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科学とSFの相互発展の歴史を、小説、映画、ドラマなど多方面から描き出す──『サイエンス・フィクション大全 映画、文学、芸術で描かれたSFの世界』

SF、サイエンス・フィクションとはサイエンスとついているように基本的には科学をテーマ・取り扱ったフィクションのことを指す(科学を扱わなくてもSFに分類されるが、今回は細かいことはどうでもいい)が、科学を扱う以上その内容は現実の科学の発展に影響を受ける。たとえば、火星や月が明確に観測される以前は人々の空走の中ではそこに生命が満ちているフィクションがよく描かれていたが、鮮明な画像、観測結果が出回るにつれて火星や月に生物がいる物語は描かれなくなっていった。

一方で、SFは影響を受けるばかりではなく、現実の科学にも影響を与えてきた。多くのロボット学者は昔はアトム、今はドラえもんに影響を受けてその道を志し、琥珀の中の蚊が吸った血から恐竜の復元が試みられた物語『ジュラシック・パーク』の大ヒット後は、多くの学者が「われわれもやってみよう」とその道に乗り出した。

SFで描かれたものが現実製品や思想に影響を与えた例も、例を上げ始めたらきりがない(たとえばAmazon創業者のジェフ・ベゾスは大のSF好きで、AmazonEchoも『スタートレック』からの影響を受けている)──、というわけで、ちと前置きが長くなったが本書『サイエンス・フィクション大全』はそうした現実の科学とSFの相互発展の歴史を、「人間と機械」、「宇宙の旅」、「コミュニケーションと言語」、「エイリアンと疎外感」、「不安と希望」の5テーマに分けて描き出していく一冊である。

もともとは2022年10月からロンドンの科学博物館で開催された『サイエンス・フィクション』展のガイドブックとして刊行されたもので、豊富なイラストや図版、世界中のSF作家たちへのインタビューによって彩られているのも素晴らしい。

 サイエンスとサイエンス・フィクションは絶えず誘発し合っている。サイエンス・フィクションは未来を垣間見るツールとなり、科学者たちはそこに描かれている社会時評、芸術、風刺に刺激を受け、一方、SF作家たちは科学研究所における最先端の取り組みに「この発見は人類をどこに導いていくのだろう?」と想像を膨らませる。(……)
 このサイエンスとサイエンス・フィクションの共生関係が、「未来を鼓舞する」というミッションを掲げて博物館がサイエンス・フィクションの展示を熱心に開催する十分な理由となっている。

僕は今年の3月に『SF超入門』というノンフィクションをダイヤモンドから刊行したが、最初に書いたバージョンには「現実の科学とSFの相互発展の歴史」と題してこの『サイエンス・フィクション大全』と似たようなテーマで書いた文章があった。

結局それはボツになったのだが、今思うと科学史の専門家でもなければこれまで本も書いたことがない人間がいきなり書くには鳥人間コンテストの機体で太陽を目指すかのような所業だったように思う。今ではボツになってほっとしているのだが、本書(『サイエンス・フィクション大全』)はその僕が目指して諦めた「科学とSFの相互発展の歴史」をかなり高いレベルで実現してくれているので、とても嬉しくなった。

本書が取り扱っているのは小説だけでなく映画、ドラマも含めて幅広いが、それを可能にしているのも複数人の専門家で執筆しているからだ。

具体的な内容紹介

具体的な内容に関しては歴史の話なのであまりどこかをピックアップする意味もないのだが、たとえば最初の「人間と機械」ではロボット・機械人間・人造人間の歴史を描き出していく。世界で最初のSF小説といわれることも多いメアリー・シェリーによる『フランケンシュタイン(1818)』からはじまって(この作品にはイタリアの解剖学者ルイージ・ガルヴァーニによる電気と筋肉の運動に冠する実験の影響がある)、各時代のSFが何を問いかけてきたのかが描き出されている。

