基本読書

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多文化を乗せた宇宙船の、長い旅路──『銀河核へ』

銀河核へ 上 (創元SF文庫)

銀河核へ 上 (創元SF文庫)

銀河核へ 下 (創元SF文庫)

銀河核へ 下 (創元SF文庫)

まずなんといっても表紙のイラスト・デザインの素晴らしいこの『銀河核へ』は、カリフォルニア在住のベッキー・チェンバーズのデビュー作だ。

もともとクラウドファンディングのキックスターターで執筆資金を集めて個人出版されたものが人気となって──という近年、特にアメリカSFではありがちな(個人出版という観点ではそうだけど、最初がクラウドファンディングなところは珍しいかな)ルートで人気に火がついた本作。読み終えてみれば、なるほど確かにこれは今の時代、読者に求められている作品なんだな、という感想がまず沸き起こってくる。

ざっと紹介する

というのも、あらすじとしては、人類が銀河共同体(GC)に加盟を許され、宇宙中に様々な来歴を持った種族が存在している中で、時空を繋げるための”宇宙トンネル”を建造するための宇宙船〈ウェイフェアラー〉で仕事をする面々が、銀河系中心へのトンネルを建造する大仕事に取り掛かる──といった感じで、最初は「痛快なお仕事系のスペオペかな?」「場合によっては谷甲州方面か?」と思っていたんだけれども、ちょっと違うんだよね。実際には銀河核へと向かう、ただひたすらな旅路が物語の中心になっている(原題もTHE LONG WAY TO A SMALL ANGLY PLANET)。

で、その旅路の中で、〈ウェイフェアラー〉に乗船する、種族も違えば文化も大きく異る人々の日常、価値観のズレからくる葛藤や、難しさ、だからこその喜び、といったものを丹念に描き出していく、多文化共生ものというか、ある種の日常もののようなおもしろさがある作品なんだよね。爬虫類みたいな種族もいれば羽根が生えている種族、六本の腕だか足だかもわからない何かがはえている種族にそもそも身体を持っていない非常に人間的で感情豊かなナビゲータAIなどよりどりみどり。無論文化も常識も言語も違うから、ただ暮らすだけで宇宙船の中はてんやわんやである。

そんな面子で、旅路の中で多くの場所に寄港し、強盗に襲われ、笑いあり涙あり恋愛ありとこの世界のいろいろな側面をあぶりだしていく。いちおう中心・読者側の人物として、〈ウェイフェアラー〉に新人として乗り込んできて、この多文化っぷりにいちいち驚いてみせる火星出身の人間のローズマリー・ハーパーが設置されているのだけれども、語られていくのは船に乗り込んでいる人たち全員の物語なのだ。

いろんな種族

銀河共同体的なものが存在するSFだと、人間はけっこういい位置を占めていることが多いが、本作の世界観では人間は地球からの脱出を余儀なくされ、銀河共同体には入れてもらっているものの自分たちだけでは戦争をやめることができなかった、未成熟で卑小な種族として描かれているという立ち位置の設定が、まずおもしろい。

で、〈ウェイフェアラー〉には人間以外にもいろいろな種族が乗り込んでいる。たとえばグラム人はカワウソとヤモリをかけあわせて六本足の芋虫のように歩かせれば近いと言われる見た目をしている。性別的にも最初は女として生まれるが、卵を産む時期が終わると男になり、それが終わるとどちらでもない性になって一生を終えるという特性を持っている。他にも、シアナットと呼ばれる種族は神経ウイルスを意図的に用いることで脳の特性を変え、その時点で個人として生きるのをやめ「複数形の存在」となり、「彼ら」と呼称されている。羽根が生え鋭い歯と鉤爪を持つエイアンドリスク人、たいていの地球人がその容貌に感動するというイリュオン人などなど。

重要なのは、そうした身体的な特徴だけではなく彼らの文化的な特徴がしっかりと描きこまれていく点だ。たとえば羽根を持つエイアンドリスク人は何らかの形で本当に自分の人生に関わってきた相手に羽根を一枚渡し、それらを自分の部屋の額にかざっておく文化がある。また、個人的なことを話す時、彼らは手話を使う。大きく深い感情は普遍的なものだから手などをひと振りすれば伝わると考えている──などなど。僕が本書で好きなのは、そうした他種族の他文化を宇宙船の面々が何の葛藤もなく受け入れているのではなく、時にウンザリとしながら受けいれているということだ。

 シシックスは首をのばして、ドアが完全に閉まっているかたしかめた。「あんたは地球人たちにうんざりすることはないかい?」
「ときどきね。ちがう種族の人々と暮らしているならふつうのことだとおもうよ。きっと向こうもわれわれにうんざりしているだろう」
「今日はもう、あいつらにはホントにうんざり」シシックスは頭をもとにもどした。「あの肉づきのいい顔にはうんざりだよ。なめらかな指先にも、Rの発音のひどさにもうんざり。においが全然わからないのにも、自分の家族でもない子どもにべたべたするのにも、裸になるのを病的にいやがるのにもうんざり。ひとりひとり張り倒してやりたいよ。家族だの社会生活だの──なんでもかんでもを不必要にややこしくしてることに気づくまでさ」

エイアンドリスク人は自分たちが産んだ卵を育てない(孵化させたあとは、それを育てるための人たちに渡す)から話もしない。人間からすると自分の子なのに見捨ててるみたいでひどい、と感情的にはおもうかもしれないが、彼らからすれば孵化させた卵から生まれた存在はまだ人ですらないし、育てる役目も動機も存在しないのだ。

自分の価値観や美学といったものに反するものを「ただ受け入れる」のは、とても難しいことだ。そこには必ず──それも、人間に固有の価値観だが──ウンザリした気持ちが湧いてくるものだ。宇宙船〈ウェイフェアラー〉の面々も例外ではなく、地球人にたいしてイラつくものもいれば、地球人側がイラついたり、単純に見た目にビビったり、といったことが繰り返される。でも、そうしたウンザリした気持ちがあっても、相手の価値観や文化を認められないわけではない。というより、まったくの多文化がひとつの場所で共生するというのは、まさにそこから始まるのだ。

おわりに

恋愛的な面でもフラットで、異種族間であったり、同性間(もはや性別のくくりにあまり意味がない)であったりと関係性が描かれていく点もグッド。エイアンドリスク人はファミリーを3種類持っていて、生まれた時の家族である「孵化ファミリー」、それから友人兼恋人関係である「羽根ファミリー」(複数人のグループ)、子ども(自分たちが産んだ子どもではない)を育てる「家ファミリー」と、それぞれのロールごとにファミリーを形成する文化など、文化的な側面の描きこみが非常にいいんだよね。

その分、文庫で600ページを超える分厚さのわりにストーリー的な盛り上がりはそこまでではないので、スペオペ的な話を求めている人はちと注意が必要かも。