡率は90年前半から一定を維持してきたが、実は学士号未満の白人は死亡率が25%増加していて、逆に学士号を持つ白人は40%も減少していた。大学進学の有無が絶望死のみならず死亡リスク全般を高めているのは明らかで、そこにはグローバル化による工場などの海外移転、仕事の自動化に伴う低学歴層の仕事の喪失、格差の蔓延など、多くの理由が関係してくる。

しかし、グローバル化や自動化の波を受けているのは、アメリカだけではない。それなのに、アメリカだけでやけに絶望死が増えている理由は存在するのだろうか。本書は、「アメリカだけで絶望死が増えている理由」を様々な側面から解明していこうとする一冊である。著者はノーベル経済学賞をとった、『大脱出』などの著作のあるアンガス・ディートン。アメリカが苦境の中にいるのは様々なノンフィクションや統計データからも見えてくるが、本書は「死亡率」という明確なデータでもって、アメリカ国内に存在する、学士号を持つ者と持たない者の間の断絶が明らかになっていく。

薬物の過剰摂取

絶望死の総数は、17年の時点で約16万人にものぼる。絶望死を構成するのは、アルコール、薬物過剰摂取、自殺の3つだと述べたが、最も多く人を殺し、現在も増えているのが薬物の過剰摂取だ。中でも多くの人を殺しているのはオピオイドで、これはアヘンやモルヒネといった天然の誘導体と同じ特性を持つ合成物であり、アメリカでは90年代後半から、疼痛の管理のために処方箋として莫大な数放出されていた。

17年には1万7029人が処方箋のオピオイドによって亡くなっていて、被害の3分の2は、学士号を持たないアメリカ人の間で起こっている。他の国でもオピオイドは用いられているが、通常は病院でがんや術後の痛みを和らげるために使われるのみで、開業医や歯科医による処方は少なく、慢性的な痛みの長期治療に使われることも多くない。なぜそれがアメリカだけで起こってしまったのかについてもいろいろな理由があるが、軽率に処方し続けた医師の存在、FDAによる穴だらけの承認プロセス、リスクを認識してなお儲けを追求した製薬会社の存在が関係しているとみられている。

医療制度

オピオイドの過剰摂取と関連して語るべきはアメリカの医療制度だ。アメリカはほかのどの国よりも医療に金をかけていて、世界最高クラスの病院や医師が存在するといわれているが、うまく運営されているとは言い難い。たとえば、他の国よりも平均余命が短いのに、医療に対する国民1人あたりの支出は圧倒的に高い。医療費支出が他国と比べて高いスイスと比べてもそれは顕著で、スイス人はアメリカ人よりも5.1年長く生きているが、医療費支出は一人当たり30%低い。アメリカ人は払った金額に相当する医療を受けていないといえるが、それははたしてどこからきているのか。

まず、アメリカで医療費が高くなる要因の一つは医師の給料だ。アメリカにおける医師の数は少なく、医療コスト全体の中で医師が占める割合はそう多くはないとはいえ、アメリカの医師はOECD加盟国の平均的な医師の給料の倍を稼いでいる。薬剤はアメリカでは先進諸国と比べて約3倍高額で、抗コレステロール薬クレストールはアメリカでは毎月86$かかるが、ドイツでは41$、オーストラリアでは9$。リウマチ性関節炎薬のヒュミラはアメリカでは月2505$、ドイツでは1749$、オーストラリアでは1243$。

インスリンも高騰していて、患者によっては月に1000$も払わなければならず(日本では1万円程度)、投薬治療を諦めるものもいるという。なぜこんなに高いのかといえば、インスリン分子の特許そのものはすでに失効しているが、製薬会社は薬剤に改善を加えることで特許期間が20年延長されることを利用して、少しずついじることで特許を維持しつづけている。それだけではなく、患者負担金1$につき製薬会社は2$の税控除が受けられるので、製薬会社は大規模な慈善組織を立ち上げ、患者の負担金を補助することで、薬の値段を釣り上げたままにしているのだ。

他にも、費用のかかる新しい手法や検査が登場するわりに、有効性に怪しいものが多い。イギリスでは規制機関があって、新薬や新手法を評価し、1ポンド費やすごとにどれくらい健康が増進されるのかを推定し、最低水準を満たしているかどうかをチェックするが、アメリカには存在しない。そんなものが存在したら、アメリカでは利益を直接おびやかされるため医療産業がその機関が死ぬまで反対するだろう、という。

コロナ禍におけるアメリカの医療システムの脆弱性と欠陥について書かれたティモシー・スナイダー『アメリカの病:パンデミックが暴く自由と連帯の危機』をはじめとして、医療制度のおかしさを指摘する本は数多く出ている。こうした要素は絶望死の直接的な引き金になっているわけではないものの、高額な医療費による生活の負担増は間接的に人々を死に追いやっているといえるだろう。

おわりに──希望か、絶望か

中毒者を増やすことで利益を増やす製薬会社、ロビー活動に莫大な金をかけることでより金持ちが優遇されていくシステムなど、本書の議論はみな資本主義の失敗について語っている。だが、本書の原題は『絶望の死と資本主義の未来』で、結論でも資本主義は改善していけるし、善をもたらすことができると楽観的に締めている。

未来に期待を持つのはいいんだけど、僕はまったくその論調には乗れなかった。解決策が見えていることと、それを実行に移すことができるかどうかは別問題だ。たとえば著者自身が「イギリスのような医療における薬や手法のチェック機関を作ろうとしても医療産業に潰されるだろう」と書いているように、本書の最後に書かれているような希望(提言として、格差を縮小させるための教育機会の拡大、最低賃金の穏やかな上昇、医療システムの改善、オピオイドの処方をより減らしていくことなどをあげている)を誰も実現できないことが絶望を深くしているのではないのか。

未来に希望が持てるかどうかはともかくとして(僕はただ絶望が深まっただけだ)、アメリカにおける分断が死亡率という明確なデータによって明らかにされていく過程はエキサイティングであった。近刊では、『アメリカの病:パンデミックが暴く自由と連帯の危機』と『ヒトはなぜ自殺するのか』と合わせておすすめしたい。

ヒトはなぜ自殺するのか:死に向かう心の科学

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