基本読書

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アフリカの文化が色濃く反映された、様々な種族の文化摩擦と対立、その調和を描き出すSF長篇──『ビンティ ー調和師の旅立ちー』

この『ビンティ』は、米国オハイオ州生まれのアフリカ系アメリカ人作家ンネディ・オコラフォーによるスペースオペラ的SF長篇である。三作の中篇から構成され、第一部の「ビンティ」は2016年のヒューゴー、ネビュラの中篇賞を受賞している。

著者のデビューは2000年の短篇で、その後ノベライズなど多数の作品を手掛けているベテランだが、本邦での翻訳作品は多くない。あまり調べてないが本書以前だとナディ・オコルフォア名義の『光の妖精 イリデッサ』だけかな? なので、僕も著者の本は本書(ビンティ)ではじめて読んだが、著者のルーツを活かしたアフリカの文化をスペースオペラの広大な宇宙の中に投入し、考えや文化の大きく異なる種族の接触と、その際に避けることのできない文化摩擦を描きながら、本筋としてはドストレートな少女の成長譚、冒険活劇で、シンプルにスペースオペラとして楽しめる逸品である。

世界観とかあらすじとか

舞台になっているのは宇宙に人類以外の様々な種類が存在し、気軽に宇宙へと出ていけるようになっている世界。書名であるビンティとは主人公の少女の名だが、彼女は地球のヒンバ族の生まれで、赤褐色の肌を持ち、ドレッドヘアを携え、オティーゼと呼ばれる粘土と油を混ぜたようなものを皮膚に塗っている。ヒンバ族では、みなこれを塗り、素肌を見せるのは恥ずかしい、ありえないこととされているらしい。

で、そんな文化を持つヒンバ族の少女ビンティだが、物語は彼女が銀河系随一の名門であるウウムザ大学に合格し、ミリ12と呼ばれる巨大エビのような生体宇宙船に乗って旅立つ場面から幕を開ける。ただ、ヒンバ族はひどく内向き──というより内面世界が豊かで、宇宙の探索とは内なる精神世界を旅することだとする人々であり、ビンティは応援がもらえるわけもなく、家出同然で飛び出したような状態である。

生体船500人の乗客にも他にヒンバ族などいるはずもなく、彼女のドレッドも、皮膚に塗っているオティーゼも、何もかもが無理解にさらされてしまう。オティーゼを塗るのはかまわんが、あんまり塗りすぎると船内が汚れるからやめてくれとか、ヘビよけのためにつけられているアンクレットも、船内にヘビなんかいないんだから必要ないとか。本作にはクモ型の異星人など様々な人型以外の種族が出てくるし、この後の展開では様々な文化的な摩擦、そしてその調和が描かれていくのだが、ビンティは地球出身の人々の中ですら容易には理解されない存在として描かれる。

調和というテーマ

で、物語はそんなビンティがウウムザ大学に行って文化摩擦を経験しながらハリーポッター的な学生生活をおくる話なのかといえばそうではない。生体船が出発して早々に船は地球のクーシュ族と長年の敵対関係にあるクラゲ型異星種族メデュースによる攻撃を受け、ビンティ以外の乗客が(パイロットを除き)皆殺しにされてしまうのだ。

ビンティは、なぜかメデュース族の言葉を話すことができ(理由は後に明らかになる)、そのドレッドヘアはクラゲ型のメデュースたちにとっては触手のように見え、さらには肌の色もクーシュ族とは異なっていたことから、一命をとりとめることになる。とはいってもそれはただ一時的に免れているだけであり、気まぐれで殺されてしまう状態には変わりがない。そこで、ビンティは「調和師師範」であり、メデュースらが今回の襲撃に至った経緯を聞き取り、ウウムザ大学との交渉を担当することで自分の命を保証してもらうように逆に(メデュース族との)交渉に打って出る。

この「調和師師範」というのはよくわからない概念だが、数学的瞑想(ツリーイング)を用い、数理フロー(謎概念)を発生させ、精神の流れと交信し、複数の流れをまとめてひとつのフローにすることを「調和」といっているようで、調和師師範とはいうならば凄まじいネゴシエーター(狭い概念だが)といったところだろうか。

「まかせて。あたしは調和師師範よ。だからウウムザ大学に行こうとしてるの。あたし以上にすぐれた調和師はいないわ。オクゥ。場所を問わずに調和をもたらせるわ」息が切れて苦しい。目がちかちかする。大きく息を吸い込んだ。「あたしが……あんたたちメデュースに代わってウウムザ大学と交渉するわ。ウウムザ大学の人たちは学があるから、メデュースの毒針の価値や歴史、象徴的な意味など、いろいろと理解してくれるはずよ」確信はなかった。あたしにあるのは、将来の夢と……この船での経験だけだ。

「場所を問わずに調和をもたらせるわ」というのはよくわからんがなかなかスゴイ台詞である。で、物語としてはこの後メデュースたちとウウムザ大学の交渉に入り(500人近くも乗客を皆殺しにしといて交渉を成立させられるはずなくね? と思うかもしれないが、メデュース族の毒針をウウムザ大学の学者が不当に取得し、博物館に展示していたという幻影旅団の緋の眼的な状況が前提にある)、その後、ビンティのこの宇宙における様々な種族間における調和師としての道がはじまるのである。

この「調和」の概念と合わせて紹介しておきたいのが、ビンティが属するのヒンバ族とは、実在する人々であるということだ(橋本輝幸による巻末解説で僕もはじめて知ったのだけど)。アンクレットを足にはめるのも、赤土を皮膚に塗るのも、赤褐色の肌もドレッドヘアも、すべて実在する文化なのだ。で、「調和」もまたヒンバの人々の中では非常に重視される生き方、考え方のようである。

 Q:ヒンバの生き方の特徴を一言でいうとしたら?
 A:「調和」です。そのために彼らは決して悪いことをしない。殺さない。そして常に優しさと共生の心を大切にして、あるものすべてを皆で共有する生き方です。*1

おわりに

とはいっても調和調和とただ唱えたところで調和がもたらされるほど世の中甘くはない。メデュース族とクーシュ族の因縁もはじまりはたいしたことのない確執だったにせよ、長年殺し殺されが続いた場合、恨みつらみは倍々ゲームで大きくなってしまっている。ビンティだって、船内でできた友人を殺されているのである。そうそう簡単にそれを忘れて、はい今日から私達友人同士です、となることもできない。

ビンティは第二部以降、ウウムザ大学での生活や故郷に戻ってまた様々な種族間の対立や偏見──たとえば、そこにはビンティとヒンバ族の対立も含まれる──「調和」をもたらすにあたってのそうした乗り越えることの難しい障壁との戦いが、粘り強く描かれていく。多くの造語、専門用語がたいした説明もなく乱舞されるので序盤はついていくのが大変だが、未知に触れさせてくれる長篇だ。