基本読書

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我々の行動のほとんどすべてに関係してくる、税金の機能とその歴史について─『税金の世界史』

この『税金の世界史』は、その書名のまんま、税金の歴史について書かれた一冊である。税金というのは、たしかに言われてみればこれはおもしろいテーマだ。我々は消費税増税が起これば大反対をかまし、増税が実際に行われる前に必要なものは少しでも多く、あるいは高いものは先に買っておこうと行動を変える。タバコ税などもあるが、喫煙者の方は値上げするたびに何ヶ月、何年分を買いだめする人も多いだろう。

選挙においても税をどうするのか、といったのは常に一大トピックのひとつだ。我々一般市民からすれば税金は安ければ安ければありがたいものである。しかし、医療、福祉などにおいて必要があるから集めているわけであって、税をゼロにすることは難しい。であれば、どこまで低くできるのだろうか? また、今の税の徴収の在り方は本当に理にかなっているのか? 本書はそうした税金についての疑問に歴史を通して答え、国家運営の中で税金がどのように機能してきたのかを紹介してみせる。

窓税

昔はこんな変な税があったんだなあ、と、シンプルに税博覧会のように読んでもおもしろい一冊だ。たとえば、1696年、イングランドでは紛争が続いていて税収が必要だった。そのため、新税が導入されることになったのだが、それは「家屋、明かり取りおよび窓税」と呼ばれるものだった。何に課税されているのかといえば、窓である。徴税人は人々の家の外から窓の数を数え、その数に応じて課税額が増えた。

それまでは炉税というものがあり、徴税人は家の中に立ち入って炉がいくつあるかを確認していたが、窓税なら屋内に踏むこむ必要はなく、しかも隠すことも難しい。窓がいっぱいついている家は要するに部屋がいっぱいあってでかい家だから、高い支払い能力があるだろうという推測もそれなりに理にかなっている。だが、一時的にうまくいったとしても長期的にうまくいったわけではなかった。この「窓税」は、税金に関するよくあるエピソードが満載で、格好の教材になってくれる。

たとえば、新税は窓税のように平時よりも何倍もの金が必要になる戦争や紛争を乗り越えるために導入されることが多い。導入時には期間限定であるとか、一回限りであるという但し書きがついているが、そのまま恒久法になってしまう。また、市民はできるかぎり税を逃れようとする。窓税でいえば、市民は家の窓を塞ぎ、家屋は建築時から窓数を減らして建てられるようになる。窓税が政府の期待通りに集まらないと、次に行われるのは窓税の撤廃ではなく、窓税の引き上げが行われる。

一七九七年、ウィリアム・ピット政権時代に窓税がそれまでの三倍に増税されると、ある大工は、本人が議会で証言したところによれば、一本の通りに面したすべての家から依頼され、レンガ、もしくは板で窓を塞いでやったという。

あまりにも馬鹿げているように思えるのだが、税金の歴史にはこうした例が多い。これで税金がっぽがっぽや!! といって作られた新税は思うように機能せず、市民はそれに対して抵抗をする。窓を塞ぐだけならかわいいもので、納得がいかない場合は反対運動、抗議運動が起こるようになり、最終的には革命に至ることになる。

フランス革命、南北戦争

革命のわかりやすい例は1789年からはじまったフランス革命だろう。当時のフランスはヨーロッパ諸国でも1、2を争う重税の国で、所有地の面積によって徴収されるタイユ税、人頭税などがあり、中でも塩は、実質価格の10倍もの値段を払う必要があったという。ワインには5種類もの税金がかけられていたせいで、農民はワインではなくてリンゴ酒を飲んだ。一般市民は参政権がなく、聖職者や貴族は税金を払わずにすませていたので不満をつのらせ、革命が起こるのも当然の状況であった

もう一つ、税金を理由とする印象的な抗議運動としては、アメリカの南北戦争も挙げられる。南北戦争は奴隷制廃止をめぐっての内戦と説明されることが多いが、当時南部州は綿花の栽培で莫大な富を築いており、その税収をめぐる争いが背景にはあった。1816年に国内産業保護のため輸入に高い関税が課せられるようになり、農機具などの商品を輸入するのと引き換えに綿花を輸出していた南部州は打撃を受けた。1828年頃の連邦税収の75%は南部によって支払われ、南部の金は北部に流れた。

南部が不平等感を感じるのは当然で、南部は連邦脱退を主張し始めることになる。戦争に乗り出した理由について、リンカーンは連邦の存続のためだったと口にしているが、それは南部が連邦政府から離れられると税収の大半が失われ、そのうえ貿易ループから他地域は外れることになり、北部は破綻してしまうからだった。『一般的な歴史認識においては、南部州の行動は謗られ、北部州の行動は偉大で立派であると見なされる。だが実際は、南北は経済的利益をめぐって争っていたのである。』

未来

そうした過去の税金をめぐる戦争や紛争の話だけでなく、本書では現代や未来の話も語られている。たとえば、ウーバーイーツに代表されるようなギグワーカーたちの収入からどのように税金を徴収するのか。また、ロボット、AIの発展によって人間の労働者がお払い箱になっていくのであれば、ロボット税が必要になってくるだろう。

仮想通貨への課税方法、3D印刷に対する課税はどこになされるべきなのか、常に事業投資や買収に回し所在地をどこに定めることも可能な業態のおかげで納税額が少なくてすむテクノロジー企業の台頭など、税金に関する課題は山積みだ。歴史をみると、こうした時、国は既存の税の税率を上げたり、新税を作ったりして税収を増大させようとするものだが、それがろくな結果を産まないことも歴史から学べることである。

税を新しく作り、既存の税率を上げるのは簡単だが、下げたり、定着した税を撤廃するのは難しい。だが、歴史をみれば成功しているのはそれができた国である。

大きな政府と小さな政府、権威主義とリバタリアニズム、古い企業慣行と新しい科学技術、税の種類の追加と削減。これら二者間のイデオロギー的闘争はこれからも続くはずである。どちらの側も自分から引くことはない。だが、国民の税負担が小さい国、税制が公平でわかりやすい国は生き残る。

おわりに

本書では最後に「ユートピアの設計」と題して、著者が考える、香港を参考にした最適な税の設計についても書かれている。そこは実際に読んで確かめてもらいたいところ。個人的にはなかなか納得感のある設計で、これで運営してうまくいくかどうかみてみたいな〜と思った(が、国を一から作るぐらいじゃないと難しいだろう)。