ジャネット・ウィンターソンの小説『フランキスシュタイン──ある愛の物語』(2019)は『フランケンシュタイン』が取り上げているテーマを、現代のロボット工学やAI研究に関連する問題と結びつけているが、そこで問われているのは「われわれの在り方の拡張」についてのテーマだ。ジェンダーが可変、あるいはどちらの性でもない状態が選択できるようになったら人々はどのような反応を返すのか。また、体の一部を機械に置き換えていったとき、人間と非人間の境目はどこにあるのか。医学的治療と人体強化の境界線(たとえば強化は禁止だ、となったとして、どこからどこまでが治療でどこからが強化とみなされるのか?)が、幅広く問いかけられている。

人体の改造を人間の機能を回復させるためではなく、新しい環境への適応のために用いるSF作品も多い。代表的なのはブルース・スターリングの作品で、〈機械主義者/生体工作者〉シリーズでは、宇宙に移り住んだ人類が体を機械化して延命する〈機械主義者〉と遺伝子工学によって改造し適応する〈生体工作者〉の二派に分かれて対立していて──、とSFが将来問題になりうる問いをどう描き出していて、今に繋がっているのかも無数の作品を通して紹介している(このへんは『SF超入門』と近い)。

物語のオチまで晒しているようなものはほとんどないので、本書はSFのガイドブック的にも使うことができるだろう。

『ゴジラ』など日本のSFも取り上げられている。引用元⇛ https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000288.000084584.html

インタビューも充実

個人的におもしろかったのはSF作家たちへのインタビューで、みんなに「あなたにとってのSFの定義は?」など色々なことを聞いている。「SFの定義みたいな面倒くさいことは研究者や批評家が考えていればいいさ、自分は書くのみ」と答える人も多いが、中にはバシッと答える人もいて、その人のSF観がみえておもしろい。

先日『未来省』が本邦で刊行されたキム・スタンリー・ロビンスンはSFとは自分にとって、『未来を舞台にした物語すべてです』といい、その中にはノンフィクションどころか株価予想も、人口統計学者による予測も含まれる。未来が関わるものは全部SFなのだ。彼の小説『未来省』はほぼノンフィクションともいえる事実の羅列のパートが多数入る小説なのだが、これもそうした思想から生まれた作品なのだろう。

日本ではたぶん訳書の出ていないテイド・トンプソン(精神科医としても活躍しているSF作家)へのインタビューでは、知らなかった彼の作品自体へも興味をもたせてもらった。彼の『遠い天国の光』という作品では、人工休眠ポッドが重要な役割を果たすが、彼は医師でもあるので既存の冬眠ポッドの都合の良さに不満をいだいていたという。たとえば凍らせてそのまま瞬時に戻せるわけがない(細胞が壊れてしまう)から、彼の作品のポッドでは人体に必要なエネルギーを補給し排出もさせ、長時間の睡眠から起きるときには時間がかかるようにしたなど、リアリティの演出がおもしろい。

また、彼はハードSF(科学的な考証にできるだけこだわったSFのこと)については『”ハードSF”という言葉を耳にすると、その時点でもう引いてしまいます。間違っている場合があるというのではなく、”ハードSF”は常に間違っているからです。』とハードな見解を示し、まず科学についての彼の考えが語られたりと、こんなにおもしろい作家がいたのか! と気づける良いインタビューが多い。

おわりに

現実とはただ起こったことのみではなく、「起こりそうで起こらなかったこと」や「起こりそうではないが、ただ想像されたこと」、「起こりそうだという未来予測」など様々な構成要素から成立しているように思う。それらはすべて、「現実で起こったことではない」かもしれないが、多かれ少なかれ現実(と未来)に影響を与えていくからだ。本書は様々な作品を通して、そうした「幅のある現実」を描き出している。

単に図版やイラストをみていくだけでも随分楽しい本だし、発想の宝庫ともいえる一冊なので、ちとお高めな上にでかい本なのだけど(電子書籍が出てないんだよねこれ)、今すぐ読まずともおすすめしたい。