基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ほとんどの人は本質的に善良であると、強力に性善説を推し進める一冊──『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章』

この『Humankind』は、オランダで25万部以上の部数を重ね、『サピエンス全史』のハラリにも絶賛され対談をし、ピケティに次ぐ欧州の知性などと呼ばれる、オランダの若手寄りの(1988年生まれ)作家、ルトガー・ブレグマンの話題作である。

この本、書名だけだと胡散臭い宗教書にしか見えず、話題書というだけで手にとったのだけど、展開しているのはなかなか過激な主張だ。それは、『ほとんどの人は本質的にかなり善良だ』というもので、ほとんどの人とかかなりとかちょっと微妙な修飾語がついていてそこはかとなく不安にさせるが、本書はなぜそんなことが主張できるのかを、さまざまな実験・研究・歴史の事例から見ていくことになる。

それが過激な主張と思えるのは、人間が本質的に善良とは実感できないからだろう。インターネットを見れば、すぐに他者を口汚く罵っている人間が見つかる。ニュースを開けばナイフで誰かを傷つけて逃走中だとか、どこかの軍がクーデターを起こしたとか、とにかくろくなニュースが聞こえてこない。そもそも、歴史を振り返ればバカみてえに人と人が殺し合っているのだから、善良とはとてもいえないように思う。

だが、現実的には多くの人は利害関係のない人に親切にされた記憶があるだろう。現実のタイタニック号では、望みがないとわかっていながらも人々が努力をやめなかったと語られている。折りたたみ式ボートを下ろすためにロープを切断し、犬を檻から逃し、郵便を運び出し、機関士は沈没する最後の瞬間まで船の灯りを灯そうと奮闘していた──全員が、自分を救うことができないとわかっていても、何かを、誰かを救おうとしていたのだ。世界貿易センタービルでも、脱出する最後のエレベータの場所を若者に譲った老人は、「わたしはもう十分人生を生きたから」と語ったという。

こうした利他心を発揮した人々の逸話はいくらでも引っ張ってくることができる。もちろん、それは一部の例外的な人の行動だったのかもしれない──が、本書が解き明かしていくのは、それは決して例外ではないという事実である。

 人間は本質的に利己的で攻撃的で、すぐパニックを起こす、という根強い神話がある。オランダ生まれの生物学者フランス・ドゥ・ヴァールはこの神話を「ベニヤ説」と呼んで批判している。「人間の道徳性は、薄いベニヤ板のようなものであり、少々の衝撃で容易に破れる」という考え方だ。真実は、逆である。災難が降りかかった時、つまり爆弾が落ちてきたり、船が沈みそうになったりした時こそ、人は最高の自分になるのだ。

スタンフォード監獄実験の嘘

ほとんどの人間は善であるというのはいいけど、どうやってそれを証明するの? と疑問に思うかもしれないが、ひとつの方法として、これまで性悪説を肯定するような実験や研究、事例にたいする反証をあげることで成し遂げようとしている。

たとえば、否定されていく実験で有名なものの一つに、スタンフォード監獄実験がある。これは1971年に男子大学生24人を使った実験で、彼らを看守と囚人の二組にわけ、心理学部の地下室に監禁し、疑似体験を数日間にわたって行わせる。学生らは普通の学生らなので何も起こらないかと思いきや、看守は囚人に対して数字で呼ぶようになり、丸裸にしたり、シラミ退治スプレーをかけたり、睡眠を奪い、とひどい虐待を与えはじめ、予定よりも短い6日間で実験は打ち切られてしまった。

この実験は、普通の人も看守のような役割や立場を与えれば、行動に影響が出て凶悪な側面をみせることを示したとして有名になった。だが、近年この実験はまるっきりの捏造だったという検証結果が出てきている。たとえば、この実験では看守は自発的にサディズムを発揮し虐待したかのように語られてきたが、この実験の考案・実施者であるジンバルドは、事前に看守らと打ち合わせをして、囚人に恐怖心を与え欲求不満を生み出すために、あれをしろこれをしろと細かく指示を出していた。

それも、大半の看守役は指示にただ従ったわけではなくて、3分の2は参加を拒み、3分の1は明らかに囚人に対して親切であったという。結局それでも被験者の大半がやり通したのは、一日あたりの報酬が高かったからだ。ずさんで意味のない実験である。

ミルグラムの電気ショック実験、傍観者効果

もうひとつ有名どころとしては、ミルグラムの電気ショック実験がある。これは、上の立場の人間から命じられれば、絶叫を上げるような電気ショックを流すボタンであっても65%が感電死レベルまで押すことを示した実験として有名だが、そもそもそんな異常な実験を頭から信じ込んで実施する人間がどれぐらいいるのだろうか?

