基本読書

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六隻の海賊船をたばね、世界最大級の船を襲った男の逸話──『世界を変えた「海賊」の物語 海賊王ヘンリー・エヴリ―とグローバル資本主義の誕生』

歴史上の海賊と聞いて多くの人が思い浮かべるのはおそらくフランシス・ドレークとか、黒ひげの名で知られるエドワード・ティーチとかだと思うが、彼らとほぼ同時代の海賊に、知名度は劣るもののヘンリー・エヴリーという英国の大海賊がいた。

本書『世界を変えた「海賊」の物語』はこの人物が何をやったのか、そして、彼の行いがどのように世界を変えたのかをつづる海賊ノンフィクションである。海賊を扱ったノンフィクションには『海賊の経済学』や『海賊と資本主義 国家の周縁から絶えず世界を刷新してきたものたち』といっためちゃおもしろい本が揃っていて、個人的に海賊本にハズレ無し説を提唱しているのだが、本書もまたその例に漏れていない。

具体的にエヴリーが何をなしたのかといえば、シンプルに言えば歴史的な掠奪を成功させた、というあたりになる。エヴリーは、もともとチャールズ2世号という船の航海士として働いていたのだが、賃金が未払いのままスペイン洋上で放置され、仲間と共に反乱。チャールズ号を強奪し、海賊になってしまう。と、それぐらいなら普通の話だが、エヴリーはその後各地の船を襲い、仲間をどんどん増やしながら、インドから聖地メッカへと向かう、財宝を積んだ巨大な巡礼船団への襲撃を成功させる。

この巡礼船団を襲撃する時の流れも凄けりゃ、巡礼船団が積んでいた財宝と女たちも凄くて、それが故に世界的な紛争の火種をつけるきっかけになるのだが、以下でもう少し詳しく紹介してみよう。とにかく、歴史上の出来事とは思えないようなことが次々と起こるのである。

海賊になるまで

エヴリーの幼少期は記録が残されておらず、残っているのはチャールズ号に一等航海士として乗り込んで以降のことである。貿易の他、カリブ海域の沈没船を引き上げるために出港したチャールズ号だったが、スペインの港町で謎の停船を強いられ、2週間の予定が5週間も滞在し、しかも賃金が支払われていなかった。

乗員の妻たちが雇い主にたいして訴えかけても、彼らの身柄はスペインに移ったという返答が帰ってくるだけで、乗組員たちは奴隷として売られるのではないかと不安が高まり最終的にエヴリーは仲間をひきつれてチャールズ号を強奪。船の名前をファンシー号に改名して海賊船へと転身してしまう。彼についてきた船員は80名にのぼる。

海賊団が結成される。

エヴリーはその後、ポルトガル、ジブラルタル海峡、現在のモロッコなどを経由して、三隻のイギリス船を襲って補給するのだが、彼らが当面の目的に見据えたのは、インド洋方面へと出立し、メッカ巡礼に向かう宝物船を襲うことだった。

当時、インドのムガル帝国は凄まじい富を持っていて、巡礼に向かう時は宝を山のように積んだ船で大移動を行っていた。そのことは海賊たちに知れ渡っていたから、巡礼の船は船団を組み、旗艦には大量の兵士と大砲が積まれていた。皇帝の所有船であるガンズウェイ号は、兵士400人に800人の巡礼者を載せ、80門の大砲を持った世界最大級の船で、海賊が一隻、数十人で気軽に襲えるような船ではない。

それを襲おうとするからにはそれなりの準備が必要とされる。エヴリーも、各地で私掠船などとの戦いや、採用活動を繰り返して仲間を数十人単位で増やし、一年ほどの時間をかけて80人から150人超えの人員を抱えることになる。無論、ガンズウェイ号と渡り合えるような戦力ではない。それでも彼らがエヴリーらが巡礼船を襲おうとインド洋のアデン湾を訪れてみると、同じ目的の私掠船が続々と集まってきたという。

