エモエモ往復書簡時間SF
本作がぱっと見で凄いのは、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、英国SF協会賞と賞的な評価が異様に高いところにある。賞の評価がどれほど高かろうが作品の中身の質の保証にはならないわけだけれども、それなりに期待して読み始めたら、これがたしかにおもしろかった。あらすじとしては、《エージェンシー》と《ガーデン》という二大勢力が時空の覇権をかけて争う──といった感じで、何の新鮮味もない。
だが、実際には本作はそれぞれの組織に属するレッドとブルーという二人の女性中心の物語であり(それ以外の登場人物はほとんどいない)、物語のほとんどは、この二人の手紙のやりとりを通して進行していくのだ。小説には昔から、登場人物の書簡を連ねて物語を進行させる書簡体小説と呼ばれるジャンルがあるが、本作もその流れに連なる一冊といえる。で、この二人はライバル組織にいるエース工作員的存在なので、気になるあの娘に手紙を投函! みたいな気軽なやりとりができるわけではない。
最初は、《ガーデン》に所属するブルーが、戦場で見かけた高い能力を持つ敵方の工作員であるレッドに宛てた手紙を(戦闘中の戦場に)残していくのだが、レッドはその手紙を読み、次はブルーに対して返信の手紙を書き始める(基本は時代を隔てた戦場に残していくことになる)。敵同士なので最初こそ親しいやり取りでもないのだが、幾度もの戦場を超えながらやりとりが続くうちに、その内容は次第に親密さを増し、お互いの好きな本や認識、思想といったことまでもを話し合うようになっていく。
その手紙は非常に情熱的で、最初の一通からして感情をぶちまけるようにして書かれている。一言で言えば、エモエモ往復書簡時間SFなのだ。たとえば、下記はブルーからレッドに宛てられた最初の一通の一部だが、この時点ではまだお互いの存在を好敵手として認識しているだけにも関わらず、すでに情熱的な筆致で書かれている。初期の二人にとって、手紙は相手の内部へと深く踏み入るための一つの手段だった。
でも、もうひとつ、どうしても言っておかなければならないことがある。あなたが、渦を巻く炎に舐められながら、この手紙を読んでいると思うと、嬉しくてたまらなくなってしまうということ。あなたの目はもうあと戻りできない。この手紙を紙の上だけにとどめておくことはもうできない。あなたには、この手紙を取り込んで、記憶の中に保持しなければならない。この手紙を思い出すには、あなたの思考の中にある〝私の存在〟を、水に映った太陽の光のようにあなたの思考に深く絡みついた私を、捜さなければならない。この手紙のことを上司に報告するには、自分がすでに侵入されてしまったことを、この不運きわまりない日の損耗人員数がひとつ増えたということを、認めなくてはならない。
この手紙を受けてレッドはレッドで返信を書くわけだが、往復書簡の合間合間で、二人が実際に《エージェンシー》や《ガーデン》でどのような仕事を行っているのか、この世界がどうなっているのかといった背景が明かされていく。とはいえ、これはカードゲームにおける世界のイメージを伝えるフレーバー・テキストのような塩梅だ。
それ自体が何か物語的に意味を持ち、細かく理屈や組織背景を説明するものというよりも、手紙が豊富な比喩で彩られているように、さまざまな詩や文学、歴史の引用に満ち、韻を踏み、詩的にイマジネーションを広げていくために機能している。
《エージェンシー》と《ガーデン》
とはいえ基本となるところだけ少し紹介しておくと、《エージェンシー》側はテクとメカのディストピア、《ガーデン》は蔓植物とミツバチの巣箱でいっぱいの妖精世界と(半ば冗談めかして)表現されている。エージェンシーは各時代、各世界に工作員を送り込み自分たちが支配する世界を作り上げようとする典型的な悪の組織で、ガーデンはだいたい同じことをやっていると思うのだが、過去に自分たちの種を蒔き、それを注意深く育てていくことで自分たちのシステムを成長させると説明される。
人間が人間のまま工作員になるわけではなく、エージェンシーは基本的には身体は自由に換装可能で、どんな心と体にもなれる。ポッドで育ち、基本的な知識は瞬時に与えられ、工作員のほとんどはゲル槽から出ることもない。一方のガーデンも身体が自由になるのは同じようだが、もっと生物に近い、狼やミツバチといった形態をとる(ことがある)ようだ──と、まあこういった情報が書簡や二人の仕事が通して明かされていくわけである。手紙を通して、飢えを感じるのか? 孤独だったのか? 夢は見るのか? などなど、お互いのパーソナルな部分を知っていくのは、余人に見られないことを前提とした、「手紙」というメディアが持つおもしろさだろう。
手紙のおもしろさが存分に詰め込まれている
敵対する工作員同士でかんたんに手紙をやりとりすることもできないから、恥ずかしい内容を送った後、しばらくどのような返信がくるのかと悶々としながら時間を過ごす。任務で様々な時代に飛び回り続けるから、手紙がどのような形で残されているのかも時代によって大きく異なっている──など、「返信がすぐにはこない」「既読通知もない」といった制約も含めた、「手紙」のおもしろさが「時間」要素と絡めながら詰め込まれているのも本作の良い点で、それは本文中でも触れられている。
手紙には一種のタイムトラベル感がある。そう思わない? 私は、私のささやかなジョークに笑っているあなたを想像する。うめき声を上げるあなたを想像する。私の言葉を放り投げてしまうあなたを想像する。あなたはまだそこにいる? もしかして、私、からっぽの空気とアザラシの死骸にたかっているハエに語りかけているんじゃない? あなたは私を五年間、放っておくこともできる。二度と戻ってこないことだってありうる。どうなるかわからないままに、私はこの手紙を最後まで書かなきゃいけない。
おわりに
もちろん、敵対する組織のトップ工作員同士が永遠に仲良しこよしで手紙のやりとりを続けられる(物語的な)道理はないわけで、次第に二人をめぐる状況は雲行きが怪しくなってくるのだが──といったところで、クライマックスへと流れ込んでいく。最初に書いたように中篇程度の分量で、翻訳の巧みさも相まってサクッと読めるので、ぜひ気軽に話題作として手にとって欲しい。