実験では被験者に実施後アンケートをとっていて、その中の「この状況をどれだけ信じられると思いましたか?」という質問によれば、本当に電気ショックが流れていると思っていたのは56%に過ぎなかったことがわかった(ミルグラムはそのアンケート結果を10年後に本に書くまで公表しなかった)。そのうえ、電気ショックを本物と思った人の大半は、スイッチを押すのをやめていた。『被験者のほぼ半数が、この設定を見せかけだと思っていたのなら、ミルグラムの研究のいったい何が、真実として残るのだろう。ミルグラムは表向きには、自分の発見は「人間の本性の深遠で不穏な真実」を明らかにしたと述べた。だが裏では、彼自身、納得していなかった。』*1

他にも、誰かが苦しんでいたり困っている時、自分以外にたくさんの人がいると率先して行動を起こさない「傍観者効果」も、近年のメタ分析によれば実態は異なることがわかってきた。緊急事態が命に関わるもので、傍観者が話せる状況にあれば、むしろ人が救助に行く確率はあがる。乱闘、レイプ、殺人未遂などが録画された1000件を超す監視カメラ映像の分析によると、90%のケースで人は人を助けるのだという。

そうはいっても戦争はあるじゃろがい

個別の実験をいくら否定しようが、そうはいっても戦争はあるじゃろがい!! と思いながら読んでいたのだが、そもそもいつから戦争ははじまったのか? という歴史的経緯の話や、「戦場の兵士の大部分は敵を射撃しない」という日本でも比較的な有名な説を中心に、人が本来非暴力的な存在であることを説明していく。

「戦場の兵士の大部分は敵を射撃しない」というのは、マーシャルという兵士が、仲間への聞き取りを通して「100人のうち平均15人から20人しか自分の武器を使っていなかった」とする主張からきているが、マーシャルが行ったとされるインタビューの数が講演ごとにバラバラだったり、そもそも誇張癖があったとかで、捏造だったのではという指摘が出てきており、データ的には怪しいものとされている。

なのでマーシャルの説を持論の中心部に据えて扱うのは厳しいな……と思いながら読んでいたのだが、近年はマーシャルの説を支持する後続の研究もいくつか出てきているようで、本書でも著者がこの説を正しいと信じる根拠として紹介されている。*2

おわりに──納得はしてない

と、肯定的に書いてきたが、実際には僕は「ほとんどの人は本質的にかなり善良だ」という本書の主張にも、その議論の進め方にも否定的である。もちろん人間は善良な側面が発揮される機会は多いのだろう。だが、それは「相手が目に見える範囲にいるとき」など状況が整った時の話であって、状況が異なれば容易く爆撃の指示を出したりといった残虐な行動に出れるのだから、そりゃ本質的に善良とはいえんだろ*3

あと、議論の進め方については、主張に都合のいい事例ばかりずらずらと並べたてて大量の都合の悪い事例をまるごとシカトとしているようにみえるのもイマイチである*4。主張できるとしたら、「人間は特定条件下では善良な側面が出る傾向にある」というぐらいで、結論的にも「はなから人間の本性は悪と決めつけず、善良な側面が出やすくなるようにみんなで協力していきましょう」あたりがせいぜいなのではないか。本書の末尾に記されている10の提言(疑いを抱いた時には最善を想定しようとか、ウィン・ウィンのシナリオで考えようとか)は、ノリ的にはそんな感じだけど。

とはいえ、不幸だったり恐ろしいニュースの方が注意を引きつけるから、こうした人間の本来存在している善性に注目が集まりづらく、人は悪であるという主張がまかり通ってしまうということに対する危機感自体には同意するので、本書も主張には納得できずともおもしろくはあった。ここで紹介したのは上巻の一部の内容にすぎず、下巻ではもっと広範な議論が展開しているので、気になったらどうぞ。

*1:とは著者の弁だが、実際には追試が何件も行われている実験でもあり、ミルグラムの実験が完全に嘘だった、と捉えるのは難しいんじゃないかな。

*2:たとえば、Randall Collins『Violence: A Micro-sociological Theory』とか

*3:所詮、言葉の定義次第ではあるけれども。あと、人間だけがここまでの発展を遂げることができたのは、「人類には一緒に仕事をする力、協力し合える力があったから」からだ、そして最も友好的な人が一番多くの遺伝子を残すので、人類は自己家畜化を進め友好的な人間が増えてきたのだという「ほとんどの人間は善良である」主張の土台にあたる部分の主張もあり、そこに関しては仮にそれが本当に正しいのであれば、善良かどうかはともかく「ほとんどの人は本質的にかなり友好的である」という主張ならある程度は納得できるかなと思う。

*4:たとえば、下巻にはノルウェーで、刑務所の外に普通に出ることもできる開放型の刑務所の事例を通して人の善性を紹介する章がある。ノルウェーは再犯率も20%ととても低く、これこそが本来あるべき形だ、といってみせるのだが、実際にはノルウェーでの再犯率が低いのは微罪でも拘禁されるからという前提条件の違いがあるし、ノルウェーの開放型の刑務所にも独房監禁区域は存在する。が、そんなことには本書ではまったく触れていない。