基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

能力主義信仰を問い直す『実力も運のうち』から、物理学に美しさは必要か? と批判的に切り込む『数学に魅せられて、科学を見失う』までいろいろ紹介!

はじめに

本の雑誌に書いているノンフィクションガイド連載の原稿(2021年6月)を転載します。毎月書いていると今回はけっこうしっかりしてるな、とか今回は(公言はしないけど)薄味だな、とかいろいろ思うところがあるんですが、この号は密度が濃い月。

ちなみに、2021年09月号が今最新の号ですが、こちらでは海外ノンフィクション特集ということで、僕はこの連載に加えて21世紀の海外ノンフィクションの中からベスト的な50作を選んでみよう!(書評家の東えりかさん、編集部の杉江由次さん、僕の3人で) という座談会に出てその模様が収録されています。この連載でも僕は取り上げるのはほとんど海外ノンフィクションなので個人的にもかなり好きな号です。

50作は多いっちゃ多いけど少ないっちゃ少ないので、網羅的で完璧なリストを目指すのではなく(そんなのは不可能)、世代の異なる3人がそれぞれ思い出深いノンフィクションを入れていった、という感じで、そのセレクションの揺れ動き方、話の展開がけっこうおもしろいかと思います。というわけで6月号の原稿をどうぞ。

本の雑誌 2021年6月号掲載

イギリスがEUから離脱し、米大統領選ではバイデンとトランプが接戦を繰り広げる昨今、政治や社会をめぐる状況で分断が一つのキーワードになっている。『これからの「正義」の話をしよう』のマイケル・サンデル最新作『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(鬼澤忍訳/早川書房)は、そうした分断の原因を「高い学歴と能力を持った人間が裕福になることは正しい」という行き過ぎた能力主義的価値観の蔓延に求め、その考えがいかに間違っているかを問いかけていく一冊である。

たとえば、良い大学に入ることは平等に与えられた機会であり、努力すれば誰にでも叶えられると思われている。だが、アメリカの八つの名門私立大学の学生の三分の二は所得規模で上位二〇%の家庭の出身であることからわかるように、実際は学歴も生まれもったものの比重が大きい。良い学歴と高い収入を得た人々は、自分の成功は努力の結果であり、成功できなかった人々は努力しなかったからだと思いたがる。逆に、努力しているのに成功できないと感じる人びとは、自分たちを見下すエリートに怒りをあらわにする。それこそがいま社会で起こっている分断の要因だというのだ。

本書では学歴の不平等性だけでなく、能力主義信仰の蔓延による格差の増大と憎悪の連鎖を、どのようにしたら乗り越えられるのか、という大きな問いを展開していく。まさにいま読みたかった本であり、サンデルの時代を捉えたテーマ設定のうまさには、毎回驚かされるばかりだ。

続けて紹介したいのは、ザビーネ・ホッセンフェルダー『数学に魅せられて、科学を見失う──物理学と「美しさ」の罠』(吉田三知世訳/みすず書房)。物理学者の多くは、母なる自然は美しく、シンプルなものであってほしい、という願望を持っている。特に具体的な実験の難しい素粒子物理学などの分野においては、研究は理論先行になり、物理学者たちは研究の手がかりとして、自然さや美しさを使うようになる。

その結果、遠く離れた場所同士をつなぐワームホールや、この宇宙は無限に多くの宇宙のひとつでしかないとする「多宇宙」論が展開されてきた。こうした概念は美しいが、ほとんどは検証不可能である。著者は、物理学の基礎の中に偏在している自然さや美しさを偏重する考えは、我々にまともな成果をもたらしてこなかったと、現代の物理学者を厳しく批判してみせる。数学や物理学における美しさとは何かを問う科学哲学の本でもあり、数式は出てこないので、数学オンチにも安心。これを一冊読んでおくと、現代の素粒子物理学をめぐる実験の意味合いなどがよくわかるようになる。

物理学続きで紹介したいのが、世界的に著名な理論物理学者であり、ポピュラー・サイエンス本の書き手としても知られる大栗博司による『探究する精神職業としての基礎科学』(幻冬舎新書)。著者の自伝的な一冊で、幼少期から数学や物理学との関わりが語られ、最終的には基礎科学研究の意義に繋がっていく構成だ。これを読むと、やはりトップオブトップの研究者は幼少期からぶっ飛んでいることがよくわかる。

たとえば、小学五年生の頃に、習ったばかりの三角形の性質を使ってビルの展望レストランから見える情報だけで地平線までの距離を正確に割り出してみたり、とにかく数学への慣れ親しみ方が違う。極まった才能のまわりには優れた人々が集まってくるもので、様々な研究者たちとの出会いと化学反応の物語としてもおもしろかった。

中国作家劉慈欣によるSF小説『三体』三部作が本邦でも二〇万部を突破し大人気だが、この作品では、「三体問題」と呼ばれる現実に存在する物理学の難問が大きな役割を果たしている。浅田秀樹『三体問題 天才たちを悩ませた400年の未解決問題』(ブルーバックス)はまさにその解説を行ってくれる一冊だ。三体問題とは、重力が相互作用する天体が三つある場合、その運動は予測できるのか?を問うもので、天体が二つまでのケースではきちんと解けるのだが、三つの場合途端に計算が困難になり、未解決問題になってしまう。なぜそれが難しいのかが数式多めで語られていくので難易度自体は高めだが、これを読めば『三体』もより楽しめるようになるだろう。話を文系に戻すと、SFからビブリオバトルをテーマにした青春物まで、多様なジャンルで活躍する作家山本弘による『創作講座 料理を作るように小説を書こう』(東京創元社)は、小説を書くことを料理にたとえながら解説する創作指南本。キャリアの長い著者の指南だけあって、性格などの設定を箇条書きにしたらキャラクターは死ぬ(人間はいくつもの矛盾した側面を抱えているものだから)など、よく言われる手法ではなく、自作の体験談をベースに有効な手法を語っていくので、説得力が違う。最後に、同じく経験豊富なベテランがノンフィクションの極意を開陳したのがジョン・マクフィー『ピュリツァー賞作家が明かす ノンフィクションの技法』(栗原泉訳/白水社)。一冊の本を書き上げる方法だけではなく、雑誌の記事をどう仕上げるかにまで触れられている。著者が書いてきた本は、人物伝『ボイドン校長物語』から自然と人の営みを描き出す『アラスカ原野行』まで様々だが、構成を時系列順にするかテーマ中心にするか。書き出しが思いつかない時にどうしたらいいのか。取材時に相手の信用を得る方法とメモの技術など、現場の中で叩き上げられた具体的な手法が展開されていく。エピソードも豊富で、これ自体が魅力的なノンフィクションだ。