- 作者:アリ・バーマン
- 発売日: 2020/06/16
- メディア: 単行本
これは本当にえらい本で、歴史的な流れとしてどのようにアメリカでアフリカ系アメリカ人をはじめとしたマイノリティから投票権が奪われてきたのか。また、それに対する抵抗の歴史が50年に渡ってみっしりと記された歴史書であり、これを読むことで今アメリカで何が起こっているのかという見通しもぐっとよくなった。法律用語が多く、400ページ超えの大著で読むのは大変だったが、これは今読めてよかった。
投票の権利は特にアメリカにおいては当たり前に与えられるものではない。そもそも奴隷には選挙権などなかった。南北戦争を経て黒人奴隷制が廃止され、人種、肌の色によって投票権に関する制限があってはならないことを定める憲法修正第15条が1870年に採択。それは歴史的な瞬間だったが、南部諸州から、明確な差別はなくとも実質的に黒人を排除するような州法が制定され、事実上投票権は奪われていく。
1965年の投票権法の効力
たとえば、アメリカでは投票するためには有権者登録をしなければいけない。その有権者登録のハードルを上げる(読み書き能力や憲法の知識を問う識字テストを課したり、有権者登録に必要な身分証が少なかったり)ことによって、黒人を選挙から排除していたのだ。そうした状況を大きく変えたのが1965年の投票権法である。
『投票権法はすぐに二十世紀でもっとも重要な公民権法として、また連邦議会で成立したもっとも画期的な法律の一つとして知られるようになった。』というが、それはどのような法なのか。まず、南部全域で有権者登録の際の識字テストが廃止された。司法長官に投票税の廃止を求める訴訟を起こす権限が与えられ、非協力な登録官は連邦政府の登録官に交代させられるようになった。一部の州に関しては特殊条項として、選挙制度を変更する際には事前に連邦政府の承認を得なければいけなくなった。
投票権がその後の数十年間で南部の黒人有権者の登録率は31%から73%に。全国でも広選職についた黒人が500人未満から1万500人に。連邦議会の黒人も5人から44人に増えた。この数だけをみてもどれほど黒人有権者が選挙制度から排除されてきたのかがわかるというものだろう。
終わりなき闘い
じゃあ、投票権の差別についての歴史は1965年の投票権法成立でハッピーエンドってこと? と思うかもしれないがそんなことはない。投票権法はその歴史の中で何度も正当性を問われてきた。たとえば、連邦政府に承認を得なければいけない選挙制度の変更とはどこからどこまでのことなのか。いつまで特定の州に関する特殊条項は適用され続けるのか。連邦政府は州のやり方に指示を出すのをやめるべきだ、と。独立性の高いアメリカの州だから、州の主権に関わると反対の声が上がりつづける。
投票権法が成立した直後、投票権法の効力が及ぶのは「有権者登録」に関わるもののみであるとして、いくつもの州が別の形で権利の制限をはかった。たとえば、ミシシッピ州では黒人議員が生まれないように、選挙区割を白人が確実に過半数を超えるように変えた。それまで選挙で決定されていた郡の教育長を選ぶプロセスも任命制をとるように変更し、立候補の要件を満たすためにそれまでの10倍の署名を集めるように変更するなど、とにかくなりふりかまわない妨害的制度変更が行われた。
だが、連邦最高裁は「投票する権利は投票行為を絶対的に禁じることだけでなく、票の効力の希釈によっても影響される」として、ミシシッピ州のやり方を退けた。ただ、それで諸州が諦めるわけではない。特殊条項下にある州が提出した選挙制度の変更の数は1970年には110件だったのが71年に332件、72年には1359件と増え続けている。一体何をそんなに変更すんねんという感じだが、要はなんとしても差別に見えない形で投票権利に制約をかけたいという必死の抵抗が続いていたのである。
草の根的な投票制限もずっと続いていて、たとえば不在投票者用の投票用紙を申請したすべての黒人世帯の家に、たしかに留守であるかを調べるために警官がやってくる。登録したばかりの黒人有権者が投票用紙に記入するのを手伝ったために不正投票罪で逮捕されるなど熱心に投票を制約しようとする時代が続く。中でも驚いたのは、2000年に行われたフロリダ州選挙で起こった投票権剥奪の事例である。
選挙手続きを少し操作するだけで結果を左右できる
フロリダ州は67郡の選挙委員長に重罪犯とされる5万8千人の名簿を送りつけて有権者名簿から抹消させたが、この運用がめちゃくちゃだった。そもそもフロリダ州の登録有権者のうち黒人は15%だったのに抹消対象者名簿には黒人が44%も含まれていた。そのうえ、登録者名簿にある氏名が州の重罪犯人データベースにある氏名と70%一致していれば、登録抹消対象者の名簿に加えられていたことが後に判明した。これによって、まったく身におぼえがないのに投票をできなかったものが続出した。
中には、何十年も前にベンチで居眠りしていて放浪の容疑で逮捕された人が突然抹消されたり、財布ごと免許証を盗まれ使われただけの人間が登録を抹消された事例もある。本書では3人の事例をあげてそうした状況が説明されていくが、その3人に共通していたのは、みなアフリカ系アメリカ人でアル・ゴアに投票するつもりだったということだ。もちろん違法であり、後に起訴されて1万2000人もの「重罪犯とされるべきでない人が登録されていた」ことを認めたが、選挙が終わってしまった後では意味がない。フロリダにおけるブッシュとゴアの得票差はわずか537票だった。
これで「接戦になる場合選挙手続きを少し操作するだけで結果を左右できる」という最悪な教訓が生まれてしまった。これと同様の事例が4年後にオハイオで起こり、ある意味ではその後もずっと起き続けている。投票権をめぐる闘いが、その最大の達成のひとつであるバラク・オバマの当選後に激化したからだ。オバマの当選後、2011年から15年の間に49の州で投票を制限する措置が395件とられた。米国の半分の州が投票を困難にする法律を制定し、その大半は共和党の支配する州だった。
マイノリティの力が増すと、彼らに支持されにくい政党にとってはマイノリティの投票率を下げることが力になる。投票権を侵害したい勢力が消えることはないのだろう。オバマが大統領になったことをきっかけとし、特定の州・地方政府の選挙制度の変更に制限を加える特殊条項はもはや不要であるという声が大きくなっていく。2013年には、特殊条項における「特定の州と地方政府」を定める基準は平等な州の主権と連邦主義の原則に反しているとして最高裁判決で違憲と判断された。
おわりに
投票権をめぐる闘いは終わっていない。原書刊行は2015年のことだが、近年の事例については訳者あとがきでも軽く触れられている他、著者ツイートを見れば動向も追える 。黒人が多い地域の投票所が減らされて何時間も並ばないと投票ができなくなったり、状況は大きく変わってはいない。2044年頃を境に非ヒスパニック系の白人が過半数を割るというが、アメリカの社会は今後どのようにかわっていくのだろう。そうした未来を考えるにあたって、どのような歴史が刻まれてきたのかを知るために最適な一冊だった。
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— Ari Berman (@AriBerman) 2020年6月9日
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