基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

思考や人間関係も整理する森博嗣『アンチ整理術』から現代の諸問題を整理するハラリの『21 Lessons』などを紹介(本の雑誌2020年2月号掲載)

まえがき

本の雑誌2020年2月号に掲載された新刊めったくたガイドの僕が書いたノンフィクションガイドをここに転載します。連載2回目。1回目は楽勝だったんですけど2回目は「え、もう次の締切なんですか!?」と焦っていた記憶がある。そのせいもあってか文章は今読み返したらぐだぐだで、転載にあたってけっこう書き直してしまった。

『21 Lessons』とかテーマが21ある本なんで紹介しづらいのもあるけど。この6冊の中でとりわけオススメなのはリサ・フェルドマン・バレットの『情動はこうしてつくられる――脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』ですね。これは面白い。

ここから原稿(けっこう書き直してます)

『サピエンス全史』で過去を、『ホモ・デウス』で未来を対象にして人類史を虚構の観点から語り直したユヴァル・ノア・ハラリの新作『21 Lessons』(柴田裕之訳/河出書房新社)は、ハラリがはじめて現代の諸問題を扱った一冊だ。

現代社会が抱えている問題は、雇用の減少、複雑化する教育、気候変動など挙げはじめたらキリがないが、本書でハラリは明確な語り口でもって、複雑化する一方の現代の様相をわかりやすく描き出し、物事をじっくり考える糸口を与えてくれる。正直こうした「複数のテーマを論じます!」系って一個一個のテーマが浅くなるどうでもいい本になりがちなので(特にハラリは別に現代の諸問題の専門家でもなんでもないし)、全然期待していなかったんだけど、意外なことにけっこうおもしろかった。

一個一個のテーマも完全に分断しているのではなくて相互に繋がりあっていて、大上段から答えを導き出すのではなく「我々はこれから先どう考えたらいいのだろうか?」と問いと考え方のプロセスの提示に留めているのも好印象。個人的には映画『マトリックス』とオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を引き合いに出して「我々は虚構の中から逃れることができない」と論じてみせるSFの章が好き。

続けて紹介したいのは、人間の怒りや悲しみといった情動は誰しも同じように持っている普遍的な物であり、怒っている人の顔を見ればその感情を確実に識別することができるとする情動理論の誤りを指摘する、リサ・フェルドマン・バレット『情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』だ。研究者はこれまで顔に電極をとりつけて変動を記録したりと様々な方法で感情の定量化を試みてきたが、最終的に出たのは、情動の客観的な指標を見出すのは難しいという結論であった。怒りや悲しみの感情に、絶対に反応する特定の脳領域は存在しないのだ。

本書では、情動がどのように作られているのかを解き明かしていく過程で、こうした法や、政治や精神疾患など情動に関連した広範なテーマを扱っていくことになる。たとえばだけれども、「反省」したことを認めたときに罪が軽くなったとしても、人間には「反省」しているかどうか、「悲しみ」をかかえているかどうかなど客観的に判断することは不可能なのだ。fmRIをとってすら不可能なのだから、人間が顔をみただけで判断できるはずがない。これまで当たり前に用いられてきた常識を覆す理論であるだけに、議論すべき余地は多く残されているが、古典的情動理論が支配的な現代社会をあらためて捉え直す上で、是非とも押えておきたい一冊だ。

アンチ整理術

アンチ整理術

  • 作者:森博嗣
  • 発売日: 2019/11/08
  • メディア: Kindle版
整理ができないひとにオススメしたいのが、『すべてがFになる』などのミステリーで知られる森博嗣による『アンチ整理術』(日本実業出版社)。森氏の日記に映り込む部屋を観ていればわかるのだが、氏の部屋は物で溢れていて、雑然としている。そんな人が書くのだから、ただの整理術であるはずもない。というのも、氏にとっての整理術とは整理をしないことであり、整理をする時間があるならば研究や創作を進めたい。そもそも何かを作っている時というのは、必然的に散らかるものなのだ──という、「アンチ」整理術なのである。物の整理の本ではあるのだが、思考や、人間関係の整理について、と取り扱われる整理の種類が変わっていくのも読みどころ。
BLが開く扉 ―変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー―

BLが開く扉 ―変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー―

  • 発売日: 2019/10/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
『BLが開く扉 変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー』(青土社)は神奈川大学で教授をつとめるジェームズ・ウェルカー編集による、アジアにおけるBL受容をめぐる論考を集めたアンソロジー。たとえば、韓国ではフェミニズムと関連して脱BLの動き(攻/受の関係は挿入権力を中心にしていて、現実の男女における権力関係を強化するものであるなどの論点がある)が起こっているという。

同性愛に否定的なイスラム教徒が多いインドネシアでは、BLを楽しむ女性であっても現実の同性愛には否定的な見解を持っている人が多いなど、国ごとに異なるBL文化が続々と明らかになっていき、BLを愛好していない人間が読んでも楽しめる、文化史的に興味深い論考が揃っている。

世界からコーヒーがなくなるまえに

世界からコーヒーがなくなるまえに

続けて青土社から紹介すると、ペトリ・レッパネン+ラリ・サロマー『世界からコーヒーがなくなるまえに』(セルボ貴子訳/青土社)は、気候変動や大規模な工業化栽培による大地の疲弊に伴って、三〇年後は今のようにはコーヒーを楽しむことができないかもしれない…という苦境について語られた一冊。コーヒー豆は大量の水分を必要とし、日照量の調整も難しく、長期的な栽培が難しい。では、持続可能な栽培を行うにはどうしたらいいのか……と問いかけ、大量生産に背を向け、雑草を手で抜き、質をみて収穫し、と高品質な栽培を行う農家に密着し、その手法に迫っていく。最後に、本書原作の映画が公開されたばかりの『アイリッシュマン』(高橋知子訳/ハヤカワ文庫NF)を。アイリッシュマンと呼ばれた実在の殺し屋の独白をまとめたノンフィクションなのだが、彼が殺した中で最も有名なのが、一時期は大統領に次ぐ権力を持つ男と言われた労働組合のボスであるジミー・ホッファという男。

アイリッシュマンは、この男と親友といっていい間柄にあったのだが、なぜそんな彼が殺すことに至ったのか──という悲劇が、一九五〇年代から七〇年代にかけての、今よりも無茶苦茶が許された時代のアメリカ裏社会の様相と共に語られていく。優れた犯罪小説を読み終えた後のような余韻が残る快作だ。

終わりに

本の雑誌446号2020年8月号

本の雑誌446号2020年8月号

  • 発売日: 2020/07/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
↑これは今月発売の新しい本の雑誌です。僕は幻覚剤は役に立つのか、タイで日本からの性転換を希望する人への安全な手術を斡旋する性転師についての本など、ブログに書いていないノンフィクションについてもガイドを書いているので読んでね。