集まってきた海賊船は、その数6隻、乗組員合わせて400人。推測値だが、当時の7大洋にいた海賊の約半分が集まっていたのではないかという。争いになってもおかしくなりそうなところだが、そもそもが相手は世界最大級の船団と兵士なのである。分け前も足りないということはなく、人手は一人でも多いほうがいい、と6隻でまさかの同盟が組まれることになる。そして、エヴリーが後に海賊王と呼ばれるのは、専業海賊歴1年程度のビギナーにも関わらず、ここでリーダーに据えられたからなのである。

 驚くべきは、手を結ぶ際に六人が選んだリーダーだった。理屈から言えば、トーマス・テューが最有力候補だった。エヴリーはもっぱらアフリカ西岸沖で活動していたのだし、誰がどう見ても専業海賊としては新米だった。かたやテューは、まさに六隻が航行している海域で歴史に刻まれるほどの掠奪を成功させたばかりだった。ところがこのふたりや手下たちのあいだに何か響き合うものがあったのか、結果は別の形をとったのだ。「全員が手を組むことになって」とフィリップ・ミドルトンは証言する。「エヴリー船長が指揮をとるって話になりました」
 ここにいたる一二カ月を、ヘンリー・エヴリーは自分の部下を死なせることも、船を拿捕されることもなくしのいできた。それも高速のボートに毛が生えた程度の船と、巧みな計略だけで。
 でもいまや、彼は大艦隊を手にしている。

海賊のルール

とはいえどう考えても勝てそうにないのだが、エヴリーは果敢な戦略と決断によって見事巡礼船に勝利し、一生遊んで困らないほどの財宝を手に入れてみせる。しかも、襲われたガンズウェイ号には当時の船としては例外的なことに、巡礼に向かう何十人もの女性──中には皇帝の孫娘もいた──がおり、海賊はレイプを繰り返した。

どうやってエヴリーらがガンズウェイ号を襲い、勝利したのかは読んで確かめてもらうとして、本書のおもしろさはエヴリーの逸話だけでなく、当時の海賊がどのような生活を送りルールを持っていたのか、という描写にもある。たとえば、海賊船が手に入れた財宝はどうやって分けられるのか? といえば以外なことにかなり平等主義がとられていて、エヴリーたちの例でいえば、エヴリーの取り分は2人分、他の乗組員は1人分というごくごくシンプルなものだった。ほぼほぼ平等な組織なのである。

エヴリーらから少し後の時代の海賊が残した文書によると、海賊船の平等さはそれだけにとどまらず、たとえば重大事項の決定に際しては一人一票の権利を有し投票を行っていたし、勤務中に重症を負った場合には共同基金から保証金が支払われるなど、保険の仕組みがすでに用いられたりもしていた。海賊は、アメリカ革命やフランス革命の一世紀近く前に民主主義の原則をルールとして持っていたのだ。

おわりに

エヴリーたちは巡礼船を襲い、女性たちをレイプして満足しすべては(エヴリーたちにとっては)うまくいきました、めでたしめでたしで終わるわけもない。ムガル帝国の怒りはイギリス政府と東インド会社へと向き、イギリスはヘンリー・エヴリーに懸賞金をつけ、罰を下すべき敵と断定を下すことで関係修復をはかろうとする。

たかだか数百人の海賊が、国家間の関係や東インド会社の立ち位置を大きく揺るがすまでに至ったのである。いつの時代にも世界には変化が速く・大きく、ルールの整備が間に合っていない領域があり(今だとインターネットとか)、そうした善悪もルールも曖昧な領域を「海賊」が荒らし回ることでルールの整備が行われる。エヴリーは結局誰にも捕まることなく歴史から消えていくのだが、幼少期と晩年の人生に空白が多いことも含め、物語の主人公にぴったりな人物だよなあと思わずにはいられなかった。